飛んで光に入る冬の虫

 朝、布団の温もりから出られなくなると本格的な冬の到来を感じるわけで、世間は1ヶ月弱のクリスマスモードに突入していく。


 クリスマスのといえば、ケーキにツリーにプレゼント、名物はたくさんあるがイルミネーションもすっかり日本に定着した文化だ。

 それをメインとした観光地も人気でカップル定番のクリスマスデートスポットと化している。




――と言いながら俺が今向かっているのも、そのデートスポットな訳だが。

 助手席に彼女の美咲を乗せて日没直前の山道を走る。


「みさきー、あとどのくらいで着く?」

「え〜と、ちょっと待ってね……ナビだとあと1時間?くらいらしいよ」


 一瞬だけ正面から目を逸らしてナビを見た。

 地図上には横道が1本もない、うねる道路がひたすら続いていた。ずっと対向車も同方向の車とも出会ってない。


「わかっちゃいたけど、想像以上に遠いな」

「だねー。まぁでも着く頃には真っ暗になるだろうし、すっごい綺麗ならそれでいいじゃんッ!」

「んーまぁな」


 クリスマス当日はあいにく平日仕事なので、直近の土曜にどこか出掛けようと話し合った。

 ご飯、買い物、温泉……色々意見交換した結果、"穴場"のイルミネーションを見に行きたいという美咲の意見が採用された。

 それはネット上でも住所と短い説明文と数枚の写真以外ほとんど情報が見つからない、最近できたばかりの場所らしい。

 言い方は悪いかもしれないが、限界集落の復興計画の一環で行われる行事のようだ。

 ……正直なところ、俺はあんまり期待してない。地方や田舎の公共イベントって、流行りとズレてたり期待外れのものが多いイメージがある。いや頑張ってる所もあるんだけども。

 だけど美咲は上機嫌だし、既に高速含め3時間以上は運転してるから見ずには帰れない。


「あ! 看板あるよ、『九茂村イルミネーション←』って書いてあったから……そこ左!」

「おっ、と。これか?」


 危うく見逃しそうになって急停止した。ヘッドライトに照らされたのは太めの獣道みたいで、森の中へと続いていた。


「これ行けるかな……」

「下、舗装されてないっぽいね」


 タイヤが砂利を踏む音がした。街灯一つない道は雑草と轍がはっきりしているから車の出入りはあるんだろう。


 細かく振動しながら走ること40分、地面は土になった。

 そこからさらに10分、木々の合間にトンネルが現れた。洞窟と変わらない手掘りの穴で照明はない上、距離も長い。本当にこの道で合ってるのか不安になってきた。


 また10分走ると念願の出口が見えた。


「みてみて拓也! ちゃんと光ってる!」

「おおー! よかった、やっと着いた……」


 トンネルを抜けると、より一層空の暗さが増した気がした。

 正面に『ようこそ 九茂村へ』という入口の看板ゲートが七色に点滅していた。

 疲れ気味だった美咲のテンションが急上昇した。"ちゃんと"と言ったあたり、内心で実在を疑っていたんだろう。



 ゲートをくぐれば、伝統的な日本家屋に似つかわしくない、というか和風の建物かも分からないくらい屋根から壁から庭先、田んぼ畑までもピッカピカだ。けれど適当に光らせてるんじゃなくて、グラデーションの波があって全体の統一感がある。



 全国各地のテーマパークや遊園地でもっと大規模のものが見れるかもしれない。だがこの村を見れば十分すぎる。


「……すっげぇな」

「ぷっ」

「なんだよ?」

「別にー? 拓也も楽しそうだな〜って」

「――あぁ、来れてよかったよ」


 道を車でゆっくり進む。光がよく見えるようにヘッドライトを消した。


 両側に広がる煌びやかな光の海は俺の当初の低い期待値をはるかに超えた美しさだった。




 山の谷間の集落は川筋に沿って意外と長く続いている。

 駐車できる様な空き地も路肩もないせいで、延々と車内だ。


 民家の数はどんどん減っていく。これだけ綺麗な景色を作るのには人手もお金も莫大にかかったはずだが、他に見物客は見当たらない。それどころか住民の気配もないのは不思議だ。


