汚れていた部屋

「――ではこのお部屋はいかがでしょうか? 築10年の1LDK、駅から徒歩10分で風呂トイレ別ですよ」

「めっちゃいいですね! ……ちょっとこの部屋見たいんですけど」

「かしこまりました。では早速今から行きましょうか」


 俺は春から仕事が変わるのを機に新居に引っ越そうと不動産屋を訪れた。

 薄給の俺にとって駅近諸々好条件の物件を探すのは困難だ。それに春先は同じように新居探しの人でいい部屋は激戦の早い者勝ちになる。

 だから早めの12月にこうして動き始めたんだが……ことごとく出遅れと不発だった。


 6軒目でようやく出会ったこの物件が内見で問題なければすぐ契約するつもりである。




 店から部屋まで徒歩で15分位だった。


「こちらのアパートですね、ここの…302になります」

「へぇー写真より綺麗に見えますね」


 白壁にクリーム色の屋根をした建物。

 目立った汚れもなく周りは閑静な住宅街でパッと見た住み心地は良さそう。


 外付け階段を登って部屋に到着。


「では、中へどうぞ」

「ありがとうございます」


 ごく普通の1LDKといった感じ。玄関から廊下が伸びて左にトイレ右に風呂と洗面所、突き当たりの扉を開けると左側にキッチン、正面がリビング、右側に寝室がある。


 壁紙は白色で床はフローリング。収納も部屋の広さも一人暮らしなら問題ない。


 南窓から日光も入るし、逆に悪い所を探すののが難しいくらいだ。


「やっぱりめちゃくちゃいい部屋ですね〜。これで家賃いくらでしたっけ?」

「家賃は4万3000円ですね。敷金礼金はありませんし、共益費や管理費もないですよ」

「ほんとですか!? もうこの部屋に決めます!」


 と、結局その場で契約上にサインをした。

 でもサインをする前に気になることを聞いた。


「でもこんなに好条件なのにその家賃ってのは、誰か死んだりしてないですか……?」

「いえいえそんな! もちろん過去に4人ほど住んだ人はいますけど、全員ご存命ですよ。まぁ何かあるとすれば、1つ前の住人がこの部屋を空けた時、部屋中汚れていて、それを清掃したくらいですかね」

「はぁ、なるほど」


 不動産屋によれば壁や床の張替えリフォームもしないといけないほどカビや汚れまみれで臭いも酷かったが、原因はわからなかったらしい。


 俺も部屋にいて臭いは感じなかったし、その汚れとやらも全く無かったから気にしなかった。




 2週間後、友人に手伝ってもらい荷物を運び込んだ。

 来年の春引っ越し予定を前倒し、一足早くここに住むことにしたのだ。


 ただ寝室のクローゼットに衣服を閉まっている時、中の壁の角端が5cmくらい捲れているのに気づいた。壁 紙が剥がれかかっていたのだ。

 しかし、その時は引越し作業に忙しかったため特に処置はせず放置していた。




 その後、数日間実際住んでみても、想像通りの居心地と便利さで、いい物件と出会ったと思っていた。




 それからさらに1週間。

 俺は重い風邪をひいたように寝込む日々が続いていた。眠ると必ず悪夢にうなされるようにもなった。


 悪夢の内容は見知らぬ人々が寝室に現れるというもの。腐敗臭が充満した部屋で彼らはベッドの傍から俺をじっと見下ろすだけ。そして人数は毎夜1人ずつ増えていった。あまりの胸の苦しさから目を覚ますと、周りには誰もいなくて夢だと気付かされる。



 熱に侵され働きの鈍い頭でも何となく引っかかることがあった。

 部屋の安さ、内見時に不動産が言っていた前の住人のこと、その後リフォームをしたこと、そして引越しの日にクローゼットの中で見つけた壁紙の剥がれ。



 非科学的な物事は信じない俺はまさか、と思いつつも少し体調がマシな朝に、クローゼットを開いた。

 今は服と荷物が詰め込まれて壁は見えない。

 しんどい体にムチを打ち、荷物と服を中から取り出した。

 視界がぼやけてるが、それを解決をするには確かめなきゃいけない。



 やっと表れた壁、そして角端の捲れ。

 手を伸ばして壁紙をつまむ。俺は一呼吸置いてから力一杯、上に引っ張った。



 ベリベリベリッ、勢いよく接着剤が剥がれる音がした。


「は? なんだ、これ……?」


 50cm程剥がれた白い壁面の下には茶色い土のようなカビた壁が出てきた。



「ウッ!?」


 鼻を突く強烈な臭気。今は真冬なのに、夏場の清掃されていない公衆トイレのような不快な臭いがした。



 腕で顔を守りながらさらに壁紙を剥がす。一面が剥がれた時、全ての原因が判明した。




 壁の中心には、肉片がこびりついた大量の毛髪が人の形に植え付けられていた。




 視覚と嗅覚がやられ、俺は思わずその場で吐き出した。床に手を付き倒れ込むのを堪えた。



 ポトリ、目の前にその塊が落ちてきて、ついに俺は力尽きた。





 目覚めた時には日没していた。半日以上クローゼットの中で寝ていたようだ。



 体調はずいぶんよくなったが、すぐに眠る前の惨劇を思い出した。慌てて部屋の電気をつけて壁に目をやった。


「――おいおいおい…嘘だろ……」



 壁紙が剥がれたままで、あの人型の髪の毛はすっかり消えていた。壁に残ったのは人の形をした凹みと黒いシミだけだった。


 俺は封印されていた何かを解き放ってしまったのかもしれない。




 その晩、引越しを手伝ってくれた近所の友達の家に泊まらせてもらった。





 翌日、すぐにお親と不動産屋に連絡をして契約解除した。

 あの話はしていない。



 壁紙の修繕費と違約金を馬鹿みたいに取られたが背に腹はかえられない。





 そして頭を下げまくって、前の部屋に戻らせてもらった。





 どこかに消えた毛髪の人が俺を探していると思うと、今でも上手く寝られない。



 俺は友人達には「不自然に安い部屋は絶対やめろ」と言い続けている。



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