立花さんは委員長。
紺野竜
第1話 星に願いを。-01
夜。読書に勤しんでいると、不意にシュウクリームの味が頭に浮かんで消えた。
今の味はシュウクリームだなと思うと、どうしようもなくそれを頬張りたくなった。もう日付も変わってしまったし、こんな時間に糖分を胃袋にぶち込むとなると何となく躊躇ってしまうが、それでも生クリームとカスタードクリームのWクリームがぎっしり詰まったあれを想像すると、僕は重い腰を上げざるを得ないのだった。
家から徒歩で十五分という割とコンビニエンスでない場所にあるコンビニで、僕はしばらく雑誌を立ち読みして、目的のブツとお茶とを買った。
「七十五円のお返しでーす。ありがーしたー」
この時間のコンビニ店員はどれも死んだような眼をしていて、それが何故だか心地良い。彼らの虚脱感を、僕は愛しているような、そんな気がする。
外に出るとやはり少し肌寒かった。最近ようやくやって来た春も、深夜はあまり稼働していないらしい。僕は肩を縮こまらせて、沈黙する町の中を歩き出した。
見上げると、遥か遠くに星が煌めいている。あそこに宇宙があるのだと思ったら、なんだか悲しいような寂しいような不思議な感覚に陥った。
外灯にぼんやり照らされた道を歩いて行くと、寂れた石段が見えた。そこを上がって行けば鳥居があって、その向こうに神社がある。それは知っていたが、実際に上がってみたことはなかった。
行ってみようか。
ふとそのような考えに至った。たぶん先ほど読んでいた本が、えらくファンタジックな毛色だった故の判断だろう。普段の僕ならさっさと帰宅して自分の部屋にてシュウクリームを堪能しているところだが、この時はそのシュウクリームをあの神社で星でも眺めながら食べてみてもいいかなとか思っていた。
まだ夜は長い。よし、行こう。
僕は買ってきたお茶を一口飲んで、意気揚々と石段を駆け上がった。
それが間違いだった。なぜあの瞬間、自分の超絶メルヘンな思考に従ってしまったのだろうかとひどく後悔した。そもそもシュウクリームなんて買いに出なければよかった。家で大人しくあの本の続きを読んでいればよかったのだ。僕はなんて愚かなんだろう。あああ。
順を追って説明する。
石段を半分ほど上がったとき、神社の方から何やら音がした。金属で金属を叩き付けるような、甲高い音だった。
さらに上がって行くと、その音に混じって何者かの声がした。耳を澄ましてよく聞いてみると、どうやら女の人の笑い声であるらしかった。携帯に目をやると、時刻は午前二時を回ったところだった。先程までのファンタジック且つメルヘンティックな気分が、忘却の彼方へとぶっ飛んでいくのがわかった。このような時間に女性が一人で神社にて不可解な音を鳴らしつつくすくす笑っているなど、どこをどう考えたってまともじゃない。
脳みその端っこで、警告ランプが赤く光った。これ以上近付くな。直ちに回れ右。
だが、同時に胸の奥底で生じた感情があった。それは、もう数段いけばその姿を現すであろう女の正体をこの目で確認したい、こんな夜分遅く女が何をしているのか知りたい、あの音の正体を確かめたいという、端的に言えば好奇心なのであった。
気付けば異様に喉が渇いていた。少しだけお茶を流し込む。
行ってみようか。
またもやそんな考えに至った。
その時の僕には妙に自信があった。相手もこんな時間に人が通りかかるなんて考えてもみないだろう。ちらっとだけ見てササッと退散すれば大丈夫だ。仮に見つかったとしても、相手は女だし、余裕で逃げ切れるさ。そんな原因不明の自信が、胸の奥から湧き水のごとく溢れだしていた。
今にして思えば、これが死亡フラグだったのだ。もしこれがホラー小説なら、読んだ僕は「あーあ。何でここで見に行っちゃうかなあ。主人公馬鹿過ぎ」なんて言いながら先の読める展開に本を投げ捨ててしまうかもしれない。でもいざ自分が主人公の立場になるとその気持ちがよくわかった。一刻も早く音の正体を確かめ、安心したい。このもやもやした恐怖から少しでも早く逃れたい。人間という生き物は「未知」という存在を異様に恐れ、それをなんとか理解し説明をつけることで、心の平穏を保とうとする。知りたがりの人間は、憶病なのだ。
意を決して、僕は再び石段を上がり始めた。なるだけ足音をたてないように、静かに、慎重に。周りの景色に自分を溶け込ませ、静寂を装いながら、ゆっくり、ゆっくり。
少しずつ、音と笑い声が近づいてくる。もう少しだ。
