第21話 全てを話すことが全てじゃないよ
「おい、櫻井が倒れた! 収録は一旦ストップしろ!」
スタジオに響き渡る大きなそれは怒鳴り声に近いものだった。
一瞬その言葉たちが何を意味しているのか理解ができず、私は一人暗闇に取り残された。でも、その後また一瞬で何が起きたのか理解した時にはもう理佐はスタッフさんや共演者の方達に囲まれていて、私が立っている此処からは姿を見ることが出来なかった。
なんで……、収録が始まってからちゃんとスタジオの隅で収録の様子は見ていたのに、ずっと理佐を見ていたのに、倒れた瞬間を私は見ていなかった。
見えていなかった……、どうして……。
大人たちに囲まれて何処かに運ばれていく理佐を眺めている私は酷い傍観者だった。スタジオの隅にただ立ち尽くしてぼーっと何処か一点を眺める私を後ろから別の私が見つめているみたいに変な感覚に襲われた。
「すみません、櫻井さんのマネージャーさんですよね?」
番組スタッフの若い女性に掛けられた質問で、やっと意識が自分に戻ってきた。先ほど投げ掛けられた質問に素直に答えた後は、その女性から理佐についての説明があり、貧血など軽い症状なら楽屋で少し休んで様子をみて収録に参加するか判断するが、今の理佐はあまりにも顔色が悪く体温も下がっているのでテレビ局内の医務室に連れて行きちゃんと診察してもらった方が良いとのことだった。そっか、医務室に運ばれたんだ……
「ありがとうございます。それでこの後の収録はどうなるのでしょうか?」
理佐が倒れたことに気付けなかったことに対してマネージャーとしての致命的なミスを感じつつ、今は冷静に今後の対応を確認しなければと思い、今度は私が彼女に質問をした。
「…心配じゃないんですか?」
「えっ?」
「櫻井さんのこと心配じゃないんですか?」
「勿論、心配――」
「それなら早く医務室に行ってあげてください!」
「えっ…」
「私……ずっと櫻井さんのファンで、櫻井さんがアイドルの時からずっと応援してて…制作会社に入って、今アシスタントをしているのも将来私がプロデューサーになって、櫻井さんと一緒に番組を作りたくて……その番組で沢山の人を笑顔にしたり、夢を与えたいって思ってて……それなのに……櫻井さん……倒れちゃって……」
俯き気味にそう少し震えた声で必死に言葉を選び話す彼女に何処か見覚えがあった。随分と懐かしい気持ちが込み上げてきて、そう言えば、昔いたね。
デビュー当初グループの顔として沢山の大人の前に立たされ優しさの無い言葉の槍を一人で背負い戦っていたあの子が。この子の小さな背中はあの子にそっくりで、きっと自分には自信なんて持てないのに自分の好きなものや大切なものの為ならどんな相手にでも引かずに正直に気持ちをぶつけていくんだ。懐かしいね、いこまちゃん。
私たちは、ずっとこの子のように応援してくれる人たちに支えられて頑張ってきたんだった。私なんかを好きだと、応援しているとそう言ってくれた人たちに恩返しがしたいと思って必死に頑張っていたのに、あの頃のあの気持ちを私はいつ何処に置いてきてしまったんだろう……
今も微かに震える肩に手を添えてできるだけ優しい声で話し掛ける
「私もね、ずっと理佐が大好きで彼女のファンだった。同じだね」
私はこの時、忘れていた【私の笑顔】を久しぶりに思い出した気がした。
じゃ、お言葉に甘えて私も理佐のところに行くね。そう伝えてスタジオから出ようとした時に後ろから華奢な大きな声が響き渡る。
「私! 森橋さんのことも大好きです! 櫻井さんと森橋さんが私の永遠の推しです!」
大声を出したせいか少し裏返った声と真っ赤な顔でそう叫ぶ彼女にやっぱりとても懐かしくあたたかい気持ちになった。
「先輩聞きました?」
具体的な内容も無しに急に質問をしてくる後輩に「何が?」と返しその返答に一瞬目の前が真っ白になった。
「……今、なんて?」
「だから、隣のスタジオで収録してた櫻井理佐さん倒れたらしいですよ。そう言えば先輩、前に誤報で噂出てましたよね? 元々知り合いなんですか?」
「……倒れたあとどうなったの?」
