第4話 死因
六薬堂 昼。
お清は傀儡師―女の恰好をしている―に付き添われて帰っていった。
運び屋は今日の夕刻にならないと、越中の薬草師のもとから帰らないし、詩乃も、薬の在庫が少なくなってきているので薬を作らなければいけなくなったのだ―のどの痛みを訴える人が急にやってきた。数日のうちには詩乃も行けるだろうから、その時にもう一度家中を探そうということになった。
帰ってきた傀儡師から家の周辺などの報告を受ける。
「かなり寂しい村でしたよ。確かに、新しい長屋とか建ち始めていましたがね、お清さんの家の周りはまだまだでした。
そういえば、女の土左衛門が揚がったようで、役人たちがうろうろしてましたが、そこからも少し外れてましたよ。
幽霊騒動はかなりあるようでね、子供たちがまぁ、うまい具合に唄なんて歌って練り歩いてましたよ。子供ってなぁ、ああいうものをすぐに作っちまうんですねぇ」
傀儡はそういって、お清の家の中も一通り見てきたと話した。
「確かに宿屋をしようと建てたんでしょうねぇ。けっこう大きな台所があったり、大きな囲炉裏があったり、部屋数も相当ありましたよ。
一人で住むには大きすぎますがね。
その怪しいものなんてのはまるでなかったんですよ。
お清さん的には相当な悩み事だと思うんですが、あたしの見る限りではそれほど急を有するような痕跡はなかったんですけどね。
誰かがいるような気配もないし、居た形跡もなくて、だからね、外から入り込んで誰かが飯を食い逃げたんじゃないかと思うんですけどね」
「お前、それをお清さんに言ったかい?」
「言いませんよ。詩乃さんが言うべきことですからね。あたしは、
何の変化もないってのが逆に怖いですね。
って。もし、あたしの目の前で何か変わっていたら、すぐにでも何とかしてやりたいが、今は変わりないっていうし、どうしようもできませんねぇ。って。でも、何かあれはすぐに六薬堂に来てくれたら、役人よりは役に立ちますよって、帰ってきましたけど。よろしかったですかい?」
「まぁ、お前が行ったときに何の変化も無きゃ、お清さんだって、ああだこうだと言えないわねぇ。まぁ、命に別段何かあるような感じは受けないから、大丈夫だとは思うけどね」
詩乃の言葉に傀儡師が頷いた。
傀儡師はそれからすぐに出て行った。運び屋とかち合わないように、今日は西の方面へ行くらしい。
詩乃が薬を作り、番頭がこん包しているところへ使いの男が走りこんで来た。
「岡の旦那からです。至急きてください」
番頭は嫌な顔をしつつも、診察箱の用意をし、詩乃も外套を羽織って男と一緒に出て行った。
「風邪の引き始めの客が来るというときに、まったく、もう」
「毎度」
番頭が愚痴をこぼしたところに薬師が薬を風呂敷に包んでやってきた。
「地獄に仏とは薬師のことですよ」
薬師は何のことだかと首を傾げ苦笑いを浮かべた。
同刻、小早川療養所
長谷川はすぐに飛んできた。非番とはいえ番所で書類などを書いているので居場所はすぐに解ったし、岡 征十郎の呼び出しとあればすぐに出ていく用意はしていたのだろう。
詩乃が早駆けのかごに押し込まれてやっと着いたのを出迎えたのが長谷川だった。
「はじめてお目にかかる」
「……どうも、」
詩乃は駕籠の揺れにあちこちが痛むとぼやきながら療養所に入った。
解剖室前に通されると、岡 征十郎が縁台から立ち上がり頭を下げる。
「これが六薬堂の女将の詩乃。こちらは北町同心長谷川さんだ」
「詩乃です」
「長谷川です」
二人が会釈をする。
「それで、あたしに何の用だって?」
「今、女郎の死体の解剖が終わったところだ」岡 征十郎が答える。
「解剖をさせてくれるわけじゃないんだ」
詩乃がぼやくところに小早川医師が笑いながら出てきた。そのあとに進藤医師も苦笑いをしている。
「死因はやはり、出血性ショック死で間違いないでしょう。中絶手術のひどいこと」
小早川医師が嫌そうな顔をした。
「小斎殿がまだ書いている最中ですので、しばらくあのままで、あとしばらくしたら閉じるが、見るか?」
詩乃は頷く前に部屋に入っていった。
面談室に通された。
詩乃は手を口元に持ってき廊下に立ったまま外を見ていた。他のものは座して、おていが入れてくれた白湯を飲んでいた。
小早川医師が着替えてやってきた。その後を小斎と進藤医師もやってきた。
「酔狂だとは思う。だが、長谷川さんの意見では連続殺人だという。だが、その連続的に起こった遺体はすでになく、それらを比べることは不可能。
