ルコの町の改革 前編5
「おまえらが姉ちゃんを連れて行ったのは知ってるんだからな!」
十代前半くらいだろうか? 少年がどことなく不気味な連中に突っかかっている。それに気付いた俺は、残っている串焼きの一切れを口に放り込んだ。
「ちょっと行ってくる」
フィオナ嬢に声を掛けて足を踏み出すのとほぼ同時、おっちゃんが「止めときな、関わらない方がいいぜ」と口を挟んだ。
「……忠告には感謝するが、子供は放っておけないだろ」
フィオナ嬢をその場に残して、俺は子供のもとへと歩み寄った。
現状が分からないのに領主として介入すると厄介なことになるかも知れない。ゆえに俺は、通りすがりの一般人として「なにを騒いでるんだ?」と声を掛けた。
「別に大したことじゃない。その坊主が突っかかって来ただけで、こっちには騒ぎを大きくするつもりはねぇよ。って言うか、その坊主の知り合いなら手綱を握っておきな」
「いや、俺はこの子供の知り合いって訳じゃないんだが」
「なんだ、ただのお節介か? まぁ良い。声を掛けてきたってことは、仲裁する気があるんだろ? なら、その坊主の話を聞いてやりな。俺には関係ないからよ」
怪しげな気配を纏っていたが、思ったよりまともな反応だ。人さらいかなにかかと思ったが、これは俺の勘違いか? 分からんが、ひとまず少年の話を聞くか。
「少年、こいつはああ言ってるが事実なのか?」
「あいつが姉ちゃんを連れて行ったんだ!」
「攫ったってことか?」
「いや、そうじゃない、けど……」
少年の勢いが途端に萎れてしまう。
……なんだ? なにか込み入った事情があるのか? それとも、姉ちゃんが家を出て、彼氏と暮らし始めたとか……そんな感じか?
「納得できたか? だったら俺は行くぞ?」
「なっ。待てっ、姉ちゃんを返せって言ってるだろ!」
少年が再び男に突っかかる。事情はありそうだが、客観的に見ると少年の方に問題があるように見えてしまう。これ以上騒ぎを大きくすると見回りの兵士に見つかりそうだ。
「少し落ち着け。その男がおまえの姉ちゃんを攫った訳じゃないんだろ? それとも、あの男が姉ちゃんとやらの行方を知っている唯一の手がかりだったりするのか?」
「それは……違うけど」
「なら、もうちょっと状況を考えろ。このままだと、おまえが兵士に捕まるぞ? そうなったら、親が悲しむんじゃないか?」
「それは……」
犯罪ではないが、事情はあるといったところだろうか? 俺は屋台の前で待機しているフィオナ嬢に目で合図を送る。
フィオナ嬢はすぐに意図に気付いてくれたようでこくりと頷いた。
「ひとまず、俺が話を聞いてやる。だから、その男は行かせてやれ、良いな?」
「……分かった」
しぶしぶではあるが、少年は怪しげな気配の男から身を引いた。それを確認して、男に行ってくれと合図を送る。
「酔狂だなぁ。だが、感謝はしておくぜ」
「いや、お節介なのは理解してるから気にしなくて良い」
この男が善人か悪人かは判断できないが、怪しげな気配の持ち主であることには変わりない。少年と話す上でも邪魔そうなので、さっさと行ってくれと追い払った。
それから、焼き串を売る屋台のおっちゃんから串を追加。ついでに人混みに溶け込むように姿を消したフィオナ嬢に、先に帰るように伝言を頼んで、すぐ近くの空き地へと足を運んだ。
「それで、おまえの名前は?」
空き地にある石段に腰を下ろし、同じように腰を下ろした少年に問い掛ける。
「俺はラルフだ。兄ちゃんは?」
「俺はアレンだ。それで、一体なにを絡んでたんだ?」
買い足した焼き肉の串を渡しながら問い掛ける。ラルフは少し戸惑った顔をした後、ありがとうと言って串を受け取った。
だけどその肉には齧り付かず、ジッとその串を見つめる。
「あいつらが、姉ちゃんを連れて行ったんだ」
「だが、犯罪の類いではないんだろ? なら、おまえの姉ちゃんが望んで出て行ったってことじゃないのか?」
「犯罪じゃない。けど、望んで出て行った訳じゃない。姉ちゃんは……売られたんだ」
思わず無言で空を見上げた。
さきほどの男の怪しい雰囲気から察するべきだった。あの男は奴隷商だ。しかも、対応がまともだったことを考えれば正規の奴隷商だ。
つまり、売ったのはラルフの両親と言うことだろう。
ついでに言えば、娘が売られたのは高確率でロイド兄上の政策が原因だろ。ギリギリで生活していた者達なら、今回の一件で立ちゆかなくなってもおかしくはない。