 ふと湧いた疑問のせいで景色へ夢中になっていたさっきまでの自分が消滅した。隣ではまだ美咲が写真撮影に没頭しているから、野暮なことは喉の奥に閉まっておこう。



 しばらくはこの時期この場所限定の絶景を目に焼き付けよう。






――――長い。さすがに長すぎる。

 かれこれ2時間は走らせている。確かに低速だけど、この村に着いてから50km以上の距離を走破している。細長い村の全体は電飾で溢れていた。


 いくらなんでも大規模すぎる。全国から人が来て観客だらけでもおかしくないのに、どうしてもっと話題になってないんだ?


 華やかな風景が気づけば不穏の象徴に成り果てた。似た景色の連続は自分の気が狂ったか思わせてくる。

 ハンドルを握り締める手は汗をべったりかいていた。

 外は息が白む気温なのに今は車内の暖房が暑苦しい。俺は片手で上着の前ボタンを外した。


 左を確認した。寒いから窓も開けずにガラスに張り付き外を見る俺の彼女。


 美咲は、何も違和感を感じてないのか?

 それだけ眼前の光に夢中、ということなのか。



 この道はどこまで行くんだ……?





――――30分後に限界が来た。


「ちょっ、一回外に出よう!」

「えーどうしたの〜?」

 車道のど真ん中で停車した。エンジンも一度切って村へ来て初めて車外に出た。


 頭の先から靴下の中まで汗に濡れたせいで僅かな冬風でも急激に体温を奪われる。


 のっそり車から降りた美咲は、顔が緩みきって足元もふらついている。


「おっおい! 大丈夫か!?」

「ふぇ〜? 何言ってるのぉ? わたしは、だいじょぶだよ――」

「そんなわけないだろ! しっかりしろ!」

 肩を掴んで揺さぶっても座り込んだ瞳の奥に光はなかった。口が弛緩してヨダレを垂らす姿は、廃人に見えてしまう。


 美咲の体調は明らかに普通じゃない。


 一刻も早く病院へ――だがここから町まで戻るには、村道を2時間、山道を2時間は走らなければならない。


 それだと彼女がどうなるかわからない。でも村に病院なんかない。

 携帯は、圏外だ。


「くそッ!!」


 俺は美咲を背負ってすぐ近くの民家を目指した。

 電飾に包まれた家は本当に人が住んでいるのかすら確証がない。

 でも今は他に選択肢がないのだ。家へ伸びる小路を俺は駆け抜けた。


 インターホンなんか押さずに扉を叩きまくった。


「誰かーッ! いませんかー!!」


 いくら叩いても反応がない。焦って家の裏に回った。


 勝手口の窓から中を覗いた。

 まだ夜の9時前なのに明かりはついていない。スマホのライト機能で中を照らすと、昭和を彷彿とさせる家具にホコリと蜘蛛の巣がまとわりついていた。

 確実に30年は人の出入りが無さそうだった。


 この家には誰も住んでいないとわかった。



 背中からは「あーうぁー」という美咲のうめき声が耳に届く。肩先はとめどない唾液で生暖かい。


 連絡不可、距離もある、民家は誰もいない。



 もう自力で脱出するしかない。おんぶした美咲を助手席に乗せた。

 目が充血して白目を剥いていた。早く助けないと不味い。


 勢いよくエンジンを吹かし狭い道で何度も車を切り返す。小さなLEDを何回も踏み潰した。


「待ってろよ、すぐに病院まで連れてくからな」


 首を激しく振りながら唸る彼女。思わず目を背けた。



 5回目の切り返しで漸く反転できた。

 村から出るためアクセルを踏み込――


「ッひと!?」


 ギリギリでブレーキが間に合い、停車した。

 車の前には、農作業着のお爺さんが立っていた。


 初の村人。だが今、前に出てくるとは。クラクションを鳴らしても退こうとしない。ムカついた俺は窓を開けて怒鳴った。


「おい!! そこどいてくれよッ、こっちは急いでんだ!!」


 老人は動かない。ぽかんと口を開けたままじっと車を見つめている。


 舌打ちをして外に出た。早足で老人に近寄りボンネットを殴った。


