僕と司書教諭とエロ小説の30年間
タウンビギナー
僕と司書教諭とエロ小説の30年間 前編
中学高校時代は友達も全く出来なくていじめられてばかりだったし、成績も良くなかったから、学校には味方が一人もいなかった。だから学校に関していい思い出は一切ない。
でも、今の自分の原点がどこにあるかと聞かれたら、中学高校時代と答えざるを得ない。今日みたいな、長袖のシャツが丁度いいくらいの少し風の強い秋の日に、古本屋で飯沼先生を見なかったら、僕がこうやって曲がりなりにも小説家としてモノを書いていることはなかったと思う。
中学3年生の秋口の頃の話である。
僕は学校が終わると学校近くの古本屋街へ出かけて行っては本を買い漁るということを日課のように行っていた。当時はAmazonどころか「インターネット」もまだ一般には知られていない状態だったから、本を買うためには本屋へ行くしか無かった。もっとも、当時通っていた古本屋街は文庫本が1冊100円・200円、店によっては4冊100円という中高生にとてもやさしい値段で売られていたから、仮にその時代にAmazonがあったとしても、僕は安い古本を求めて古本屋街に通っていただろう。
僕は古本屋街で好きな作家の文庫本を見つけては手当り次第に買った。帰り道、古本でパンパンになった学校かばんの重さも気にならなかった。
そしてもう一つ、僕には古本屋街へ行く楽しみがあった。エロ本である。
一部の古本屋は、フランス書院に代表される、いわゆるエロ小説やエロ写真集、エロ漫画などの中古のエロ本を売っていた。もちろん18歳未満にエロ本を売ってはいけないのだけど、ほとんどの店は何もチェックを払わなかったり、「しょうがねぇな」という表情をしながら売ってくれた。
(学ランを着ていて明らかに中高生だとわかる人物に対してよくエロ本を売ってくれたものだと思う)
古本なので定価よりずっと安かったこともあり、つくづく当時の古本屋街の店主の方々には感謝せざるを得ない。
そういうわけで、僕は中高時代のエロのほとんどをこの古本屋街から仕入れていた。僕は古本屋街に通っては、本とエロを買い漁る日々を送っていた。
そしてその日、運命を変える出来事が起こったのである。
11月のある日のこと。お小遣いが入ったので、以前立ち読みして気になったお目当てのエロ漫画がようやく買えると心の中でスキップしながら、いつものように僕は古本屋街へ向かった。
(どうか先に買われていませんように)
と心の中で祈りながら、いきつけの古本屋の扉を開けようと引き戸に手をかけようとしたところ、店の中にいた先客が見えた。その瞬間、僕は慌てて扉から手を離し、店から少し遠ざかった。
(…飯沼先生!?)
白髪の方が多い髪の毛を七三で分けたきっちりとした髪型、銀縁のメガネから除く三白眼、チャコールグレーのスーツに紺色の水玉ネクタイ。間違いない。僕の通っている学校の司書である飯沼先生だった。
驚いて店から離れたのは、それだけが理由ではない。飯沼先生が立ち読みをしていた場所は、エロ小説やエロ漫画があるエロスペースだった。つまり、飯沼先生はエロ本を読んでいたのである。
(飯沼先生、なんでここに…というか、どんな本を読んでいるんだろう…)
僕は図書館に結構な頻度で通っていたから顔は覚えられていたかもしれないけど、飯沼先生とちゃんと話をした事はなく、特に親しいわけではなかった。飯沼先生は他の先生とは違い、いわゆる「英国紳士」を彷彿とさせる上品そうな風貌で、生徒の中でも飯沼先生を馬鹿にする人はいなかったように思う。
