あらたな一歩 1

 クリス姉さんがルコの町の屋敷を訪ねてきた。

 その知らせを受けた俺は、すぐに自分の執務室で彼女を出迎える。扉の前で待っていると、すぐにドレス姿のクリス姉さんが姿を現した。

 彼女は俺の姿を認めるとキリリとした表情を和らげ、蕩けるような笑みを浮かべた。


「アレン、久しぶりね」

「ああ、久しぶり――っとと」


 再会の抱擁を受けた俺は驚きながらも応じる。クリス姉さんの温もりと共に、甘い花のような香りがする。最近開発した石鹸の香りだ。

 察するに、湯浴みを終えてから、俺に訪問を知らせるようにしたのだろう。俺の背中に腕を回した姉さんは、その指で背中をさわさわと撫で回してくる。


「……なにをやってるんだ?」

「アレン、少したくましくなった?」

「ああ、そうかもな」


 前世の記憶を取り戻す前の俺は色々と諦めていた。ゆえに身体も鍛えていなかったのだが、記憶を取り戻してからは合間を縫って鍛えている。


 ちなみに、姉さんはまた少し胸が大きくなったようだ。ハグしていることで、その豊かな胸が以前にも増して強く押し当てられている。

 ……とか言うと、さすがに怒られそうなので言わないが。

 再会を喜び合ったあと、身を離した俺はクリス姉さんに問い掛ける。


「ところで、姉さんがどうしてここに?」

「あら、これをあたしに出したのは貴方でしょ?」


 言うが早いか、クリス姉さんは胸の谷間から丸められた羊皮紙を取り出した。どうやら、俺がクリス姉さんあてに現状報告として出した手紙のようだ。


「またそんなところに……」

「貴方からもらった大事な手紙だもの」


 大事な手紙だからといって、胸の谷間にしまう意味が分からないというのは野暮なのだろうか? とにかく、クリス姉さんは、この町の現状を知って駆けつけてくれたようだ。


「と言うことは、もしかして?」

「必要になると思って、ジェニスの町では使わなくなった魔導具と、水車の設計図。それに水車を作ったことのある職人を連れてきたわ」

「おぉ……さすが姉さん」

「ふふん、もぉっと褒めて良いのよ?」

「クリス姉さんは最高の姉さんだ、ありがとう」

「~~~っ」


 感謝の言葉を投げかける――が、反応がない。どうしたのだろうと思ってその顔を覗き込むと、クリス姉さんは真っ赤な顔になって硬直していた。


「クリス姉さん、もしかして……照れてるのか?」

「て、照れてなんてないわよ……ばか」


 ふいっと視線を逸らされた。

 凜としたたたずまいのクリス姉さんが、今日は随分と可愛らしい。そんな風にニヤニヤ見つめていると、頬をぎゅっと摘ままれた。


「それより、そんなに喜ぶってことは、魔導具か水車が必要になるってことよね? 景気が悪化してて、ひとまず農業を活性化させたい、みたいなことは聞いてたけど……」

「あぁ、実はそれ以外にも色々とあってな」


 ロイド兄上の圧政により、色々な隠蔽がおこなわれていたこと。それによって、町に食糧を支援する資金がまったく残っていなかったこと。

 それらが原因で、俺が屋敷の者達から信頼されていないこと。

 ただし、オーウェル子爵領で取り引きを交わしたので、食糧は支援してもらえること。

 これらによって開墾クジが実行に移せそうだが、水路の関係で農業に適した土地があまり残っていないことを話した。


「そっか……やっぱりそんなことになってたのね」