「えっ…あ、二階の医務室に運ばれたらしいですよ」
「そっか…」
「……あの、行かなくて良いんですか?」
「えっ?」
「なんとなくですけど、先輩行った方がいい気がして……」
「でも、この後は番組打ち合わせが――」
「それはこっちでやっておきますから。行ってください」
「……」
「先輩気付いてないと思いますけど、さっきから凄い動揺が顔に出てますよ?」
「……」
「そんな状態じゃ打ち合わせも頭に入らないでしょ? いいから行って下さいって」
「……ごめん」
「今のは、ごめんじゃなくてありがとうですよ?」
エヘっとそう笑う後輩は、いつからこんなに頼り甲斐のある子になったんだろうと嬉しかった。
「頼もしくなったね」
「佐野先輩に育てて頂きましたからね、私ももう敏腕マネージャーです」
「ふふっ、それはまだまだかな。 ありがとう、行ってくる」
少しだけ軽くなった足取りで急いで医務室に向かう。どうか理佐の容態が酷いものじゃありませんようにと信じていない神様にこんな時ばかり縋ってしまう。
コンッコンと控えめに医務室の扉をノックして扉を開けて中の様子を伺うが、誰もいないみたいで中はとても静かだった。もう楽屋に戻ったのかな……。もしそれなら戻れるくらいの体調ではあるってことだし、良かった……。会えなかった事に胸の奥が苦しくなりかけた。不謹慎だ、そう自分に言い聞かせてゆっくりと踵を返し今閉じたばかりの扉にもう一度手を伸ばす。
「……なお?」
ピクッと体が意識よりも早く反応する。
「理佐?」
「なお……なおなの?……」
誰もいないと思っていた医務室の奥のカーテンを開ければ、辛そうな表情の理佐がベッドに。
「…なお」
「理佐、体調は? どこが具合悪いの?」
ベッドに横になる理佐の頭をできるだけ優しく撫でて、少しでも安心させてあげたかった。
「なお…」
「ん? なに?」
「ごめんなさい……、離れたくなかったのに……わたし……」
その綺麗な瞳からとめどなく溢れる涙もとても綺麗で美しいと思った。こんな時ですら私は理佐の美しさに魅了されて離れられない。
「大丈夫、泣かないで?」
「だって、もう会えないんじゃないかって……怖かった……」
「約束したでしょ? もう二度と離さない、離れないって。昔と同じことは繰り返さないって」
「うん……でも、怖くて……なおが何処かに行っちゃいそうで…」
「何処にも行かないよ。それに見つけたんだ、理佐と一緒に二人で幸せになる方法を」
「えっ……」
「理佐、二人で生きていこう」
「……二人で?」
「うん」
「なおと一緒にいられるの?」
「うん、ずっと一緒」
「……なおと一緒に生きていく…ずっと、一緒にいる」
理佐の涙は止まるどころか更に溢れ出し彼女をもっと綺麗にしていく。世間や周りの目ばかりを気にして、本当に大切なものを見失い、傷付けていたことに気付けなかった。あの時、もう絶対に失いたくないと自分自身にも理佐にも誓ったはずなのに知らないうちに臆病になって守る事と逃げる事の境目が分からず、私は暗闇の中迷子になっていた。
それでも、その暗闇から助け出してくれるのはいつだって理佐で、理佐が私の光だった。彼女がずっと輝き続けられるように、その光をずっと見ていられるようにもう迷わない。
それから今私が考えている今後の計画について相談してみた。計画と言っても協力者や交渉が上手くいく保証は無いし、良い意味でも悪い意味でもきっと沢山の人に色んな影響を与えるだろう。不安ばかりのこの計画にどんな反応が返ってくるか不安だったけど、
「やりたい」
「上手くいくか分からないよ? もし失敗したらもうこの仕事は……」
「なおが居てくれればそれだけで大丈夫。それにもし失敗しても後悔しないよ?」
「……理佐」
「でも、失敗しても成功しても私の夢は叶えてほしい……」
「夢?」
「なおのお嫁さんになる夢」
そう言って泣きながら微笑む君は、この世の誰よりも美しく誰よりも儚い存在だった。
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