僕の学校は男子校だったけど、図書委員が開いている「図書交流会」で、他校から来た女子生徒が飯沼先生を見て歓声を上げたという噂まであった。友達のいない僕の耳にまでそんな噂が入るくらいだから、噂は本当で、もし共学だったら女子人気がすごかったんだろうな、と思う。
その飯沼先生が、いつものように姿勢を正し少し首を傾けながら、エロ本を読んでいる。
自分以外の人間、しかも飯沼先生はどんなエロに興味があるんだろう。
飯沼先生をこっそり観察する理由としては十分だった。
僕は飯沼先生のいるスペースとは逆側にある古本屋のもう一方の扉から店内に入り、本棚にあった文庫本を取り出し立ち読みをするふりをしつつ、本棚の隙間から飯沼先生を覗いた。飯沼先生は僕に気付かず文庫本を一生懸命読んでいた。コーナーの位置から推測するに、飯沼先生はフランス書院、つまりエロ小説を読んでいるようだった。
正確な時間はわからなかったけど、長い時間飯沼先生は熟読をしていた。さらにしばらくすると、飯沼先生は読んでいた文庫本を静かに閉じ、その文庫本を持って店主のいるレジへ向かった。どうやらお気に召したらしい。飯沼先生と鉢合わせをしたらまずいので、僕は入ってきた扉から静かに外へ出て少し離れた位置に隠れ、飯沼先生が古本屋から出てくるのを待った。
しばらくすると、飯沼先生が店から出てきて、そのまま地下鉄の駅のある方へと向かっていった。飯沼先生も帰宅途中だったらしい。僕は飯沼先生が立ち去るのを見届けてから、飯沼先生がいた古本屋のコーナーへ向かった。
ここの古本屋は、作家別に本が並べられている。本棚を調べてみると、果たしてそこはフランス書院のコーナーだった。詳しく調べると、ある作家のところにちょうど文庫本1冊分の隙間があった。どうやらここにあった本を買ったらしい。飯沼先生の買った本のタイトルはわからないけど、どの作家の本を買ったかはわかった。
その作家の他の本のタイトルや背表紙に書かれているあらすじを確認した限りでは、どうやら学園モノで女教師が生徒に凌辱されるというシチュエーションを中心に書いている作家らしい。試しに中身を立ち読みしたところ、女教師が男子生徒に恋をしてしまい葛藤しているところを不良生徒に目をつけられて凌辱され、しまいには女教師のフィアンセの前で教頭先生と不良生徒に前後両方とも凌辱されてしまうというストーリーだった。
(飯沼先生、こんなハードなのが好きなんだ…)
その時点では、僕はフランス書院を一冊しか読んだことがなかった。その一冊も、同級生や年上のお姉さんが主人公を誘惑する、いわゆる「誘惑系」と称されるジャンルのもので、飯沼先生の読んでいた、女性をあの手この手で凌辱して堕とす「凌辱系」のジャンルは読んだことはおろか存在すらきちんと認識していなかった。
そこで物は試しにと思い、飯沼先生が読んでいた作家も含め、凌辱系の本を2、3冊買った(その日、いつも以上に車に気をつけながら家に急いで帰ったのを、よく覚えている)。
しかし、飯沼先生の読んでいた作家の本は、僕の好みに合わないどころかもう読みたくない作家になってしまった。蜜壷がどうの花弁がどうのと、描写が必要以上にまどろっこしくテンポも悪いと感じた上に、ラストで凌辱の仕上げとして登場する校長先生が、
「チャコールグレーのスーツに紺のネクタイを身に着けた、銀縁眼鏡で七三分けの白髪の初老男性」
だったからだ。
(飯沼先生じゃん!!)
