3.囚われの少女
(……何か、あったんだろうか?)
暗がりの部屋の中を、少女がおぼつかない足取りでぐるりと一周する。部屋が停電してから数分。恐らく誰かが様子を見に部屋にやってくるだろうと思っていたが、人が近づいてくる気配はまだ無い。
(懐中電灯なんか、無いよね……)
この部屋に来てから二日経つ。今の今までこの部屋の中で懐中電灯などは目にしていない。
部屋の中心の光源が急に明かりを失い、今まで見えていたデジタル時計の電光も今は見ることは出来ない。恐らくこの部屋、もしくは部屋を収容している建物が停電してしまっているのだろう。
部屋には一つ、ドアとおぼしきものはあるがドアノブが無い。外側からしか開けられない仕掛けになっているのだ。
彼女は監禁されていた。
苦し紛れにもう一度ドアを押してみたが、硬い壁と変わりは無かった。
この小さな部屋から出ることも出来ず、外の様子を伺うことも出来ない。自分の無力さがもどかしかった。
(私、一体これからどうなるの?)
真っ暗な部屋の中で、不安に押しつぶされそうになり、彼女はその場にうずくまった。
(……お婆様に、会いたい)
※
彼女の一番古い記憶は大きくて古い屋敷で、赤い振袖を着ているというものだった。
「
沢山の大人たちが集まっている部屋に、祖母が色把をやさしく呼ぶ。
料理と酒、そして大人が吸うタバコの煙に、空気がぼんやりと霞んでいる。
ずらりと並んだ膳を前に、大人たちは皆それぞれ酒を飲み、語り、楽しそうにしている。晴れ着を着た色把が部屋に入り、祖母が一声上げると、ザワザワとした空気が止んだ。大人たちが色把を見つめる。
「本日で十歳になりました。あのような恐ろしい出来事がありましたが、無事にこの歳を迎えられました。本家を離れ、この子は「カゴメ」として、そして友禅(ゆうぜん)様の伴侶として、立派に役目を果たさせて頂きます」
祖母は、色把を大人たちにそう紹介する。当の色把はさっぱり意味が分からなかったが、自分と祖母に対して視線が向けられているのはなんとなく分かり、恥ずかしそうに祖母の後ろに隠れた。
「あんなことがあったばかりなのに……」
「そのせいで……ねぇ……」
大人たちの声が聞こえる。同情の色を帯びたあの言葉の数々は今でも何故か覚えている。
祝賀の会が終わり、祖母と二人きりになったときのこと。
縁側に腰掛けて、祖母が話し始めた。
「明日からこの家を離れ、別の家に住むことになります」
色把は首をかしげた。これからもずっとこの屋敷に居続けると思っていた。
「私は色把さんの身の回りのお世話をいたします。ただ、貴方は友禅様のお傍に仕える為に色々なことを学ばなければなりません」
お傍に仕える……。
「お嫁さんになることですよ。ずっと一緒に過ごすことです」
祖母は色把の表情から読み取ったのだろう。優しく語り掛けた。
だが色把は突然の事に祖母を見上げる。祖母の目は少し驚いた表情を見せた。
「あぁ、色把さん。あんな恐ろしいことがあって、記憶が混乱されているのですね」
そう言って頬に触れる老人のひんやりとした手が心地良い。
「貴女は友禅様の許婚として、これまで本家でお過ごしになられて来ました。十歳になってからは、貴女の生家である比良野家で婚礼の歳になるまで過ごされる事になります。友禅様はお優しい方です。色把さんにお似合いの方ですよ」
祖母の表情から、ユウゼンという人は、とても素晴らしい方なのだと思いを馳せた。
「本日はご事情があり、こちらにはいらしていないようですね。ですがいずれ……」
ユウゼンという人に会ってみたい、そう思いながら、色把は祖母の言葉に再度頷いた。
「色把さんは良い子ね。困ったことがあったら、いつでもわたくしに仰って下さいませ」
そう言って、色把の頭を優しく撫でてくれた。
※
温かい、色把の一番古い記憶である。
色把は十歳から前の記憶が無い。なにか恐ろしい目に遭ったと聞いている。だが祖母も誰も、色把の身に何が起こったのかを教えてはくれなかった。
あの祝賀の日からあの大きな屋敷に行くことは無かったが、祖母はずっと色把のそばに居て世話をし、色々なことを教えてくれた。
今、何をしているのだろう。優しい祖母の声と着物の優しい香りを思い出すと不安で押しつぶされそうな現実から、少しだけ離れることが出来た。
うずくまったまま、数分が過ぎただろうか。
ガタン、とドアの外から、なにやら乱暴な音が聞こえ、色把を現実に引き戻した。立ち上がり、ドアに耳を近づけていると、数人の足音が近づいてくる。
部屋の中に身を隠せるものは何も無い。とにかくドアから離れ、息を潜め、気配を殺した。
気配が近づいてくるのが分かる。自分の心臓の音がやけに大きい。
足音がドアの前で止まり、くぐもった会話の断片が耳に届く。……男性のようだ。
(助けて……お婆様!)
開いたドア、暗がりでよく見えなかったが、入ってきたのは背の大きくがっしりとした若い男性だった。自分よりも年上だろうか。黒い装束を着て、自分を見た瞬間に動きが止まった。驚いているように見えた。
黒装束の男性が、後ずさった後から、メガネをかけた男性がこちらへと歩いてくる。
色把の目を見つめながらその男性はゆっくりと口を開いた。
「安心してください。貴女に危害を加えるつもりはありません。貴女のお婆様からの依頼を受け、貴女を助けに来ました」
(お婆様の……?)
「我々は、貴女のお婆様より貴女が攫われたと聞き、探していたのです。我々と共に来ていただけませんか?」
非現実的な出来事に頭が混乱しているが、ここに居るよりは恐ろしい目に合わずに済むかもしれない。色把は男性の言葉に頷き、部屋を出ることにした。
促されながら廊下へと出ると、一番最初に部屋に入ってきた男性と目が合う。
(昔、どこかで……?)
遠く淡い記憶。失った記憶の中に、何かを訴えかける胸騒ぎ。
だが、一瞬にして人影に遮られ、彼の姿は見えなくなってしまった。
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