「……やっぱり?」

「ロイド兄様の後釜ともなれば警戒されるのは当然だし、この町の畑の分布を見れば、土地の高低差はなんとなく分かるじゃない」


 思わず絶句した。

 ロイド兄上の件はたしかにその通りだ。俺が油断していた感は否めない。

 だが、土地の高低差の判断は口で言うほど単純なことではない。

 なにより、ルコの町の資料を見ることが出来る状態ならともかく、クリス姉さんはジェニスの町に滞在していたのだ。情報が足りない状況でそこまで行き着いた。

 やはり、クリス姉さんのこの手の能力はずば抜けている。


「なんにしても、この町でも早急に水車を作れば良いのね。……で、開墾クジってなに?」

「あぁ、開墾クジは……」


 フィオナ嬢と煮詰めた計画を話す。

 それを聞いていたクリス姉さんは、なにやらこめかみに手を当てた。


「貴方達の発想は、相変わらず突拍子もないわね」

「姉さんには言われたくないんだが……」


 為替の概念を生みだしたのはクリス姉さんである。


「あたしは、交易での問題点を挙げて、既存の概念を組み合わせて対策したただけよ。貴方達みたいに、いきなり発想を生み出してる訳じゃないわ」


 クリス姉さんの緑色の瞳が、俺の心の内まで覗き込んでくる。


「あたしね、バームクーヘンについて調べたのよ。貴方は文献を読んだだけだなんて言ったけれど、ウィスタリア伯爵家にはもちろん、どこにもそんな文献はなかったわ」

「それは……」

「それに、シャンプーやリンス、それに石鹸の作り方もそうよ。遠心分離機という魔導具自体は古代文明に存在したけれど、貴方はその使い方も熟知していたわね?」


 ゴクリと鳴った。

 それが自分の喉が発した音だと気付くのに長い時間を要する。そしてそのあいだ、クリス姉さんはずっと、その瞳で俺の目を見据えていた。


「俺は――」


 真実を打ち明けようとした唇が、しなやかな指によって押さえられる。驚きに目を見開くと、瞳に映った姉さんが小さく首を横に振った。


「答えを聞き出そうとしている訳じゃないから安心して。たとえ何者であったとしても、貴方が大切な義理の弟であることには変わりないもの」


 たとえ隠し事をしていたしても、大切な義理の弟だと、俺に対する信頼は変わりないのだと口にする。だから俺は「前世の記憶を取り戻したんだ」と打ち明けた。


「……前世の、記憶?」

「色々知ってるのは、そのときに得た知識だからだ」


 俺の言葉に、クリス姉さんの瞳がめまぐるしく計算を始める。そこに驚きはあっても負の感情は滲んでいない。それを確認して小さく息を吐いた。


「そっかぁ。もしかして、フィオナさんって、貴方の前世の妹だったりする?」

「――なっ。どうして……っ」


 フィオナ嬢も同じような発想をすることから、前世の記憶があると疑われる可能性は考慮していた。だから、そっちについてははぐらかすつもりだったのだが……

 まさか、いきなりそこまで見破られるとは思わなかった。


「あぁフィオナさんが前世の妹だと思った理由? 貴方のところのメイドから相談されたのよ。彼女が貴方のことを兄さんって呼んでるけど、どうしたら良いのか、って」


 使用人の前では気を付けていたはずなのだが……いつの間にか聞かれていたらしい。もしかしたら、そのメイドには俺に特殊な性癖があると疑われたのではないだろうか?