もちろん登場人物の名前は全然違うし、性格も(多分)違うけど、この外見描写のせいで、僕はそれ以降の凌辱シーンは、飯沼先生が女教師や生徒会長を凌辱しているようにしか思えなくなってしまった。自分の学校の先生が校内で凌辱行為をしているのは本当に気が滅入るし、ましてや実用にはとても耐えられなかった。
その代わり、件の本と一緒に買った「麗堂淳一」という別の凌辱系の作家の本はとても良かった。会話文を中心とした作風で描写もしつこすぎず、テンポが良く実用的だった。僕はそれを気に入り定期的に買うようになった。
オフィスモノと思いきや、催眠術の力を得てライバルと女を取り合ったり、縛りの師匠に弟子入りしたら妻と義妹を寝取られてしまうとか、主人公が女教師と組んで同級生の女の子を牝奴隷に落としつつ女教師の趣味を満たすとか、シチュエーションがバラエティに富んでいて飽きず、僕はすっかり夢中になった。
少し気になったのは、飯沼先生が麗堂淳一を買っていないことだった。初めて飯沼先生を古本屋で見かけた日から用心してその古本屋に通い、飯沼先生がいたら同じように去った後に本棚をチェック、ということを繰り返していたけど、飯沼先生が麗堂淳一の本を買ったことは僕の知る限り一度も無かった。
飯沼先生の買った作家は、読んでる最中に寝てしまうくらい退屈なものもあったし、麗堂淳一より良かったと思えるものは一度も無かった。飯沼先生と僕とはエロの趣向が違うからなのかな、と疑問を抱いていたけど、さすがに学校の先生とエロ小説の話をすることはできず、そのまま僕は高校を卒業した。
(これだけ読んでいたら、実は自分でも書けたりして…)
大学を卒業して就職してシステムエンジニアになり(ここだけの話、今も似た業界で似たことを本業としてやっている)、4・5年目のこと。深夜残業から帰宅し疲れ切った頭で麗堂淳一の新作を読んでいる途中、ふとそんなことを思った。
フランス書院は高校の頃から読み始めているから、この時点ではざっと10年近く、確実に100冊以上読んでいたと思う。ただの思いつきだったけど、日に日に「書いてみたい」という欲望は強くなっていった。
そこで、物は試しにと思い、僕は小説を書き始めてみることにした。
(…いけるかも)
思った以上に筆が乗った。僕は普段の仕事の合間を縫って少しずつ少しずつ書き足していった。第一章まで書き上げると、僕はフランス書院新人賞へ応募することを本気で考えた。ただ、小説を書いたことなんかなかったし、大学も法学部だったから小説の書き方も知らなかった。だから、自分の作品が独りよがりにならないよう、できるだけの準備をした。
まず辞典。「官能小説用語表現辞典」をAmazonで買った(余談だが、僕はこの時初めてAmazonを利用した。なんて素晴らしいサービスなんだと感動した)。読んでいるときはまどろっこしくて要らないと感じた官能表現も、実際に書いてみるとどうして必要なのかよくわかった。表現をある程度変えないと、文章が単調になってしまう。
僕は官能表現を練習しつつ、フランス書院のレビューサイト「e-Swamp Blog」のレビュー内容を読み込んでいった。このサイトはフランス書院のレビューサイトの中でも老舗で、質・量共に1・2を争うサイトで、何が良いか・良くないかを丁寧に記載しており、作品作りに大変参考になった。麗堂淳一の作品が酷評されていたのはショックだったし気に食わなかったけど、ここに書いてあることを無視したら読者の期待に答えられず、賞も逃してしまうと思い、我慢した。
残業で執筆時間が取れないことにイライラしながら、僕は睡眠時間も削って書き上げた。心身ともに無理をさせた甲斐あってか、僕の処女作はフランス書院官能小説大賞で新人賞を受賞することができた。新人賞の賞金を使い、両親と一緒に食べたステーキの味は一生忘れない(もちろん両親には「会社の業績が良いからボーナスが出た」と伝え、本当の事は一切言わなかった)。
そして、僕の小説が本屋の本棚に並ぶ日が来た。「赤梨聖龍」と言う、当時デビューしたてのKAT-TUNから名前をとった自分のペンネームが白抜きで書かれた背表紙を見て、
(僕は小説家になった!)
と改めて心の中でガッツポーズをとった。
しかしその喜びは長くは続かなかった。
配本がされてから、僕はe-Swamp Blogに自分の本がどう書かれているのかずっと気になっていた。配本の日からずっとe-Swamp Blogをチェックしたけどなかなか更新がされなず、僕はヤキモキする日を送った。5日経ち、ようやくe-Swamp Blogが更新され(念の為に書いておくと、e-Swamp Blogの更新速度としては普段と同じくらいで、僕が勝手にヤキモキしていただけである)、トップページ近くには、最新刊のレビュー一覧が並んでいた。
(…あった!)
レビュー一覧に僕の作品があった。
横にある評価マークには、星が1つしか付いていなかった。
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