生まれたての十八歳

 デパートの広い通路を歩きながら、奇跡来はコスメの鮮やかな色調に目を止め、店先に立ち止まった。店員がすぐに出てきて、何を探しているのかを聞いてくる。


 それと同時に、鏡の横に映り込んだ青と赤の瞳を、彼女は見つけた。


「いろいろ神様の世界は法則が変わってるぞ」

「どんなふうに?」

「まずは法律だ」

「うん……」


 アイカラーの色をあれこれ手に取りながら、新色だの何だのと説明を受けている奇跡来は返事が鈍くなった。コウはそんなことに構わず、誇らしげに神界の法律を告げる。


「みんな仲良く――だ」

「うん、あとは?」

「それだけだ」


 リップスティックをくるくると回していた奇跡来は驚いて、思わずコスメを床に落としそうになった。


「えぇっ!?」


 店員が心配そうな顔を向けるが、彼女はそれどころではなく、化粧品を店員に戻して、デパートの通路を歩き出した。


 コウはふわふわと飛びながら、両腕を偉そうに組む。


「よく考えろ。神様が怠惰なわけがないだろう? 神様が犯罪を犯すわけがないだろう? だったら、仲良くだけで、世の中平和に回ってく。個人の自主性を主張するっていう陛下の考えだ」

「なるほどね。さすが神様は違うね。人間だったら、うまくいかないだろうなぁ」


 ブランド物のバッグや靴の売り場を通り抜けて、大きなガラスの扉に手をかけた。コウは開いていない扉から、何の損傷もなく外へ飛び抜けてゆく。


「そうだ。魂の濁ったやつには無理な法律だ。それから、苗字をつけるようになった」

「そういえば、神様に苗字はないね」


 奇跡来は記憶力のよくない頭をフル回転させて探してみたが、そんな神はどこにもいなかった。


「だろう? だから、陛下がまずつけた。見本としてな」

「何て言うの?」


 何でも先に態度で示す陛下。なぜか、コウはふんぞり返って偉そうに言う。


すめらぎだ」

「威厳があるね」


 春のポカポカ陽気に浮かれて、奇跡来は大通りを歩き出した。まるで自分のことのように、コウは大きくうなずく。


「そうだろう! そうだろう!」


 風に乗せられた桜の花びらと戯れるように、コウはふわふわと宙を飛んでゆく。


「それから、陛下に子供が生まれた」

「おめでたいね、それは」


 通りの向こうにある別のデパートへ行こうとする、新しくできたアイスクリーム屋を、奇跡来は目指して。


「息子がふたりに娘が一人だ」

「あれ? 生まれるの早くない? まだ一年経ってないんだけど……。三人になってる? あれ? おかしいなぁ」


 びっくりして、横断歩道の真ん中で立ち止まった彼女を、コウは赤と青の瞳だけで、車の通行に支障をきたすから、渡れと命令してくる。


「おかしくない! おかしいのはお前の頭だ!」

「どういうこと?」


 ストライプの上を再び奇跡来のブーツが歩き出すと、コウは地上と天界がいかに違うのかの説明をした。


「人間と神様が同じなわけがないだろう? 物質化してないんだから、子供の生まれ方も違って当然だろう」

「あぁ、そうか。じゃあ、どうなってるの? 一年も経たずに三人も生まれるだなんて」


 生理もないのだろうと思いながら、奇跡来は聞き返した。見た目は子供だが、コウは大人の話を平然とする。


「よく聞け。受精すると、たった一日で臨月を迎える」

「だからか!」


 無事に向こう側の歩道へついて、奇跡来は表情をぱっと明るくさせた。


「そうだ。だから、三人生まれてもおかしくないだろう」

「そうだね。早い計算だったら、一日おきに生まれるってことだ」


 セックスマシーンみたいな言い方をする人間に、コウが物言いをつける。


「欲望に溺れた人間でもあるまいし、そんなに子供ができるわけがないだろう」

「まぁ、例え話だよ」


 デパートの入り口から中へ入り、アイスクリーム屋のショーケースを、奇跡来はのぞき込んだ。コウはケースの中に入り、気になったものを小さなスプーンですくい上げて、味見をしてゆく。


