閑話 フィオナが秘めた記憶の欠片 前編

 子供の頃、私は長男――ランドル兄さんに虐められていた。

 理由は……ただ単純に私のことが気に入らなかったんだと思う。ただ気に入らないって理由で、髪を引っ張られたり、意味もなく罵られたり……とにかく、虐められていた。


 でも、ランドル兄さんに比べると私の立場はとても弱くて、逆らうことなんて出来なかった。ずっと我慢して生きていくしかないんだって、そう思っていた。

 だけど――


「やめろよ、兄さん! エリスが可哀想だろ!」


 ある日、メレディス兄さんがそう言って私をかばってくれた。それまでろくに話したこともなかったのに、虐められてる私を見つけてかばってくれた。

 そのとき初めて、私はメレディス兄さんが優しい人なんだって知った。


 その日から、私がランドル兄に虐められることはなくなった。そのかわり、メレディス兄さんがランドル兄に虐められるようになった。


 私のせいで、メレディス兄さんが虐められるようになった。自分をかばってくれたメレディス兄さんが虐められているのを見るのは、自分が虐められる以上に辛い。


 なのに、メレディス兄さんは私をかばって立ち向かうことを許してくれない。それどころか『自分といたらおまえがまた虐められるから』って、私を遠ざけようとする。

 私はなけなしの勇気を振り絞ってメレディス兄さんに纏わり付いた。


「ねぇねぇ、メレディス兄さん、私、バームクーヘンが食べたい!」

「……はあ? なら、料理長にお願いして作ってもらったら良いじゃないか。というか、俺に近づいたらダメだって言っただろ?」


 最初の頃はこんな感じだったと思う。

 だけど私はめげなかった。メレディス兄さんが虐められて落ち込んでるのを見るたびに、私はなにかと理由をつけて纏わり付くようになった。


「ねぇねぇ、遊ぼう!」

「はぁ? なんで俺が……使用人の子供とか、遊び相手はいるだろ?」

「やだやだ、私はメレディス兄さんに遊んで欲しいのっ! ねぇねぇ良いでしょ? 私、メレディス兄さんの作ったバームクーヘンが食べたいの!」

「はぁ、仕方ないなぁ……」

「バームクーヘンなんて作ったことないから、上手く出来なくても文句言うなよ?」

「わぁい、ありがとう兄さん、だーい好きっ!」

「ほんと、おまえって調子良いよな」


 迷惑そうな顔をしながらも、次第に私に構ってくれるようになった。その代わり、メレディス兄さんは私のことをわがままな子だと思うようになったと思う。


 だけど……良いんだ。私のわがままに困った顔をしながらも、メレディス兄さんが少しだけ笑うようになってくれたから。


 いつかはお互い政略結婚で別々の家に行くことになると思うけど、それまでは一緒に楽しく過ごそうね、メレディス兄さん。




 それから少し月日が流れて、ランドル兄さんが当主に選ばれた。

 私達の結婚は、ランドル兄さんが自分の地位をたしかなものにするために使われる。だから、メレディス兄さんとの幸せな時間もこれでお終い。

 寂しいけど、ずっと前から分かっていたことだからと諦めるつもりでいた。

 だけど――


「え、家を出て行く……の?」

「実質の追放処分だけどな」


 メレディス兄さんの言葉に衝撃を受けた。

 お互いが別々の家に出されるのなら、離ればなれになるしかないと思ってた。けど、兄さんが家を出るのなら話は別だ。

 私は書き置きだけを残して家出して、メレディス兄さんの後を追い掛けた。


「兄さん兄さん兄さんっ!」

「エリス、おまえどうしてここに!?」

「えへっ。政略結婚が嫌だから家出しちゃった」

「……は?」

「だから兄さん、私を養って!」

「………………は?」


 兄さんがいままでみたことのない惚けた顔をする。

 最初は難色を示した兄さんだけど「兄さんは私がどこかのエロ親父の慰み者にされても平気なの?」って泣きついたら最終的には折れてくれた。

 なんだかんだ言って、兄さんって昔から私に甘いよね。兄さんも、私と一緒にいると楽しいって思ってくれてるのかな?

