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 宰相はカール――否、マローノだ――にゆっくりと近づき、その頤を細い指でぐいっと掬い上げる。

「……従者で、替え玉じゃなかったんだな」

 思わず、ゴラン・ゴゾールは呟いていた。宰相は鼻を鳴らした。

「何を企んでおるのかは知らぬが、お前たちごとき、私が手に入れた秘宝の力を前にして、手出しできることは何もないだろう」

 視界の端では、背にレミを庇ったルパが、ジン・タオモを睨みつけている。睨みつけられている父親の方は無表情だが、ゴラン・ゴゾールには、どこか悲しそうに見えた。

 リタは諦めの表情だ。僅かな日々を共にした第一王子は、今や何かを考えている顔ではない。双子が命乞いをしてくれればよいのだが、その為にはこちらに注意を向けさせなければならなかった。ゴラン・ゴゾールは考えた。己の母が預けたものを取り戻そうとしている――第一王子が溢したことを反芻する。ジン・タオモは味方かもしれない。

 ゴラン・ゴゾールは思った。何とかして意思疏通をはかれるだろうか?

「宰相殿は、謁見の間で、チーズのことは何も言わずに、女の子だけを秘宝だと仰ったな」

 ゴラン・ゴゾールの言葉に、宰相の眉がぴくりと跳ね上がる。

「人のみに言及すれば、私が襲われる機会は減るであろう」

 この宰相は、ここで戦ってはいけない相手だ。それだけはわかった。だから、城から離れる必要がある……敢えて、アルタン族の領域でやりあうのが相応しいような気がした。だから、嘘がつけなかったはずのゴラン・ゴゾールは、思考を必死に回転させて、更に畳みかけた。

「それなら話が早くて助かる。おれは秘宝のある砂漠から、知識を得て戻ってきた。宰相殿に助力しよう。伝説のチーズを食えば力が手に入れられるとも仰ったな?」

 宰相は無言で眉を上げた。続けろという合図だろうと解釈して、ゴラン・ゴゾールは腕や脚から力を抜き、また口を開く。

「確かにチーズは必要だが、巫の力とチーズを秘宝に宛がうことで、秘宝の真の力が解放される。レミを連れていくのは正解だった。だが、一組の双子の片割れにすぎない。そこで、ここにいる少年はルパという名前だが、この子も、一組の双子の片割れだ。この子たちは二人揃って初めて力を使えるようになる。揃っていないと駄目だ、レミだけを連れて行っても無駄だ。宰相殿はそれをご存じで、だからレミだけを連れてきて、必ず誰かが追いかけてくると予想をして、そうしておれたちが来た。それから、ルパだけを引き取ろうとなさったんだろう」

 視界の端で、ジン・タオモがこちらを注視しているのが、ゴラン・ゴゾールにはわかった。己の意図をわかって欲しいと思いながら、必死で喋り続けた。

「チーズも巫も必要だ。だが、それはちゃんとした砂漠の秘宝じゃない。秘宝は砂漠にあるんだ」

「犯罪者の言うことをそう易々と信じられると思うのか、貴様は」

「……おれは何もやっていない。カストーノ殿下はご存命だし、マローノ殿下もそこにいる」

「犯罪者になるかならないかは個人の自由だが、個人を犯罪者にすることは誰にでもできる」

 しゃらり、と金属の音を腰から響かせながら、宰相は冷たく言い放った。抜かれた剣が地下牢の微かなランプの灯りに鈍く反射する。

 そのまま鋭い切っ先が喉元に向かってくるのをなすすべもなく見つめていた時だった。

「信じるしかないでしょう」

 落ち着いた声が剣を止めた。視線を動かしてみれば、ジン・タオモが、何だか含みのある笑みを口元に浮かべている。宰相は凄まじい表情で彼を振り返った。

「何だと?」

「これは、嘘をつかない、真面目で勤勉な男である……との評判を有していた者です、ヴォプロ様」

宰相は、剣を握っている腕から力を抜いた。剣先が、喉元から胸の方に落ちてきて、ゴラン・ゴゾールは慌てて胸と腹を引っ込める。間一髪、シュン、と音がして、従者の服の胸元がさっくり綺麗に切れた。滑稽な体勢になったのが面白かったのだろうか、ジン・タオモはフンと鼻を鳴らして、続ける。

「先程レミに踊らせましたが、何も効果はありませんでした。そうだろう、レミ?」

「うん」

 レミは素直に頷く。ルパが、そんな己の半身を、信じられないものを見る目で凝視していた。鍛え上げられた武人でもあったゴラン・ゴゾールは、この機会を決して逃さなかった。

