紳士のお誘い
「――なあ、もうどれくらい経った?」
「……1時間くらい」
「そうか……」
時計を持ってない俺はうな垂れながら友人に尋ねた。
俺の住むマンションで友人と2人、エレベーター内に閉じ込められた。もうずっと5階と6階の間で停止している。
自分たちが閉所恐怖症じゃなくてよかった。でも心なしか酸素が薄くなってる気分だ。スマホの電波は不安定で繋がりが悪い。飲み物も食べ物も手元にはない。
緊急時のボタンで救助は呼んだのに、それが来る気配がないし故障が直る様子もない。
初めは焦りと不安がない交ぜで二人して騒ぎまくったものの、やがて怒りに代わり、今はもう怒る気力すら残ってない。仰向けに寝ることもできないスペースに2人いる圧迫感は想像以上の辛さだ。
会話も乏しく、互いに向かい合って壁にもたれかかって時の加速を願った。
さらに1時間くらいが過ぎた。
「ほんとに、助け来るのかなぁ」
不吉なことを言う友人に俺は突っ込んだ。
「いや諦めんなよ、来るってその内……」
言葉にした後で、それがいかに不確定な根拠のない説得だと気付いた。
口内の唾液はみるみる減少し乾いた舌の根元が喉奥に張り付く。首を斜め上に動かせば、マンション住人に対するゴミ出し苦情の貼り紙が剥がれ掛かっている。閉じ込められてからもう何回全文読んだかわからない。
顔を戻して前を見れば、眠ってるように静かな友人。手足を放り投げ脱力しきっている。瞬きもしない目はこの2時間で急速に隈ができていた。俺も友人も思ったより早く限界を迎えそうだ。
ガガッ、ブーン……。
2人とも顔を上げて確認し合った。この振動、この音、やっと動き始めた……?
しばらくぶりに立ち上がる。関節が固まって動かしづらい中、壁を支えにして安堵に浸る。
「助け、来た!?」
疲れも相まって変に興奮気味な友人に気圧される俺だが、内心とてつもなく喜んでいた。外の空気が、外の景色が待ち遠しい。
昇っていく電子パネルの数字。5、6、7、8、止まることなく上昇を続ける。
10、11、箱全体が軋む音がした。やっと停止した。
11階……?
ガラス窓の向こうに誰かが見える。1人しかいないようだ。
なめらかに開いた扉。
そこにいたのは漆黒の燕尾服を身に纏う老紳士だった。
頭には黒色のハット、右手は艶のある黒ステッキに添えられていた。
「大丈夫でしたか、お二方。エレベーターの故障とお聞きましたが」
灰色の髭を撫でながら喋る老紳士。俺にはあまりにも出来過ぎな見た目が不自然に思えた。
「さあ、はやく降りた方がよろしいでしょう。またいつ不具合が起きるかわかりません」
老紳士はこちらに手を差し伸べた。
渋っている俺の横で、友人はそのまま手を取りエレベーターから出ようとした。
「ちょっと待て!!」
とっさに腕を掴んで引き留めた。
「お、おい何すんだよ!? 早くここから出ないと――」
「おかしいと思わないか? 俺らは管理会社に連絡したんだぞ、なんでこんな老人がやってくるんだよ!」
「あっ……」
「それに、このマンションは、10階建てなんだよ!」
そう言った瞬間、老紳士の雰囲気が変わった。
「いぃイからァ、はヤク、こっチこイ!!!」
老紳士はガツンと床をステッキで打ち鳴らし、先ほどまでの落ち着いた物言いはどこかに消え去り、気付けば耳まで裂けた大口で死臭がこびりついた声を発した。
友人は奥の壁に張り付き震えたが俺はすぐに閉ボタンと1ボタンを連打した。
「しまれしまれよ、はやく!」
ズゥーンと重い扉が閉まった。
老紳士は最後までこちらをにらみ、扉に顔をはり付けていた。
――1階にたどり着いた。
タイミングよく駆けつけた救助隊員にいい年した男二人が揃って泣きついた。
大事をとって病院に連れて行かれたが何もなかった。
とはいえあのマンションは俺の住んでる場所だ。
このあと、またあの家に帰らなければいけないのは血の気が引く。
けれどすぐに引越は難しい。
だいたい、あの老紳士は何者だったのか。若者が多いこのマンションであんな住人は見たことないし、そもそも存在しない11階にいた時点で人じゃないんだろう。
ひょっとするとエレベーターの故障自体、やつが俺らを誘うための罠だったのかも知れない。
もし、誘いに乗って安易に降りてしまったら、どこかに連れ去られたか、あの裂けた口で食べられたか……。
そんなことを思ってため息をつきながら、俺は6階の自宅まで毎日階段を使っている。
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