今日揚がった女郎と比較するためには、長谷川さんが記憶している姿を小斎殿に絵にしていただき、その上で、紙の上で、小早川先生と、進藤先生、そして、詩乃、お前にも助言を願いたい」
座敷に居たものが詩乃を見る。詩乃はまだ庭を見たままだったが、返事の代わりに振り返り、
「あの傷の幅はさほど大きくはなかったね、細い女の指ほどだった。あれは何を入れたものだと思う? 作ったんだろうか?」
「以前だが」
小斎が嫌そうな顔をしながら話しだす。
「以前、大江戸に来る前の、田舎の飯守屋の女が、同じような傷で死んでいた。
提灯のような仕組みで、小さく、またの中に入れるほどで、それを入れて、入り口を広げ、掻き出すんだが、痛さからなのか、力が入り、竹が割れ、突き刺さり、想像以上の血が噴き出て死んでいた。
あれではないかと思う」
小斎はそういって、その時見た道具をさらりと書いた。
たしかに、提灯の小さい形をしているようだった。
「それで、行えるものなのか?」
岡 征十郎の質問に、詩乃は微笑み、
「あたしが知りたいよ。竹だよ。しょせん。鉄やなんかじゃないんだ、割れるだろうことは想像がつくよ。ただし、そう思わない奴がいるんだろうけどね」
「その女も、手首と足首を縛られていた」
「暴れないようにしていたってわけか」
岡 征十郎の言葉に、小斎は嫌そうな顔をさらにゆがめた。
「それでは、お願いできますか?」
岡 征十郎はしばらくして、長谷川と小斎の顔を見た。二人は頷き、長谷川は懐から帳面を取り出した。
「書き留めているんですか?」
「まぁ、簡単な特徴です。
最初の女郎は、吉原のみやびという廓の女郎で、若菊と言います。
ほくろの多い女で、右目の下と、左のあごにあって、あと、左肩にもありました。
下腹を切られていて、流れ着いた時に腸がはみ出していました」
「そんなに大きい切り口で?」進藤医師が驚いたように聞く。
「ええ、腹いっぱい、脇から脇までです」
「中身は?」と詩乃
長谷川が首を振る。
「大雨のあとでね、いろんなものが同時に流れていて、あれらに当たって切れたんだろう。ということで、中身の確認などしていません」
詩乃と小早川医師がため息をつき、進藤医師が絶句して声を漏らす。
「二人目は、どぶ板岡場所の風鈴亭、今回の小松と同じ場所の葛という女郎です。
連れの男がいましてね、男と赤い腰ひもで体を括り付けてました。
男は背中に何度か刺された跡があり、葛は、咽喉からへそまで縦に二本、斬った傷がありました」
「……縦?」
小早川医師が聞き返す。長谷川は頷き、自らの咽喉からへそまでをすっと指さした。
「それで、それは事件として処理を?」と岡 征十郎
「いいえ、無理心中です」
「ばかか?」
詩乃が声を上げる。
長谷川は頷き、項垂れ、
「ええ、さすがに、心中をしようとしているものが、背中を何度も刺した挙句、自分の体を縦に斬るとは考えにくい、逆に、女が先に斬られていたら、男は死んだ女に何度も刺されたことになる。と言いましたが―。
死んだのが、女郎と、田舎から出てきた貧乏武士の四男です。早々に無理心中で片付けました」
詩乃が呆れて首を振る。
小斎は、長谷川が何度か傷の追加をしたり、気付いた傷、ほくろ、痣、それらをすべて書き加えた。
裸婦画が四枚、男の背中の絵が二枚出来上がり、床に並べられた。
「発見順です」
そういってそれをくるりと周りに囲むように詩乃たちが座った。
「これほどの記憶力はありがたいねぇ。ほくろの位置まで覚えているなんてね」
詩乃が感心する。
「そのうえで、小斎様の絵の見事なこと」
小斎は歯を見せて笑った。
「それで、これを見て判ることはありますか?」
岡 征十郎が聞く。
長谷川は自分の記憶が目の前に座る医師たちに伝わるかどうか不安そうだった。
「どう思うね? 進藤君?」
「私ですか……。いやはや、試験ですね。しかも、詩乃さんまで試験官とは……」
進藤医師は鼻を掻きながらも咳を一つして、二枚目の男と無理心中で片付けられた葛の絵を取り上げ、
「この被害者が少し後に殺されたような気がします」
「少し後というのは?」
岡 征十郎が聞き返す。長谷川は帳面をめくる。
「傷口のためらいがない気がするのです。少なくても、この、四人目の被害者
「同意見だね」
小早川医師と詩乃が頷く。
「この三芳さんの傷には、何度か傷があったようだからね。そうでしょう?」
小早川医師が長谷川を見る。長谷川は頷き、
「そうです、少なくても五か所以上はありました」