「……それで、どうしたんだ?」

「良く知らせてくれたわねと、褒美を与えたわ」

「なんでだよ……いや、なんでだよ」


 本気で意味が分からない。

 口止めしてくれたというのなら、まだ分からなくもないんだが……


「そんなことより、いまは開墾クジでしょ?」

「まぁ……そう、だな」


 色々気になることはあるが、ひとまずは棚上げにしておこう。



 そうして、開墾クジの計画が実行された。

 最初におこなったのは、屋敷で働く者達の、俺に対する印象の改善。

 ケープスを慕う者にはケープスの口から、そうではない者にはクリス姉さんやフィオナ嬢から、俺とロイド兄上が考え方からして違う人間だと広めていく。


 ロイド兄上の悪政を俺が暴き、それを正すためにこの町に来た。兄上の圧政で苦しんでいる者達を救う為に、開墾クジをおこなおうとしている。

 この町の住人を救うために、彼に協力するべきだ。

 ――とまぁそんな感じである。


 屋敷で働く者達は表に出さないだけで、誰もがロイド兄上に悪感情を抱いていたらしい。そんな訳で、俺とロイド兄上が敵対していたという噂は非常に効果的だった。

 だが、ロイド兄上と敵対しているからと言って俺が善人だとは限らない。屋敷の中にはそんな風に警戒する人間もいたが、クリス姉さんやフィオナ嬢が説得してくれた。


 ルコの町の住民と同じようにロイド兄上に人生を狂わされたクリス姉さんと、貧困に喘いだ土地で暮らしていたフィオナ嬢。

 それぞれが自分の境遇を交えて、俺に救われたのだと話してくれたのだ。


 正直、貴族の令嬢がそのようなことを平民に話すのは異例だ。眉をひそめる者も大勢いるだろう。だけどそれでも、二人は使用人の心を動かすために手を尽くしてくれた。

 そして――



 数日経ったある日。

 俺が呼び出されて大広間に行くと、ケープスを除いた屋敷の者達が勢揃いしていた。彼らは、俺の姿を見るなり一斉に頭を下げる。


「アレン様、我ら一同、これよりは心より貴方の指示に従います。どうか、いままでの非礼をお許しくださいますよう伏してお願い申し上げます」


 どういうことかと視線を巡らすと、フィオナ嬢と目が合った。彼女は俺に気付くなり、こくりと頷く。どうやら、俺と彼らの関係改善にお膳立てをしてくれたようだ。


「皆の者、顔を上げて楽にしろ」


 俺の指示に、ゆっくりと屋敷の人間達が顔を上げた。事務官や使用人、それに兵士達が勢揃いしている。正直、屋敷にこれだけの人がいたのかと驚かされる。

 一堂に会したから――と言うだけでなく、おそらくは実際に目にする機会が少なかった。彼らは俺に近付かないようにしていたのだろう。


「最初に言っておく。今回の件については、ケープスがその罰を受けた。ゆえに、おまえ達に罪を問うつもりはむろん、罰を与えるつもりもない」


 ケープスに罰を与えたという言葉に反応する者はいるが、反論の声は上がらない。彼への罪が形式的なモノで、実際には他所の町で雇用すると知っているからだ。


 俺は最初、そのことはごく一部の者――ケープスに味方し、放っておけば俺に敵愾心を抱きかねないような者にしか知らせないつもりだった。

 だが、ケープスを慕う者が予想より多かったことに加え、ロイド兄上とは違うと印象づけるためにも慈悲を見せた方がいいとクリス姉さんに説得されたために噂を流させた結果だ。


 ケープスはロイド兄上の傲慢な指示に逆らうことで罪を犯した。ゆえに同情した俺が、形式的な罰を与えてケープスを救うことにした、という筋書きだ。


「みなも知っての通り、ルコの町はいま景気が悪化している。商人の足が遠のいたことで食料は高騰し、町の特産品は暴落している。このままでは口減らしが多く発生してしまう」


 一部の人間がリーシアに視線を向けた。

 彼女の身の上を知っているのだろう。


「俺はこの状況を早急に立て直したい。ゆえに、俺は開墾クジなるモノを計画している」


 疑問の声は上がらない。

 既に、開墾クジがなんなのかは噂という形で伝えてある。メリットとデメリットを上げ、成功させるには住人からの信頼が必要だとも知らせてある。

 ゆえに――


「不安もあるだろう。だが、この町の景気を回復させるには、これより勝る手段はないと考えている。ルコの町の住民を救う為に、どうか協力して欲しい」


 俺の要請に、彼らは一斉に頷いた。

 

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