「俺だって、分かってる。姉ちゃんは売られた。あいつらが姉ちゃんを買った。ちゃんとお金で取り引きされたんだ。返せっていうのがおかしいのは分かってる」
「そうか……」
ラルフの言っていることは正論だ。この国において人は売買される商品になり得るので、生活苦で娘を売ったことも違法ではない。
それでも、弟としては納得がいかないのもまた当然な感情だ。
「ラルフ、忘れろとは言わない。だが、おまえの親はきっと、家族を守るために仕方なく姉ちゃんを売ったんだと思う。だから、おまえが奴隷商に突っかかったりするのは……」
良くないと、最後まで口にすることは出来なかった。ラルフが不意に、ボロボロと大粒の涙を流し始めたからだ。
「お、おい、ラルフ?」
「ちが、違う……っ。父ちゃんは最初、まだ働けない俺を売ろうとしたんだ。でも、姉ちゃんが俺を庇って、代わりに自分が売られるからってっ!」
「……そう、か」
辛いな。
弟を守るために自ら犠牲になる姉の気持ちは分かる。
家族を守るために誰かを切り捨てなくてはいけない状況で、現時点で労働力にならない子供を売ろうとする親の気持ちも分かる。
娘の方が息子よりも可愛いという理由なら、親は判断を翻さなかっただろう。だが、判断を翻した。それは、姉の意見を採用したからであり、息子も可愛いと思っているからだ。
だが、親は自分を売ろうとして、姉は自分の身代わりになった。そんな状況で何事もなかったように生きていくのは難しい。
掛けるべき言葉が見つからなくて、俺は無言でラルフの背中を撫でつけた。その小さな背中に、どれだけの重荷を背負っているのかと考えるといたたまれなくなる。
ラルフの嗚咽だけが空き地に響く。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したラルフが顔を上げた。
「なぁアレン兄ちゃん。姉ちゃんは、姉ちゃんはどうなるんだ?」
「それは……どこかの家に売られて、働かされることになるだろう」
「酷い目に、酷い目に遭わされたりはしてないよな!?」
「ああ、大丈夫だ。奴隷とはいえ、犯罪奴隷と違って人権はある。無闇に傷付けてはならないといった決まり事があるんだ。だから、大丈夫だ」
断言しながら、心の中では嘘つきと自分を罵った。
無闇に傷付けてはならないという決まりがあるのは事実だ。だが、権力者なら隠れて虐待くらいやりかねないし、殺したとしても発覚する可能性は低い。
事故だったと権力者が主張すれば、それじゃ仕方がないと話は終わるだろう。
むろん、まともな雇い主ならそんな無意味なことはしない。普通の奴隷は働かせるために購入するのが普通だ。
だが、それでも、様々な仕事を強要されることだってある。
どうしたものか……
アオイのときとは事情が異なる。アオイのように本人が身売りする前なら、仕事を与えるなどの支援をすることで、間接的に助けることが出来た。
だが、既に売られた娘を買い戻すとなれば、内密にという訳にはいかない。誰か一人を助ければ、同じ境遇の者達が我も我もと詰めかけてくる。
だが、ロイド兄上が原因。
こんな風に事情を聞いてしまって、放っておくのは心が痛む。
「ラルフ、良かったらおまえの両親に会わせてくれないか?」
「姉ちゃんを助けてくれるのか!?」
「いや、それは無理だ」
期待に満ちた顔をしたラルフの表情が再び悲しげに曇る。
ぬか喜びさせてしまったことを少しだけ後悔する。だが、だからこそ――
「助けることは無理でも、どこへ売られたかくらいは調べられるかも知れない。だから、話を聞かせて欲しいんだ」
「……分かった、案内するよ」
ラルフの案内で表通りを歩き、そのまま職人通りへと足を踏み入れた。工房が建ち並ぶ区画の片隅でラルフは足を止めた。
「ここが俺の家だ。父ちゃん、母ちゃん、ただいまっ!」
「ラルフ!? どこへ行っていたのっ、心配したのよ!」
おそらくはラルフの母親だろう。どこかくたびれた様子のおばさんが、ラルフの姿を見るなり店の奥から飛び出してきた。
一呼吸置いて、親父さんらしき男も飛び出してくる。
「――ラルフだと! おまえ、どこへ行って――誰だ、おまえ。うちの息子になんの用だ」
ラルフの親父さんは、俺の姿を見るなり詰め寄ってきた。それとほぼ同時におばさんがラルフを自分の背後へと庇った。そんな親子関係に、俺は少しだけ胸をなで下ろした。
