海釣り

 日の出まで1時間ほど前の早朝、太平洋に面した海岸。点々と佇む沿道の明かりが白波も立たない静かな景色を微かに照らす。

 漁港なわけでもなく海水浴場でもない。近くには民家もコンビニもないから、多分昼間に来ても人気はないだろう。


 その海岸から垂直に伸びる防波堤の先端、一文字に消波ブロックが器用に並べられた人工の陸地で俺は釣りをしていた。



 仕事終わりに車を飛ばし、夜のドライブからの釣りをするのがたまらなく好きだ。

 あてもなく、何となくの推定と勘で初めての場所に向かう。釣れる日もあれば釣果ゼロの日もしょっちゅうある。



 ところで今日の成績といえば……触れないでおこう。体脇に置いたバケツの中を覗き込めば、水とエアポンプの泡が湧き続けるだけ。

 釣りを初めて2時間。まだ諦める時間ではないけれど、そろそろ場所を変えてもいいかもしれない。

 リールを巻いて針先を手繰り寄せれば餌は丸々残っていた。俺は死んだイソメを外しクーラーボックスに入れた活きのいいものを取り出して針に付け替えた。




――――2時間後、水平線の向こうから朝日が登り終えていた。

 目をしかめながら荷物を片付ける。

 結局何も釣れなかった。アタリはたまにあるが合わせるのが難しい。釣り歴は10年の俺だが1人で適当にやっているせいで技術は特にない。



 まとめた道具一式を両肩と両手で持ってブロックの上を歩く。

 重たい荷物を担いで入り組んだ足場は危ないけれど、行きの暗闇と比べれば日が照った分歩きやすい。

 見えていなかったブロックの隙間にはカメノテヒザラガイが打ち付ける波に負けじとしがみつき、近づくと解散するフナムシやヒライソガニがひしめき合って暮らしている。

 俺は海の生き物は全般好きだ。釣りに来た時、全く釣れなくても楽しく過ごせるのはこうした他の生物との出会いのおかげである。


 ただ今日見かけるのはどれも定番の生物ばかり。ちょっと味気ない。

 何か面白いものがないか、荷物をその場に降ろして周辺を捜索した。



 波消しの役割を担っているので当然漂着物も多い。

 沖側の面にはゴミや流木や貝殻が多種多様に流れ着いている。ここになら何かあるかも。

 海に落ちないように屈んで隙間の中までじっくり見ていく。



 数分探した時、ブロック列の端っこに何か大きな塊が引っかかっているのに気づいた。

 遠目には流木にプラスチックゴミがくっついているような外見だった。

 心踊る出会いを期待して駆け寄った。



 そこに横たわっていたのは大きな魚――の死骸だった。

 広い尾びれと80cm程の体には細かく滑らかな薄い桃色の鱗がびっしり生えていた。タイに近い色だ。

 恐らく頭からの前半分は千切れて無くなっており、近くには見当たらなかった。中からは30センチくらい背骨が出ていた。


 魚図鑑は幼い頃から読んでいたし、今でも眺めて楽しむが初めて見る魚だった。まぁ胴体の半分と尾びれだけではなんとも言えないが、この色でこの大きさ、日本に住む魚のようには感じられない造形をしている。もしかしたら珍しい深海魚かもしれない。


 俺は証拠を残そうと上着の内ポケットからスマホを出して何枚も色んな角度から写真を撮った。


 一応断面も撮影しておこう、そう思ってブロックを登り左側に回り込もうとした。


 上まで登って下を見た。陸側の海面近いブロックに乗っていたのは、人の上半身だった。

 一瞬で死体、事件という言葉が脳裏を過ぎった。


 ブロック上で仰向けに寝る細身の上半身。皮膚はすでに青白く所々が黒く変色を始めていた。

 胸が膨らんでいて肩より長い茶色の髪、生前は綺麗な女性だろうと思った。




 不思議なことに気がついた。


 この上半身と魚の死骸の位置は1mしか離れていない。


 それに魚は上半分、女性は下半分が欠損している。



 いや、これは欠損しているんじゃなくて、元は同じ生き物だったんじゃ……?


 上半身が人で下半身が魚の生き物といえば、まさか――――



 世紀の発見の目前、海面に水柱が立った。

 飛沫が俺の顔までかかって思わず目をつぶった。


 すぐに開いたら水中から伸びた、白くしなやかな腕が足元の女性と魚の死体を掴んで引きずり込んだ。


 あっ、と思った時には2体は深く沈んでいき、あとに大きな波紋を残すのみとなった。



 去り際に、何者かのこちらを睨む鋭い目と水を蹴る半透明のヒレが見切れた。





 俺の皮膚に寒気が走ったのは、海岸まで通り抜ける潮風のせいではなかった。




 この場所の住所は誰にも話していないし、俺も二度と行っていない。






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