快楽と忘却

金星人

忘却

日が西の空へ沈む頃、ある男が下を向きながらトボトボと歩いていた。

「はぁ、今日は上司にこっぴどく怒られたなぁ。」

仕事でミスをしてまったのだ。彼はとある会社に3年ほど勤めていた。そこで今日はお得意様のところへ商品を詰めた300箱ほどの段ボールを送るはずが彼が間違えて廃棄予定だった段ボールを送ってしまったのだ。そのお得意様はこの会社にかなり出資していおり、この方に対するミスは特に許されない。それなのに彼はごみを送ってしまったのだ。送って直ぐに他の同僚が、送るはずの品の山積みになっていることに気付き、お得意様のもとへ届く前に回収出来たため、最悪の事態は免れた。しかし納品がやはり遅れてしまった為上司含めて同僚たちが怒るのも当然だった。

「お前は本当にとんでもないことをするところだったんだぞ。全く、今回の納品でゴミなんか送りつけてたらこの会社はお陀仏になるのは確実だった。頼むからきちんとチェックをしてから次の手順をするんだ。この間だってそう言ったばかりだろ?」

「そうでしたっけ?」

「とぼけるな!前回の会議の資料、図が全部逆さまになっていたではないか。そんなだからあだ名

がおっちょこちょいなのではないか。」

「はぁ、」

「頼りない返事だな、おい。

まぁ良い、今回は何とかなったから。次こそは気を付けてくれよ。」

彼は帰りながら上司の言葉を思い出していた。

「はぁ、俺は情けないなぁ。何であんな間抜けなミスをしてしまったのだろう。別に寝不足というわけでもないのに。」

考えてもあのような単純なミスをした理由がわからなかった。そのように考えていると段々とやり場の無いイライラが込み上げてくる。

「あぁ、もう!考えたところで分かるか!どっかで一杯やって気分転換しよう。」

そう思ってふと顔をあげると見知らぬ店があった。いつもの帰り道なのに。

何故今まで気づかなかったのだろうか。

その店はとても古くさく、看板も薄れて何と書いてあるかもわからなかった。こんなみてくれでは興味はそそられない。だから今まで気づかなかったのか。しかし今日は気分転換がしたい、確かに居酒屋ではなさそうだが、何か自分の知らないものに手を出したら新しい発見があるかもしれん。そう思って男は店に入ることにした。

カランカラン、と鈴の音を立ててドアを開けた。

「ごめんくださーい。」

「…………」

誰もいないのだろうか。そう思いながら店の奥に目をやるとおばあさんが一人、小さな椅子に座っていた。こちらに気づいたらしく、にっこりと笑って会釈をした。しかしそれ以外に目に入るものはなく、商品なども何も置いてなかった。

男は彼女に近寄った。

「すみません、ここは何かの店なのでしょうか。看板の文字も消えかけていてよくわかりませんでした。」

「まぁ、端的に言えばあなた様の欲しいものを売るところ、と言ったら良いかね。何か嫌なことがあって気分転換でもしようと立ち寄ったのでしょう?」

「よく分かりましたね。占いか何かですか。そうしたら、自分の今後の運勢でも占ってもらおうかな。是非お願いしますよ。」

「いやいや、そんなうさんくさいことはしてませんよ。嫌なことがあったら忘れる。長年生きてきましたが、結局そうするのが一番だと思いますよ。しかし最近の者はそれが出来ず暗い顔をする人が多い。ですから私はそのお手伝いをしようと思ってこの店を営んでいる次第なのです。」

「はぁ。」

「貴方もその一人と見受けられる。どうですか。1つどうぞ。」

そう言って彼女は自分のエプロンのポケットの中から白い粉が入った包み紙を出して渡した。

「そんな危ないもの、受け取れませんよ!いくらなんでも、そこまで思い詰めてませんし。」

「そんなものでは有りません。いや、もっと素晴らしいものと言うべきかね。これを飲むと今日起こった、嫌なことに関連する記憶や心身の傷をきれいさっぱり消し去るることが出来るのです。勿論、依存性や健康への害は有りませんよ。どうです?欲しいでしょう?」