「俺はアレン。道端で奴隷商に突っかかってるラルフを見かけてな。そのままだと心配だったから、話を聞いて家まで案内してもらったんだ」
「なんだと、それは本当か!?」
親父さんがラルフに詰め寄る。
「い、いや、それは、えっと……」
「俺は本当かって聞いてるんだ、ハッキリ答えろ!」
「……本当だよ」
「――馬鹿野郎!」
親父さんのげんこつがラルフの脳天に落ちた。頭を抱えたラルフが涙目になり、なにかを言おうとする。だがそれよりも早く、親父さんが捲し立てる。
「奴隷商には、後ろ暗いことだって平気でやる奴もいるんだ。そんな連中に突っかかって、おまえにもしものことがあったらどうするつもりだ!」
「そんな奴隷商に姉ちゃんを売ったのは父ちゃんじゃないかっ!」
「な、なんだとっ!? 人の気も知らないで!」
「姉ちゃんを売る父ちゃんの気持ちなんて知る訳ないだろっ!」
二人は真っ正面から睨み合う。
けれど、親父さんの瞳には罪悪感が滲んでいて、それはラルフにしても同じことだ。どちらが悪い訳ではない。しいて言うのなら……ロイド兄上が悪い。
「それくらいにしたらどうだ?」
二人の間に割って入り、まずはいまにも食ってかかりそうなラルフと向き合う。
「おまえの気持ちは分かるが、親父さんを責めてもなにも解決しない。おまえが辛くなるだけだ。ホントは、分かってるんじゃないか?」
「お、俺は……」
ラルフはなにかを言いかけて、きゅっと唇を噛んで黙り込んだ。
子供が親に売られるというのは決して珍しい話ではない。食事が減り、暖炉にくべる薪が減り、衣類がボロボロになっても買い換えられない。
そんな風になれば、子供だって嫌でも理解する。
だが、理解するのと、納得するのは別物だ。この世の理不尽に対する怒り。不甲斐ない両親に対する怒り。姉に庇われて、なにも出来なかった自分に対する怒り。
そんな感情がごちゃ混ぜになって、誰かにあたらなければ耐えられなくなる。
だけど、それは結局八つ当たりでしかない。ラルフにもそれは分かっているようなので、結局は自傷行為にしかならない。
だから、止めておけと諭(さと)して、俺は親父さんへと向き直った。
「あんたも、そんな風に頭ごなしに怒ってどうする?」
「おまえみたいな若造になにが分かるっ!」
「ラルフを心配してるのは分かる。だが、その言い方じゃ逆効果だ。ラルフを守りたいと思っての言葉なら、もう少し考えて口にしろ」
「そ、それは……あぁ、もう。分かったよ!」
ガシガシと頭を掻いて矛を収めた。
だが、なにかに気付いたように俺に視線を向けてくる。
「それで、結局あんたは何者なんだ?」
「俺は……通りすがりのお節介、かな」
「はぁ?」
親父さんがいぶかしむ様にあごひげを撫でる。ラルフがすかさず「アレン兄ちゃんは、姉ちゃんがどこに売られたか調べられるかもって言ってくれたんだ!」と割り込んでくる。
「……本気で、そんなことをするつもりなのか?」
「まぁ、俺は商人なんで」
答えのようで答えになっていない。
そこからなにかを察したのだろう。親父さんはそうかと小さく頷いた。
「おい、こいつに茶を出してくれ。それとラルフ、おまえは奥で手仕事の練習をしてろ」
「えぇ――」
「それが出来ないのなら、俺とこいつの話もなしだ」
「うくっ。分かったよ。兄ちゃん、あとで話を聞かせてくれよな!」
俺が任せておけと応じると、ラルフは工房へと駈けていった。その姿を見送り、俺は親父さんへと視線を向ける。
「素直な良い子だな」
「……ああ、自慢の息子だ。娘と同じくらい、な」
親父さんがぽつりと呟く。深いしわが刻まれた顔には、言いようのない悲しみが滲んでいる。娘を売ったことにも相当な葛藤があったのだろう。
俺なら家財やらなにやら全てを売り飛ばしてでも家族を守る。
だがそれは、俺が身一つでも、冒険者として家族を養う自信があるからだ。それが出来ない以上、どちらかを犠牲にしなければ誰も助からない。
俺だって、フィオナ嬢とクリス姉さん、どちらかしか救えないと言われたら絶望する。片方を救う為に片方を切り捨てたら、絶対に自分を許せなくなる。
もしかしたら、どちらも選べずに両方失うことになるかもしれない。
だから、決断を下した親父さんを俺は尊敬する。
「親父さん、落ち込んでるところ悪いんだが、少し話を聞かせてくれないか?」