 もしそうだったら……嬉しいな。



 とにもかくにも、兄さんと私は旅をして、やがて行き着いた小さな町で、ダンジョンに潜って魔物を狩る冒険者としての暮らしを始める。


 貴族としての教育課程で、兄さんは剣術を、私は魔術を習っていた。だから、魔物を狩るお仕事なんて簡単だと思っていたけど、やってみるとこれが凄く大変だった。

 訓練と実戦がいかに違うかを思い知らされた。


 だけど……たぶん私達は才能があったんだと思う。

 最初は低ランクの依頼をこなすのがやっとだったけど、徐々に高ランクの依頼をこなせるようになり、冒険者として安定した暮らしを手に入れることが出来た。


「えへへ、兄さん兄さん。今日も魔石が一杯だね!」

「ああ。でも、俺の剣じゃあんなに早く倒せない。エリスの攻撃魔術のおかげだな」

「兄さんが敵を引きつけてくれるからだよ」

「そっか。なら、俺達は意外と相性が良いのかもしれないな」


 兄さんが笑顔を浮かべる。もちろん、戦いのパートナーとしての話だって分かってたけど、私はたまらなくなって兄さんに抱きついた。

 兄さんは相変わらず迷惑そうな顔をしてたけど、以前よりずっと明るくなったよね。


 だけど……うぅん、だからこそ、かな。私は調子に乗っちゃったんだと思う。ある日、もう少し生活を良くしたいと考えた私は、兄さんにこんなお願いをした。


「ねぇねぇ兄さん。私が石鹸を作るから、シャンプーとリンスを作って!」

「……はあ?」

「だ か ら、シャンプーとリンスだよ! ほら、平民が使うのって、貴族が使ってるのより品質がだいぶ落ちるでしょ? だから、もっと使いやすくて、しかも安いの、作っちゃおうよ」

「作っちゃおうって……そんな軽く」


 兄さんには呆れられたけど、私には勝算があった。

 貴族令嬢として暮らしていた頃から生活用品には不満を抱えていて、なんとか出来ないかなって色々と調べていたからだ。


 あの頃は、色々研究する資金や環境はあっても、素材に対する知識が圧倒的に足りてなかったけど、いまの私は違う。

 冒険者として町で暮らす私は、魔物からどういう素材が入手出来るのかとか、平民がどんなものを使っているのかとかが分かる。

 貴族時代の研究成果といまの知識を併せれば、必ず高品質で、しかも値段を抑えた新しい商品が作れるって思ったんだ。




 その日からシャンプーやリンス、それに石鹸を開発する日々が始まった。その頃には冒険者として名が売れ始め、様々な人脈も手に入れていた。

 それらの人脈を駆使して、私達は商品の開発を一気に加速させる。

 いくつかの試作品が完成した頃には冒険者としてだけじゃなく、石鹸やシャンプーとリンスを作った人物としても有名になっていた。


 朝起きて兄さんと出掛けて、ほかの冒険者が手こずるような魔物を狩っていく。そして帰ってきたら一緒に生活用品の研究をして、一緒にご飯を食べて夜になったら眠る。

 屋敷で暮らしていた頃は、こんな幸せな日々を送れるなんて思ってもいなかった。


 幸せすぎて泣きそうになる。


 メレディス兄さんに庇ってもらったあの日から、私達は本当の兄妹になった。

 だから、これからも妹としてで構わないって思ってた。けど、これじゃもっともっと幸せになりたいって……思っちゃうよ。


 私が兄さんを追い掛けてきた本当の理由を打ち明けたら、兄さんはどう思うのかな? 付き合いきれないって、私の側から離れていっちゃうのかな?