「この葛さんの傷は二本。しかも、縦です。若菊さんと、三芳さんは、腹を横断してます。その点でも、やはりこの二人の後に殺害されたのだと思いますね」
進藤医師の言葉に、岡 征十郎は小早川医師のあとで詩乃を見た。
「と、言うのはどういうことだ?」
「……上達している。と言えるのかもね」
「上達? 何のだ?」
「手術」詩乃は言い捨てた。
「手術をしているというのか? では、医療処置の失敗か? 下手人は医者か?」
岡 征十郎の言葉に、小早川医師が口を開く、
「そういうことではないのですよ、」
「そう、そういうことじゃないんだよ」
詩乃がその後を引き受ける。
「今回の、えっと、小松さん? この人と、若菊さんには手足を縛られた跡がある。処置をしたのは同じころだと思う。
ただし、この処置の方法は間違っている。明らかに。だけど、十年前なら主流だった。そして、それが闇の中絶屋の仕業なら、今だって、下位の女郎屋に住んでいる闇医者なら同じことをしている可能性だってある。
だけど、そいつらは、医者じゃない。医学書を読んだことがある程度で、たまたま何度か失敗しなかっただけのずぶの素人だ。
いや、何度も、何度も失敗しなけりゃ、ある意味玄人かもしれないけどね。
だが、奴らに向上欲はない。自分の技術の向上は望まない。どちらかと言えば、失敗しなかった方法を続ける方が、安全だと考えるからね。
だが、この、葛さんの傷跡は、……最近医学習得学校で採用されている開胸手術で用いられる手法だ」
「……では、医者見習い?」
「そうとも違うでしょう」
小早川医師が口を出した。
「最近の学校ではきちんとした方法と道具を教えます。絵だけで判断は難しいですが、長谷川様が言う話では、カミソリほど細い傷跡はこの三芳さんだけだったと言います。
腹を斬られていた二人に関しては、刀傷ではなかったと言います。あれほどきれいに切れていなかったと。とすると、刀のような鋭利なものではないけれど、物を斬れるものです。
そんなものを、医術の心得ているものが使うかどうかと言われたら、使いません」
「解体しない限りはね」
詩乃が言うと、岡 征十郎が嫌そうに顔をしかめた。
「だが、医学学生が、学んだ復習にこういうことをしそうだとか、考えられんか?」
「ないわけではないでしょうが、……ですが、最初の犠牲者などの処置から考えると、」
進藤医師が首を傾げ少し考えてから、
「小早川先生たちよりも上の年代の医師なら、そういう措置をするでしょう。小早川先生ですら、もう、そんな処置はしませんよ。そして、この新しい開胸方法は、この二年、三年の間行われているものです」
「ということは?」
「30過ぎの医学生を探してみろ。ということになるかしらね?」
詩乃がくすくす笑う。
「居るだろうか?」
「そりゃいるでしょうよ、医学の進歩発展はかなり進んでいるのだから。だけど、自分の子供ほどの連中と肩を並べるというのは、……なまじ賢い男ができるかどうか」
詩乃があざける様に言う。
「医術習得学校へ聞きに行ってこよう」
「では、紹介状を書きますよ。そこの先生に物分かりのいい人を数名知っています。その方に協力を得るほうがいいでしょう。あそこは結構堅物ぞろいで、新顔などをとにかく嫌いますから」
小早川医師が言うと、岡 征十郎は頭を下げる。
顔を上げて、詩乃がじっと目を見ていることに気づく
「ほかに何かあるのか?」
「……腹を切り裂いて何をしたんだろうかと考えてね。
かの杉田玄白先生は、人間を開いてその詳細を絵に書き記した。
知らないことを知りたいのはどの分野の人間も思うことだ。もっと言えば、よく解っていない分野ならばなおのこと。そして、それを行える機会に恵まれたとき、
ただただ、処置をするだけにとどまるだろうか? と思ってね」
「と、言うのは?」
「……例えば、腹痛を起こした患者が来る。眠らせて、腹を開く。腹の虫というのを見てみたいじゃないか。本当に、虫がいるのかどうか。……探っている間に患者が目を覚ましたか、そのまま死んだか。
もし、そうなったらどうする?
目の前に川がある。女郎だもの、死んだって捜査はしないだろう。なんて思ったのかしらね。と思っただけさ」
「……もし、そう思ったなら、そいつは、人間じゃねぇ」
岡 征十郎が静かに、強く、微笑んでしまうほど怒気を含んでいった。
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