第10話

「此度の婚約破棄は、一体誰の為のものだったのでしょうか」


答えは解っている。解り過ぎる程に。

彼という人間を知っているならば。


彼の心が解っているからこそ。

私の心は狂おしい程、千々に乱れる。




「誰の為、か⋯⋯。建前を言うなら国の為。本心で語るなら、私自身の為だ」


視線を空に向け、彼が口を開くと、さぁ、っと月の光が差し込む。

今迄、雲が出ていた事にすら気付かなかった。まだ冷静では無かったのだろう。

月光を浴びた彼は美しかった。

本来ならば、彼は太陽だ。それが、自ら月に成ろうとしている。


でもね。

月を愛でる者も、また多いのよ。


「ねえ、ルゥ君。私を誤魔化せると思ってるの?」

「そこで、それは狡いよ、マリィ」


苦笑して私に視線を戻したルゥ君は、吃驚していた。

私の双眸からは、止めどなく涙が溢れていたからだ。


「狡いのは、ルゥ君の方じゃない。いつもいつも本心を隠して。他人の為に行動して、私達の気持ちはどうなるの?」

「そんなつもりは無い。俺はいつも自分の事しか考えてない。今回だって、こうする事が一番楽だからだ」

「外に向けた理由なんて、どうでも良いよ」

「いや、外に向けた、って言われてもな。そもそも計算づくで動いたって気付くのが何人居る⋯⋯」

「話をすり替え無い!」

「はいっ!」


二人共、すっかり昔の口調に戻ってしまっている。

こうやって、誤魔化そうとするルゥ君を一喝したのも、これで何度目か。


「もう、ティーナさんが心配だよ。ルゥ君には、こうやって叱らないと。ちゃんと話してくれないからね」

「俺の心配はしてくれないのか?」

「した方が良い?」

「⋯⋯いや、しなくて良いし。心配掛けたら駄目だよな」


涙は止まらない。

ルゥ君はずっと苦笑いに、自嘲が混じった表情をしている。

昔から見慣れた、いつもの彼の顔だ。


ああ。

⋯⋯嗚呼。


一体、いつからこの顔を見ていないのか。

いや、彼の顔を見るのを止めてしまったのか。

私は、何と愚かだったのか。


「ルゥ君の企みでね、誰が一番、得しちゃったのかな?それを、狙ったんだよね?」


ルゥ君は気まずそうな顔をしていた。

言ってしまえば「どうしようかなー」って表情。

悪戯がバレた時、いや、その悪戯に隠された真意を見抜かれた時にする顔だ。


私は今。

彼を困らせている。

何と甘美な快感だろうか。


ああ。

⋯⋯嗚呼。


そうか。

私は彼を困らせたかったんだ。

そうやって「仕方ないなあ」と言って欲しかったんだ。

そんな小さな欲望が、最悪への道を舗装してしまったんだ。

歪んだ愛が、私達の行き先を変えたんだ。


「私に関して言えば、恥はかかされた。けど、ルゥ君が泥を被ったよね?しかも王太子妃になる事は、シュバルツ君に相手は変わったけど、陛下に再確認してもらったようなものよ。家だって、お父様の不正も無かった事にされたわ」

「これからが大変だよ?マリィはお妃教育が滞っていたし、注目を集めてしまった。お父上だって、下手な事は出来なくなった。王家に頭が上がらなくなったしね」

「でも、私は今迄サボっていたツケじゃない。形はどうあれ、コンキリエ家は王家と縁続きになった。殆ど一人勝ちよ。敢えて言えば、もう一人の勝者はシュバルツ君かしら」


此処に至って、シュバルツ君の気持ちも理解してしまう。

弟に、全てを与えるのか。


でも。


髪を指に巻き付けながら、ルゥ君は困った様に言葉を探していた。


「ねえ、ルゥ君。本心を隠す時の癖、直ってないの?」


ぴたり、と動きを止める。

視線はあちこち彷徨い、寄る辺を求める漂流者のそれだ。


やはり。

間違っていない。


「ワザと癖を出して、私にだけは気付いて欲しかったのね。多分、無意識だろうけど」


彼は動きを止め、大きく目を見開いて、私を凝視した。





ああ。

⋯⋯嗚呼。


何ものにも代え難い快感。

身体の中心から熱くなっているのが、はっきりと自覚出来る。

顔も熱を持っている。

暑い。熱い。

⋯⋯気持ち良い。


それなのに、涙が止まらない。


「ルゥ君。誰が為の婚約破棄だったの?」


長い沈黙。

ひょっとしたら、短かったのかもしれないが、永遠にも似た時間に感じる。




「君の為の、婚約破棄だよ。マリィ」

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