「聞いてんのか!? じいさ、ん……」



 正面を向く老人の両眼――その横と額に俺を睨む6つの丸い真っ黒な瞳が備わっていた。



「は……?」


 一瞬で怒りは消え失せ、頭の中で本能が警報を鳴り散らかした。


 この村はやばい。


 足がもつれそうになりながらも、車内へ引き返しドアをロックした。



 老人はまだ動かない。




 と思いきや突然ボンネットに前のめりで倒れ込んだ。


 そして再びこちらに顔を向けると、衣服の横腹を突き破って、毛むくじゃらの太い脚が生えたのだ。



 俺は小さい悲鳴をあげた。


 脚は一対だけじゃない、バリッという音と共にもう一対が腰の辺りから生えだした。


 全身が膨張して服は張り裂け人体は原型を無くした。



 その姿は人程度の大きさがある蜘蛛そのものだった。



 あまりの衝撃的な光景に我を忘れていた俺は蜘蛛の脚がガツガツと車体に突き刺さる音で現実に帰ってきた。


 手遅れになる前に美咲と帰らないと。

 当初の使命を思い出し、大きく深呼吸をした。


 右足が奥までアクセルペダルを踏み込む。


 急発進する車。しかし8本の脚でしがみつく蜘蛛は全く落ちる気配がない。フロントガラスの眺めは黒い蜘蛛で占拠されていた。振り落とそうにも道幅がない。


「ならこれで、落ちろ!」


 瞬間的にブレーキペダルを蹴り踏んだ。

 急加速からの急停止。慣性の法則が蜘蛛にも作用して踏ん張りきれずに前方の地面に飛ばされた。


「よし!!」


 この隙に蜘蛛を乗り越えて逃げよう。


 再度アクセルを踏んだ。が、動かない。



「なんでだ!? このッ、動け!」


 ガソリンはまだある。バッテリーも大丈夫なはず。エンジンがかかってる、のに動かない原因は、外か!?



 見上げたバックミラーには数十の同じ蜘蛛達が車を覆いつつある悲惨な現実だった。


 アクセルベタ踏みで振り切ろうとするも、タイヤが上手く回らない。サイドミラーにはタイヤに多量の糸を吹き付ける蜘蛛の姿が写った。



「っはぁ…はぁ……」


 ダメだ、蜘蛛たちは光輝の奥からわらわら湧いて出てくる。視界のほとんどは黒い生物に隠されてしまった。イルミネーションはもう見えない。



 こいつらはいったい何なんだ、現実がどうかもわからなくなってくる。



 どうしてイルミネーションの村が蜘蛛の巣窟に成り果てているんだ? そもそも蜘蛛の村ならなんでイルミネーションなんか――――




 今日の出来事が脳内で集まり、まとまって急激に並び替えられていく。バラバラだった一つ一つが組み合わさり謎を解く鍵が完成した。





「――そうか……そういうことか……」



 足の力を抜いた。


 背もたれに体重を預けると笑いを堪えきれなかった。




 初めからこの村は、俺らを食うつもりだったんだ。


 イルミネーションはおびき寄せるための餌、美咲は俺よりずっと楽しみにして夢中になっていたからその光に精神が侵されてしまった。




 それに、ヒントはずっと前から出ていた。





『ようこそ 九茂村へ』




『ようこそ クモ村へ』




 今の今まで全く気づかなかった自分の馬鹿さ加減に笑いが止まらない。


 車体が大きく揺れている。蜘蛛が尖った脚先や口の鋏角でガラスを破ろうと必死だ。持ちこたえるのも限界だろう。



「あ〜やっぱり来るんじゃなかったなぁ」


 諦めと後悔の念が胸中に渦巻く。



 ついにフロントガラスが割れた。


 顔を上げると蜘蛛が目の前に。



 毒牙に襲われるその瞬間、今日1日見向きもしなかった、満天の星空が目に入った。



 山だから空気が綺麗なんだろう。何億の星々が光り輝くのを見て、2人一緒に夜空の星になれるならそれもいいか。



 首から血を吹き出しながら、そんなくだらないことを考えた。

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