「それから、陛下のおいも二人生まれた」

「陛下に兄弟はいなかったよね?」

「そうだ。女王陛下の姉妹に生まれたんだ」

「あぁ、そういうことか」


 奇跡来は店員にナッツをふんだんに使った、バニラビーンズ入りのアイスクリームを注文した。霊界でのワッフルコーンを取り上げ、コウはチョコやストロベリーなど次々に盛り付ける。


「一人は光命ひかりのみことって言う」


 どこかずれているクルミ色の瞳はなぜか幸せに染まり、珍しく微笑んだ顔がショーケースのガラスに映り込んだ。


「綺麗な名前だね。現代的だ。ひかりなんて」

「神様の名前だぞ。呼び捨てにするな」

「そうだね。じゃあ、光命さん」


 店員からアイスクリームを受け取って、奇跡来は通り側の席へ座った。コウはふわふわと浮きながら、アイスクリームをたいらげてゆく。


「もう一人は、夕霧命ゆうぎりのみことって言う」

「風流な名前だね。素敵だ。どんな子供なのかな?」


 バニラの香りが口の中に広がって、クルミ色の瞳はまぶたに閉じられた。記憶力崩壊気味の人間の女に、コウはしっかりと突っ込む。


「子供じゃない、十八歳の大人だ。みことって漢字は大人の神様にしかつかないんだ!」


 神様の世界は十七歳で成人だと聞いていた。スプーンですくっていたアイスクリームを、奇跡来は思わずスカートの上に落とした。バッグからハンカチを取り出して拭く。


「はぁ? だって、まだ一年経ってないよね?」

「人間と神様の成長スピードが同じなわけがないだろう。生きてる世界が違うんだから」

「あぁ、そうか。でも、どうして十八歳になったの? 五歳やローティーンの子供もいたよね?」


 化身から子供になったのは五歳の子だった。自分を邪神界から守ってくれた子たちの中で一番大きい子は、十二歳だ。そこを通り越す理由が知りたい。


「神様にも霊層があるんだ。親のそれが上がれば、子供も一緒に上がって成長する。陛下は常に努力をして、霊層を上げてる。だから、その子供も上がるし、親戚だって甥だって上がる」


