月夜
俺はあまりの寒さに目を覚ました。
枕元のスマホの電源を入れると時刻は3時過ぎ。このまま起きるには早すぎるけどこのままじゃ寝付けないと思った。
目を擦りながら布団から冷えきった部屋に体を晒す。机に置いたエアコンのリモコンを取ってスイッチを入れた。
そして、キッチンで水でも飲もうと廊下を出て左のドアへ向かおうとした。
キッチンとリビングへのドアは開いていた。
電気をつけないままキッチンに行ったら、母が真っ暗なリビングで月明かりが差し込むベランダの窓に向かって立っていた。
まさかそんなところにいると思ってなかったから「うぉっ!!」と声を上げてしまった。
しかし母は耳が聞こえなくなったように反応しなかった。足以外を脱力させているのか、ダラりと窓を見たまま立ち尽くしていた。
外の月でも見ているのかと思ったけれど、俺は膝を震わせて近づいた。
やや距離を置いて覗き込むように母の顔を確かめたら、瞬き1つしないで空を見つめる表情がそこにあった。
「かあさん……?」
声掛けてトントンっと腕をつついた。しかし変化はない。
だらしなく開いた口はよく見ると微かに動いている。呟いてる風に見えるけど声が小さ過ぎて何を言っているか全然わからなかった。
いつもと同じ、生まれてきてからずっと暮らしてきた母親の姿をしている。だからこそ尋常じゃない不安を感じた。
いったい外に何があるんだ?
俺は母を気に掛けながらもベランダの窓を開けて、外に出た。
見上げた夜空には爛々と輝く満月――じゃない。強く黄を帯びた光を放つのは我が家から10m程斜め上に浮かんだ飛行体だった。
フィィィィンという機械音を響かせマンションの壁面を照りつけるその物体は直径5m位の球で、中心には赤い別の光が規則的に点滅していた。
「UFO……」
俺はそう言わずにはいられなかった。
実在しているんだ、と思うよりもなんで我が家の前に、と疑問が沸いた。
正体不明の物体だけれど、不思議と恐怖はなかった。
母はこれを見て放心状態だったのか……納得したところで正気に戻そうと振り返ると、窓の前に立ち尽くしていた母は脱力したまま体を浮かせて、光る球体に接近した。
「――ちょっ、待って!」
何が起きてるのか脳で理解した時にはもう手遅れで、母は無重力状態で球の傍まで移動していった。
「ッかあさん!!」
ベランダから身を乗り出して限界まで伸ばした手は――天井に向けられていた。
「え、あ……夢……?」
俺は自室の布団で仰向けに寝ていた。
スマホの8時の目覚ましアラームが鳴り続けている。
夜中の出来事はいつも通りの朝にかき消された単なる夢だった。
妙にリアルな、変な夢だった。
アラームを止めて、寝不足の頭を覚ませるためコーヒーを飲もうとキッチンへ。
冷蔵庫からペットボトルを取り出してコップに注ぐ。珍しく今日は母が起きていない。だいたい俺より早く目覚めてテレビ見ながら朝飯を食べてるはずなんだけど……。
コップを流し台に置いて、母の寝室に急いだ。
「母さん? もう8時過ぎてるよ?」
返事はない。
ノックをして中に入った。
シングルベッドには誰もいなかった。
俺は慌てて家中を探し回った。
トイレにも風呂にもクローゼットにも、母はいなかった。
昨晩の出来事は、夢じゃなかった。
今日から俺の一人暮らしが始まった。
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