風味やわらか(恋愛掌編集)
夏緒
あなたを好きって言わない
ずるいなぁ。
いつも思う。
その顔はずるい。
そんな目で貴方に優しく微笑まれたら、誰だって自惚れてしまう。
誰にも独り占め出来ない、その瞳。
ぽちゃん、と音を立てて、水溜まりに小石が消える。
もうすぐ空が橙に染まりそうな頃、彼女は誰もいない外回廊で一人、小石を水溜まりに投げ捨てていた。
ぽちゃん、ぽちゃん。
少し高さのある場所から投げ落とすと、小石は軽やかな水音を立てながら水面を揺らした。
「ずるい人……」
「俺の事か?」
え、と声のした後ろを振り返ると、いつの間にかずるい人、がそこに立っていた。
「いつからそこにおられたのですか」
まだ少しだけ手の中に残っている小石をそのままに問い掛けると、彼は「別に、」と言いながら彼女の隣まで歩み寄り、同じように欄干に凭れて、小石が埋まる水溜まりを覗き込んだ。
「今通り掛かったところだよ」
「そうでしたか」
手の中の小石を、ぱらぱらと下に落とす。
水溜まりの周辺に散らばったのを見届けてから、軽く手を払った。
「なんだ、憂いたような顔をして。姫に妬いてるのか」
からかうように言われて思い出すのは、数日前の宴。
彼女に見せた優しい微笑み。
「別に、今更あんな事くらいで妬いたりなどしませんよ。只、少しだけ」
そう、ほんの少しだけ。
「悔しかったんです」
感極まる程に嬉しそうだった彼女の事を、羨ましいなんて言わない。
あの微笑みに心がない事を知っているから。
只、悔しかった。
本当は独り占めしたいのに、いつだってそんな事出来やしない。
誰のものでもないから、独り占め出来ないから。
「なんだ、結局妬いているんじゃないか」
くしゃりと笑うその顔。
今だけ私のもの。
「心配するな。お前だけだよ」
「何人に同じ事をおっしゃられたのでしょうね」
「手厳しいな」
ああほら。
もうすぐ空が、橙に染まる。
「なあ、」
「はい」
「口づけをしてくれないか」
ずるい人。
いつだってそう。
人を振り回すのが上手。
「嫌ですよ」
「けちだな」
「たまには、」
「ん?」
「たまには、貴方からしてください。口づけ」
振り回されっぱなしなのは癪だから。
たまに我が儘を通すのは、自分ひとりの特権だと信じてる。
面食らった顔。
悪戯っぽい顔。
近づいてくる「男」の顔。
ああほら。
目を閉じるのも惜しい。
「悪い人ですね、貴方は」
「ずるくて、悪い男?」
「ええそうです。それからとても、いい男」
結局最後は自分から。
だってそんな顔で微笑まれたら、誰だって自惚れてしまう。
あの水溜まりがいつか小石で溢れ返るまで、まだ言わない。
『あなたを好きって言わない』
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