「なんだ、占い師よりも怪しい店だ。来て損した。そんな訳のわからないもの買うわけないでしょう。」

「そういうと思いましたよ。仕方ない、少し見ていてください。」

そう言うと彼女は奥から犬を連れてきた。そしておすわり、と言って犬を座らせるとポケットからムチを取り出していきなりぶち始めた。男は驚いて慌てて止めに入る。

「止めてください。何してるのですか。客が買わなかった腹いせでペットにあたるなんてあんまりだ。ひどすぎる。」

犬は吠える元気もないほど弱ってしまっていた。全くとんでもない店に入ってしまった。今日はさんざんな日だった。

「大丈夫ですよ。これを飲ますとですね…」

彼女は犬の口に粉を流し入れ、水を飲ませた。

するとどうだろう。先程までの衰弱具合が嘘だったかのように犬が元気になっている。男は信じられず、犬に近寄る。毛を掻き分けてみるとムチの跡もない。心配の眼差しで犬を見つめると元気良くわん、と吠えた。確かに元気になっている。犬は彼女の側に寄り、ブンブンと尻尾を振っている。ムチで打たれたことを忘れてしまったようだ。本物なのだろうか。

「凄い効き目ですな。しかし手品の何かということはないのですか」

「疑り深い人ですね。これが薬の効能なのですよ。このように服用するだけで嫌なことがなかったことになるのです。まぁ、騙されたと思って、どうです?試しに1つ。」

「確かに貴方が嘘をついているとも思えないしなぁ。まぁ、買うだけなら」

男は疑いつつもいくらか支払い、1つ包みを購入した。家に帰って飯と風呂を済ませ、テーブルに置いた包み紙の粉を見つめる。

「本当にこんなものが効くのだろうか。

でもこれが効くなら今日してしまったことを忘れられるのか。」

上司の鬼のような形相、皆からの嘲笑のような目線。今日のことを思い返すとおっちょこちょいな自分が恥ずかしくてたまらなかった。これを飲むだけで忘れられるなら…よし。

彼は粉をコップに注いだ水に溶かし、ぐびぐびと飲んだ。

すると彼はぷはーっと息を吐いた。

あれ、何をしてたんだっけ?

今日は会社に行って仕事をして…

でもまぁ特にへまはしてないし、上手くやれていたはずだ。何故だか詳細が上手く思い出せんがそんな気がする。良くは分からんが今日は会社から帰ってきたのに変な疲れ方はしていないし、達成感がある、気がする。今日はなんだかぐっすり眠れそうだ。

そうして彼は部屋の明かりを消してベッドに入る。

そして翌朝_。

「今日はなんだかよく寝れたな。

今日も仕事、うまくやるぞー!」

意気揚々と会社へ出かけた。

「お早うございます、部長。」

「全く、いつもいつもへまに懲りずに元気だなお前は。」

「は?」

「私もその頭が欲しいよ。気楽そうで羨ましい。ま、今日は頑張りたまへ。」

「はい。」

そう言って席に着き、メールをチェックしようとパソコンを開ける。

カチッ。

あっ、あーー!

皆がこちらを見る。

「今度はなんだよ。何をやらかした。」

「間違えてメールを全部消してしまいました。依頼内容とかまだ見てなかったのに…。」

「もぅ、何をやってるんだよ!」

そんなこんなで彼は今日も一苦労。しかし薬を飲んでいるので昨日の失敗を覚えていない。

そして帰り道に一人反省会が始まる。

「あぁ、今日は何でこんなミスをしてしまったのだろう。」

と考えながら歩いているといつも通っている道なのに見知らぬ店があって……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

快楽と忘却 金星人 @kinseijin-ltesd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