ついに石段が終わった。僕は急いで朱色の鳥居に身を隠し、そろりと顔を出した。
絶え間なく鳴り響く音を、目で辿る。
真っ白な女が、大きな木の前に立っていた。
他に生えている木よりも明らかに太く立派なその木は、幹にしめ縄が飾られていて、どうやらこの神社の御神木であるらしいことがわかった。
女は、それに向かって不気味に笑っていた。
「っふふ……うふふふ……」
ずっと気になっていた音の正体もわかった。それは金槌が釘を打ち込む音だった。それも日曜大工などでよく使用されるような普通の金槌じゃない。「ハンマー」という言葉の方がしっくりくるような、馬鹿でかい金槌だ。あんなのビルの解体映像とかでしか見たことがない。僕の身長ほどある鎚はかなり重量もありそうなのに、女はそれを両手で軽々と持ち上げてみせた。そしてそのまま御神木目掛けてフルスイングしたかと思うと、またあの不快な金属音が神社中に鳴り響いた。
――――丑の刻参りだ。
すぐにそう判断した。白装束を着た人間が藁人形に五寸釘を打ち付け、憎き相手を怪我させたり殺したりするという呪いの儀式。今の状況からして、あの女のしていることはそれに違いなかった。
「まじですか……」
思わず声を漏らしてしまい、慌てて口を塞ぐ。幸い女には気付かれていない様子だった。僕はホッと胸を撫で下ろし、もう一度女をよく観察した。
「ひひひひ……ひひ……」
近くに来てわかったことだが、女の声は予想していたよりもかなり若かった。顔は長い髪に隠れてよく見えないが、もしかしたら年齢は僕とあまり変わらないのかもしれない。
女が一心不乱に金槌を振るう度に、御神木が大きく揺れる。
丑の刻参りなんて本でしか読んだことがない。まさか本当にそれを実行しようなどという人間がいようとは思わなかった。視線の先の彼女は誰かを憎み、呪い、その人物を本気で死に至らしめようとしている。凄まじい悪意。強烈な憎悪。日々平々凡々と暮らしてきた僕にはどうも刺激が強すぎる。そういうのは物語の中だから楽しめるものなのだ。
ただ、本から得た自分の知識を参考に見てみると、妙な点も多くあるように感じた。
例えば女の格好は白い服ではあるものの、やたらめったらフリルの付いたワンピースだし、釘を打ち付けているのも藁人形ではなく可愛らしいテディイベア(それはそれで薄気味悪いが)だ。あのでか過ぎる金槌にしたってそうだ。他にも所々で僕の知っている丑の刻参りとは違っている。まぁ、あの女が正式な方法など調べもせず、自分の浅い知識だけで大した準備もないままにあれを実行してしまっているのだとしたら納得がいく。要するに無知なのだ。それで相手を殺せるつもりでいるのだとしたら、非常に残念なお方である。勘違いで腹に釘をぶち込まれているクマが不憫でならない。
だがこの科学の時代に呪いの儀式を実行しようなどという時点でもう頭がアレなのは確定しているので、僕は当初の予定通りこの場を切り上げてさっさと退散することにした。
丑の刻参りではこの行為を他人に目撃されてしまった場合、自分自身に呪いが返ってくるといわれている。だからその時は直ちに目撃者を殺害せねばならない。であるからして、もしこのタイミングであの女に僕の存在を知られようもんなら、僕の命は風前の灯火である。それだけは避けなければ。
よく耳にする怪談話では、丑の刻参りを目撃した主人公が焦って木の枝等を踏んでしまい、女に見つかってしまう。だが僕はそんなに馬鹿じゃない。足元をよくよく確認し、気配を消失させたまま、そっとそーっと石段を降りるんだ。そしてその場をやり過ごしたと同時に全力疾走。一時も止まらずに帰宅。そのまま就寝オヤスミナサイ。完璧な計画だ。
よし、それでは名も知らぬちょっと頭のアレなお姉さん、僕はこれで失礼します。憎い相手が怪我でもすればいいですね。さようなら。
「あああ、やっとあえた」
えっ?
えっ。
えっ、えっ……え――っ……。
さっきまで向こうにいたはずの女が、目の前にいるのはなんでだろう。なんで彼女は僕の目を真っ直ぐに見ているんだろう。あれれれれ。なんで、どうして、なんでそんな、はず……。
「うれしいなあ。うれしいなあ。うふふ」
大きく見開かれた目。不自然に歪むくちびる。
「ねぇ、きょうは、ほしがきれいだね」
「ね」
「ね?」
女は歯をむき出しにして、笑った。
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