 なんて、兄さんが私を捨てるはずないよね。最初は不安で言い出せなかったけど……いまなら兄さんを信じられる。

 だから、家に帰ったら、兄さんに本当のことを打ち明けるね。


 そんな風に決意して、兄さんの待つ家に帰る。

 そうして私が目にしたのは――血だまりに倒れる兄さんだった。



「……え? 兄さん? メレディス兄さん!?」


 私は慌てて駆け寄ってその身を抱き起こす。

 身体はまだ温かい……けど、脈は残っていなかった。認めたくないのに、冒険者として培った知識が、兄さんは既に死んでいると訴えてくる。


「嘘、どうして? 兄さん、やだよぅ。兄さんっ! 兄さん! どうして、どうしてこんなことにっ。うあああああああぁぁあぁああああっ!」


 兄さんの亡骸を抱きしめて泣きじゃくった。


 それから後のことはあまり覚えていない。悲鳴を聞きつけたご近所さんが人を呼んで、ほどなく駆けつけた冒険者仲間に保護された。



 兄さんの遺体は他殺だった。

 兄さんの遺体を見て動揺した私は気付かなかったけど、周囲には兄さん以外にも複数人の遺体があって、全員に兄さんと争った跡があった。

 兄さんは何者かに襲撃されて、襲撃者達を道連れにして亡くなったようだ。


 悲しくて、兄さんを殺した誰かが憎くて、私は襲撃者達の身元を探ろうとした。

 だけど、身元に繋がるようなものはなにも持っていなくて正体は不明。犯人が死んでいるため、町の警備の人達による捜査もあっさりと打ち切られた。


 そして――冒険者仲間、それに商品の開発に携わる者達で兄さんを弔うことにした。

 町の共同墓地に親しい仲間達が集まって、兄さんの死を悼んでくれている。それを理解した瞬間、兄さんがもうこの世のどこにもいないんだって思い知らされて泣き崩れた。



 静かな共同墓地に嗚咽だけが響き渡る。

 どれくらい泣いていただろう? ようやく落ち着きを取り戻したころ、冒険者仲間の女性が私の元に歩み寄って来た。


「――エリス、さっきこんなものが届けられたんだけど」


 困惑した顔で差し出されたのは花束。

 涙でにじんだ視界にその花束を映した私も困惑する。

 この世界には死者を悼んで花を贈るという風習がある。だけど――その花束は華やかな彩りで纏められていて、死者を悼むのではなくお祝いに贈るような花束だった。


「なによ……これ、どういうこと?」


 たまたま、兄さんの死を知らなかった誰かが別件でお祝いの花を贈ってきた。

 そんな可能性を考えて怒りを抑え込もうとする――けど、花束の中に隠されていたメッセージカードを見つけて視界が真っ赤に染まる。



『下賤な血筋が途絶えることを心よりお祝い申し上げる』


 メッセージ自体が喧嘩を売っている。

 だがなにより重要なのは、下賤な血筋という言葉。


 私やメレディス兄さんが貴族出身であることは、一部の者には知られていた。石鹸やシャンプーとリンスを開発して販売する過程で貴族と接触することもあったからだ。

 だが、メレディス兄さんの母親が平民の妾であることを知る者はそう多くない。なにより、母親が平民で妾だったとしても貴族の子には変わりない。


 平民からすれば高貴な血筋と表現しても、自分達と同じ平民の血が混じった貴族を下賤な血筋と表現するはずがない。


 つまり、花束を贈ってきたのは――ランドル。

 ランドルが黒幕だとすれば動機も見えてくる。


 私や兄さんは冒険者として成り上がり、商品の開発でも有名になっていた。そんな自分達のことを、一部の貴族は知っていた。


 だけど、ランドルはメレディス兄さんを無能として追放した。

 そんな兄さんが貴族の耳に届くほどに成功を収めた。それはつまり、メレディス兄さんを追放したランドルにこそ見る目がなかったのだという証明になる。


 だから、ランドルは兄さんを殺した。自分の名誉を守るために兄さんを殺した。私のたった一人の大切な家族を殺した――仇。


「私は、兄さんと一緒に楽しく過ごしたかっただけなのに……」


 私が調子に乗って石鹸やシャンプーとリンスを開発しようなんて言わなければ良かったのかもしれない。私が間接的に兄さんを殺したのかもしれない。

 だけど、一番悪いのがランドルであることに変わりはない。

 だから――


「必ず……必ず、兄さんを殺した報いを受けさせてやる」

 

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