5.狗鬼と籠女

「哭士、前に座れ」

 色把が用意された部屋に戻ってからの事、菊塵が哭士を自分の前に座るように促した。

 哭士は訝しげな顔をしながらも、窓べりから菊塵の前へと移動する。



「色把をとりまく危険因子について、詳しく話をしていなかったと思ってな。彼女、色把さんは『籠女かごめ』だ」

 普段から話を聞いているのかいないのか分からない哭士だが、籠女という言葉が出ると珍しく顔を上げ、菊塵の言葉に反応する。

「籠女は僕達『狗鬼こうき』の対となる者。身体能力に優れる狗鬼と違い、籠女の能力は人間と殆ど変わらない。だが、通常の人間と異なるのは、まず『血』が傷を癒やす作用を持っていること。もう一つ、影鬼えいきを呼ぶこと」

 ここで菊塵は一旦言葉を切り、メガネを押し上げた。



「影鬼は、籠女の血を求め付け狙う。実体の無い、その名の通りいわば影だ。血をすすった影鬼ほど、大きく、力も強くなる。人間と殆ど変わらない籠女は、影鬼に抗うすべが無い。だから、籠女は狗鬼と契約を結び、その身を護らせる。狗鬼は影鬼を狩る。狗鬼、籠女、影鬼の三角形が出来上がるわけだ。ここまで、いいな?」

 そこで、と菊塵は話を区切る。

「この新たな『籠女』、比良野色把の護衛をお前に任せる」

 哭士の眉根がぴくりと反応する。

「……何故」

「理由は三つだ。一つ、彼女には身を護るための狗鬼が居ない為。二つ、自分を護る狗鬼という者は何たるものかを彼女に実際に見てもらう為。三つ、女性の扱いをお前に学んでもらう為」

 三つ目の項目に対し、菊塵がにやりと笑う。



「……お前だって狗鬼だろう、お前がやればいい」

 あからさまに嫌そうな顔をする哭士。彼にとって必要以上の人間関係は邪魔なものでしかない。

「残念ながら、僕の能力は護衛には不向きだ。お前が一番知っているだろう」

 肩をすくめメガネの奥で笑う菊塵に、哭士が重いため息をつく。

「言っとくが、これも祖父(じじ)様(さま)からの指令だ。彼女を危険からしっかり遠ざける事ってね」

「あのジジイ……」

 舌打ちしながら哭士が悪態をつく。幼少の頃から何故か哭士は祖父の言いつけには逆らえない。

 今回の件についても納得のいかない様子だったが、祖父の指令ということに渋々といった様子で色把の護衛を了承した。



「彼女を護衛する上で気をつけて欲しいことがある。彼女の祖母は彼女が連れ去られた事をこちらに通達した直後……保守派に殺害されている」

 顔の前で手を組む菊塵。

「彼女は十歳以前の記憶が無い。記憶喪失以降は、祖母が彼女の失った記憶を埋めるように全てを教え、再度、比良野家の息女として育てた。彼女の中で祖母は非常に大きな存在だ。よって、今彼女に祖母の死を伝えた場合、彼女が現実に耐えられなくなる可能性がある。祖母の事については、お前からは何も言わないでいてくれ」

 軽く目をつぶる哭士、分かりにくい彼の意思表示だが、長年相棒を務めてきた菊塵は哭士の「分かった」という返事であることを知っている。

 物心付いたころから権力者である祖父の手足として使われてきた哭士は、祖父の命令を唯々ただただ行うことに不満が無いわけでは無いらしい。だが、その不満に対して命令に逆らえない自分との間のしこりに、彼が表す意思表示は希薄なものとなっていったのだった。



「お前がこういう類を不得手にしているのは分かる。だが……お前の残りの時間は少ないんだ哭士」

 菊塵が語りかける。投げかけられた言葉に、うんざりといった表情を浮かべる哭士。

「籠女と契約を結ばない狗鬼は、十八歳の誕生日を迎えた瞬間死を迎える。何故お前が狗鬼であるにもかかわらず籠女と契約が結べないのか……。今回の籠女が、もしかしたらお前の契約相手になるかもしれない」

「……俺は別に死のうが構わない」

 席を立つ哭士。乱暴に閉めた襖が大きな音を立てた。

「……心情としては、『期待を持たせるな』ってとこかな」

 慣れてはいるが、扱いは困る。菊塵は苦笑を浮かべた。



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