「その力を証明できるものがある。おれの背負っていた背嚢を持ってきてほしい」

 宰相は暫し考えたのちに、警邏の者をひとりゴラン・ゴゾールから外し、伝令として送り出した。情報提供をしてくれる人材であると思わせることが出来たのはよかった。だが、まだ、ゴラン・ゴゾールに警邏は二人ついている。ここで己の力を使って暴れるには、まだ難しい。

 そんなことを考えているうちに、警邏の者は、背嚢ふたつと、もうひとりの影を共に戻ってきた。妙に見覚えのある大きな剣が、腰に下げられている。それが、ゴラン・ゴゾールの視界に入った。

 マントのフードを目深に被ったその影は、牢の中を見るやいなや、頭から布を落として、叫んだ。

「話は聞かせて貰った!」

「……その声は、まさか」

 鉄格子越しに、ヴェンゼ・テモネーロの姿があった。ゴラン・ゴゾールも、思わず大きな声を上げた。

「なぜ、ここに!」

「砂漠の秘宝が見つかった、見つけたのは犯罪者であったと聞いて、我輩自ら馳せ参じたのだ!」

「伐採場の監督官の仕事はどうした!」

「我輩には優秀な部下がいるのだ! ともあれ、ゴラン・ゴゾール! 関わった罪人から聴取を行う、立派な監督官の仕事だ! 背嚢の中を探るぞ! 罪人の持っていた背嚢であるからしっかり調べる必要がある!」

 ヴェンゼは場違いな明るい笑みを浮かべて、背嚢を大きく広げた。その中から出てきたのは、水の入っていた皮袋、干し肉、ラモ翁から貰った衣類、そして、切って貰ったチーズ。衣嚢の中身を手に取った警邏の者は、ゴラン・ゴゾールに向かってチーズを見せ、にやっと笑ってみせた。

「力を証明できるものは、これか?」

「ああ」

 ゴラン・ゴゾールは、頷いた。

「これを食うと、秘宝のある場所へ行こうとするんだ」

「お前が砂漠で得たという知識はそれか。だが、それは果たして真実か?」

 宰相が疑問を口にした時、顔を上げたのは、マローノだった。

「本当です。私はこのチーズを無理矢理飲み込みました、水と一緒に」

 ゴラン・ゴゾールは、思い出していた。あの夜に、カールと名乗っていたこの第一王子が、諦めませんよ、などと言って、水と一緒にチーズの欠片を呑み込んだことを。味の感想を聞けば、とても得意気に、わかりませんでした、と言い放ったことを。

「ゴランどのによれば、数刻後には砂漠のどこかへ向かって、ふらふらと歩いていたそうです」

 先程とは打って変わって、マローノはにっこり笑った……敏い青年のことだ、ゴラン・ゴゾールの意図に気付いたのだろうか。宰相は何かわけのわからないものを飲み込もうとしている表情だ。そして、ゴラン・ゴゾールは、それらを見逃さなかった。

「第一王子殿も少々勢いの良い方法でお召し上がりになったこのチーズは、レミとルパが舞って、力を注がれた大地から草が生えて、それを食った羊の乳から作られている。試しに、手近な者に食わせてみるといい……気を付けろ、口に入れようとしたら、やつら、食べられたくないのかどうかは知らんが、全力で避けるからな」

 ゴラン・ゴゾールの言葉を聞いて、宰相は顎を動かした。今度は、警邏の者が二人ほど場を辞した。リタとルパは無害な存在だと判断されたようだった。

 暫く後に、また地下牢への客人が増えた。今度の訪問者は近衛騎士三名である。ゴラン・ゴゾールが第二王子カストーノの傍に侍り始めた折に、何度かこちらに向かって敵意の籠った視線を投げ掛けてきたことのある者たちだった。彼らはゴラン・ゴゾールの姿を見てあからさまに軽蔑の表情を浮かべたが、次の瞬間には、全員が目を瞬かせて、困惑していた。にこにこしているヴェンゼにチーズを差し出されたからだ。

「さあ、諸君、愉快な所までわざわざご足労頂いた礼の、宰相様からの差し入れだ。召し上がりたまえ」

 彼らには、断る理由がない。おまけに、宰相本人がじっと見つめているのだ。恐る恐る口に入れたチーズが暴れ出しても、お礼、差し入れ、などと言われてしまっては、吐き出すことも叶わない。三人の近衛騎士は、ちょうど良い具合に差し出された水入りの杯を受け取り、暴れるチーズを無理矢理飲み込んだ。

「後は、辛抱強く、暫く待つことだ。今が夕方なら、夜になるまで。今が朝なら、昼になるまで」

 ゴラン・ゴゾールは、言った。

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