「……あぁ、良いぜ。だが、本当に娘がどこに売られたのか調べるつもりなのか?」
「いや……」
即答は出来なかった。
奴隷を無闇に傷付けてはならない。このルールがあるのは事実だが、逆にそれ以上の決まりはなにもない。うら若き女性の奴隷がどのような扱いを受けているかは想像に難くない。
運が良かったとしても、ラルフが安心できるような結果にはならないだろう。それを遠回しに伝えると、親父さんは渋い顔をした。
「それが分かってて、なぜ娘の行方を調べようとするんだ?」
「分かってるだろ。そっちは半分口実だ」
「やっぱりか。それで、本当の目的はなんだ?」
「ラルフのことが心配になってな」
「――っ」
親父さんが息を呑んだ。やはり、俺の予想通りだったようだ。
もともと、平民の奴隷の価格は安い。
力の弱い女子供を働かせたとしても、たいした収入にはならない。というか、収入になるのなら、自分の子供を売ったりしない。働かせても赤字になるから子供を手放すのだ。
だが、働ける娘を売って、まだ働けない息子を残した。
食い扶持が減った分、手仕事による収入も減る。赤字が多少は緩和されるとしても黒字になる訳ではない。娘一人を売った金額で生活が楽になるとは思えない。
「問題ない。今年は乗り切れるはずだ」
「……そうか」
今年は――つまり、来年は分からない。
厳しい現実ではあるが、予想の範疇でもある。
領主の俺が、一人の娘を買い戻すなんてことは出来ないが、その娘が守ったラルフが売られないように手を貸すことくらいは出来る。
これは俺個人としてではなく、領主としての役目でもある。
だから――
「なぜ、そこまで生活が苦しくなったのか教えてくれないか?」
「なぜだと? そりゃ、物が売れなくなったからに決まってるだろ」
「だが、まったく売れないって訳じゃないだろ? 交易商だって、以前よりは減ったかも知れないが、ゼロになった訳じゃないはずだ」
「まぁ……そうだな。だが、商品の多くは暴落しているからな」
「……暴落? 詳しく聞かせてくれ」
購買意欲が下がれば物価は下がる。
だが、商人が来なくなれば商品も少なくなる。食料などの物価は上昇傾向にあった。そんななかで、商品が暴落というのは少々驚きだ。
ゆえに親父さんから詳しい話を聞いたのだが――なんとなく全容が見えてきた。
一度税が下がったことで、町民はいままで買い換えたくても手が出なかった商品に手を伸ばした。それによって景気は良くなり、商人達が町に集まってきた。
物がよく売れるようになり、手仕事をする者達も急激に増えていった。
だが、そこで急に税が元に戻された。それで衝撃を受けた町民達は、年を越すために財布のヒモを固く結ぶ。その結果、交易商達の足は遠のいた。
ここまでは俺の予想通りだが、ここからが俺の予想を超えていた。
他所から買い付けていた食材が不足して、食品は高騰していく。それによって生活が苦しくなった民衆達は、一層手仕事を増やして行く。
その結果、生活必需品ではない商品が飽和して価格が下落した。屋台のおっちゃんから話を聞いたときに抱いた違和感の正体がこれだ。
厄介なのは、そんな状況であるにもかかわらず、交易商の足が遠のいたままということだ。
食料は高騰傾向にあり、持ち込めば多少割高でも売ることが出来る。反面、この町で仕入れる商品は割安で手に入れることが出来る。
交易商としては、どちらかと言えば美味い状況になりつつある。
にもかかわらず、交易商が戻ってこないのは……周囲にルコの町より旨味のある町があるからに違いない。
要するにジェニスの町が影響を及ぼしている。
労働の対価に食糧を支援する。それだけではまかないきれないかも知れない。
あの時点では味方の町として認識していなかったので後悔はしていないが、それで罪悪感がないと言えば嘘になる。
早めに手を打つ必要がありそうだ。
「色々話を聞かせてくれて助かった。お礼と言ってはなんだが、商品を見せてくれ。いくつか買わせてもらって、気に入ったら今後も取り引きさせてもらう」
いくつかの商品をサンプルとして購入。
それらを鞄にしまって、ラルフにはまた顔を出すと伝言を残す。俺はこの町を救うための対策を立てながら屋敷へと舞い戻った。
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