 心が成長すれば、子供の体――霊体も成長するという法則。肉体がないからこその話で、奇跡来は大いに感心した。


「それでか。人が入り込めないほど、ロイヤルファミリーだ……」


 どんな神々かはわからないが、城などがあるほどだ。さぞかし、威厳があるのだろう。しかし、コウは首を横に振って、銀の長い髪を揺らす。


「家系じゃないぞ。人間の中身が大切だ」

「そうだね。確かにそうだ。心が重要だ」


 空の青が向かいのビルの上のほうに映っているのを見上げながら、奇跡来はアイスクリームを口の中に入れた。


「それに、甥は甥で、皇家すめらぎけには含まれない。SPもつかない。ただの家だ」

「なるほどね。確かに何の業績もないのに、ロイヤルになったらおかしいね」


 みんなに平等な世界が、雲の隙間から垣間見えた気がして、奇跡来はさくっとワッフルコーンをかじった。


 呑気にアイスクリームを食べている人間の女に、コウは一言忠告する。


「名前が多くなってきたから、どこかにメモしておけよ。ノートでもパソコンでもいいから。まだまだ神様の名前は増えるぞ」

「そうだね。忘れるのも失礼だもんね」


 奇跡来にとっては、神様の話も名前もすでにどんなものより大切な宝物だった。家に帰ったら真っ先にそれをしようと意気込みで、アイスを食べるスピードをアップさせた。


 急ぐ必要などどこにもないのに、前のめりな魂を見て、コウはニヤニヤしながら、残りのアイスクリームを大きな口を開けて、一口で食べた。


「じゃあな、もう行くぞ。俺は大忙しだからな。厳しい現実に生きろよ〜!」


 すうっと消え去った小さな神様に、心の中で手を振っていたが、ふと何かに気づいて、奇跡来の表情は曇った。


「生まれてすぐに十八歳……。大人としてやっていけるのかな? 大変じゃないのかな? それとも、神様だから平気なのかな?」


 消えたと思ったのに、コウの銀の長い髪は再び姿を現した。


「おっと言い忘れた。神様の世界は、真実の愛がないと子供は絶対に生まれないからなぁ〜」

「行為をすれば、望んでなくても生まれるってことはないってこと?」

「そうだ。それはこの世界の厳しい修業だけで十分だろう。お互いを思っている心がないと無理ってことだ」

「そうか。そのほうがみんな幸せになるよね」


 どこまでも、心を大切にする世界だと、奇跡来は思い。さらににっこり微笑んだ。コウは本当に忙しいらしく、淡い霧のように消え去りながら、


「今度こそ、じゃあな」


 そうして、一人きりのテーブル席で、奇跡来はアイスクリームを頬張って、バニラビーンズの香りに酔いしれる。


「嘘が通じないっていうのは、素晴らしい世界だ」


 霊感というものは厄介なもので、人が嘘をついているのがわかってしまう。魂の言っている言葉と、実際声で出てくる言葉が二重に聞こえるのだから。


 人と話すことがわずらわしい――。さっき渡ってきた横断歩道を横切っている人々の中で、誰かのためを思って嘘をつくのではなく、自分を誤魔化すために嘘をついている人は何人いるのだろうと、奇跡来は思った。


    *


 黒塗りのリムジンが一台、陛下がおわす城に面した大通りを走り抜けてゆく。荘厳なクラシック曲が、クリーム色のリアシートに降り注でいた。


「夕霧? あなたはどのような仕事につくのですか?」


 独特で優雅な声が車内に、エレガントに舞った。その声色は、こんな言葉は存在しないがこうとしか言いようがない。遊線ゆうせん螺旋らせんを描く芯のある、若い男のものだった。 


「俺は父と同じように、国家機関へ入る」


 さっきの声とは真逆の性質で、落ち着きが非常にあり、地鳴りのような低さで真っ直ぐ。


 車窓から入り込む春風に、肩より長い紺の髪が揺れる。


聖輝隊せいきたいですか?」

「いや、躾隊しつけたいのほうだ。ひかり、お前は?」


 風に触れる遊びの部分がないほど短い髪は、深緑色をしていた。氷雨ひさめ降るほど冷静な水色の瞳がもう一人の男――夕霧命を見つめた。


「私は母の影響を受けているみたいですから、音楽家として仕事をしていきます。ですから、恩富隊おんぷたいへ入りますよ」

「そうか」


 無感情、無動のはしばみ色の瞳は、斜向かいに座っている従兄弟――光命の返事にうなずくと、車中はまた静かになった。


 しばらく行くと、教会から白いウェディングドレスを着た花嫁と花婿が、ライスシャワーを浴びながら外へ出てくるのが見えた。


 十八歳だが、実際はまだ一ヶ月前に生まれたばかり。世界の何もかもは色彩と活力に満ちていて、光命の肌も生き生きとしていた。


「夕霧、恋というものはどのようなものなのでしょう?」


 三日遅く生まれた夕霧命は何の感情もなく、従兄弟の問いかけをバッサリと切り捨てる。


「知らない。生まれたばかりの俺に聞くな」

「そうですか」


 今のは罠であって、夕霧命に好きな人がいるのかどうか確かめるためだった。そう思いながらも、光命は優雅な笑みを絶やさないまま、平然とただ相づちを打った。


「光は恋に興味があるのか?」

「ないといえば嘘になりますが、どのようなものか予測がつきません」


 頬にかかった後毛を、光命は神経質な指先で耳にかけた。夕霧命は腰の低い位置で腕組みをしながら、恋にこがれているような従兄弟に真っ直ぐ言葉を送った。


「お前が先に結婚するかもしれない」


 結婚式に夢中になっているのかと思ったが、どうも光命は違うようで、後ろ髪引かれることなく、軽く曲げた人差し指をあごに当て、夕霧命に振り返った。


「そうとは限らないのではありませんか?」

「なぜ、そんなことを言う?」


 不思議そうな顔をした従兄弟に、生まれたての十八歳で策士の光命は、優雅に微笑みながらこんな言葉を口にした。


「可能性の問題です」

「可能性……?」


 夕霧命にはなぜ今この言葉が出てきたのかわからなかったが、光命にしてみれば、彼は何も嘘はついていないのだった。

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