第85話 優等生君の豹変
ナイトクラブの事務所。
ディミトリは弱ってしまった。部屋に入ってきた男はジャンの部下だったのだ。そして、この連中はコイツの手下なのだろう。
折角、滞りなく帰宅できるはずだったのに厄介な事になりそうだ。
(参ったな……)
ディミトリは顔を伏せたが少し遅かったようだ。男と目が合った気がしたのだ。
「お前……」
入ってきた男が何かを言いかけた。その瞬間にディミトリは、右袖に仕込んでおいたバーベキューに使う金串を、手の中に滑り出させた。こんな物しか持ってない。下手に武器を持ち歩くのは自制しているのだ。
ディミトリは車で送ってくれると言っていた男の髪の毛を引っ張って喉にバーベキューの串を押し当てる。
これならパッと見はナイフに見えるはず。牽制ぐらいにはなると踏んでいるのだ。
いきなり後頭部を引っ張られてしまった相手は身動きが出来なくなってしまったようだ。何より喉元に何かを突きつけられている。
兄貴と呼ばれた男と部屋に居た残りの男たちも動きを止めてしまった。
「動くな……」
ディミトリが低い声で言った。優等生君の豹変ぶりに周りの男たちは呆気に取られてしまっている。
しかし、入ってきた男は懐から銃を取り出して身構えていた。ディミトリの動きに反応したようだ。
「え? 兄貴の知り合いですか?」
「何だコイツ……」
部屋に居た男たちはいきなりの展開に戸惑いつつ兄貴分の方を見た。
「ちょ、待ってくれ!」
だが、兄貴と呼ばれた男が意外な事を言い出した。
(ん? 普通はナイフを捨てろだろ……)
ディミトリは妙な事を言い出した男に怪訝な表情を浮かべてしまった。
「俺は王巍(ワンウェイ)だ。 日本では玉川一郎(たまがわいちろう)って名乗っているけどな……」
「ああ、ジャンの手下だろ…… 倉庫で逢ったよな……」
「やっぱり覚えているのかい」
「ああ、俺は自分をぶん殴った奴は忘れない……」
「……」
「後で殺してやる事にしてるもんでな……」
そう言うとディミトリはニヤリと笑ってみせた。
「倉庫の続きをやるのかい?」
「……」
「俺が問題の解決に容赦しないのは知っているだろ?」
「アンタには手を出すなと言われている……」
「?」
「アンタのせいで組織がガタガタになっちまった。 このままでは商売に差し障りがでちまうんで手を出すなと言われてる……」
灰色狼の上部組織は中国にある。彼らには本国で作られた薬を捌く組織が必要なのだ。金にも成らない意地とやらで、組織が駄目になったら元も子もないと判断したのだとディミトリは思った。
「あっ! そう言えば灰色狼が一人の男に叩き潰されたって聞いた事がある……」
「え? それってこの小僧がやったんですか!?」
その場に居た男たちは顔を見合わせていた。さっきまで普通に話していた小僧の素顔が何なのかを知ったからだ。
「そうだ……」
ワンは手下たちにそういった。手下たちは再び顔を見合わせていた。
ディミトリはワンから目を話さずにジリジリと出口に向かっていた。
「アンタとは揉める気は無い……」
「信用出来ないね」
「アンタの家族に手は出してないだろう?」
「……」
つまり、彼らはディミトリの自宅も家族構成も知っていると言外に語っている。何も起きていなかったのは無視されていたのだろう。
「この通りだ……」
ワンは銃を机の上に置いた。そして、両手を開いて見せて来た。
「なら、その銃を寄越せ……」
ワンは銃から弾倉を抜いて床に置き、足先で滑らせるように蹴ってきた。ディミトリはそれを靴で止めた。
「アンタに弾の入った銃を渡すと皆殺しにするだろ?」
(ほぉ、馬鹿じゃ無いんだ……)
彼の言う通り、銃を手にしたら全員を皆殺しにするつもりだった。
ワンはそれなりに修羅場をくぐっているようだ。
ディミトリは滑ってきた銃をソファーの下に蹴り込んだ。これで直ぐには銃を取り出せなくなるはずだ。
「鶴ケ崎先生はどうなったんだ?」
「おたくのボスに殺られちまったよ」
「……」
どうやら、灰色狼は組織だって動いて無い様だ。誰が無事なのかが分かっていないようだ。
「それでボスのジャンはどうなったんだ?」
「さあね。 ヘリにしがみ付いていたのは知ってるが着陸した時には居なかった」
「殺したのか?」
「知らんよ。 東京湾を泳いでいるんじゃねぇか?」
(ヘリのローターで二つに裂かれて死んだとは言えないわな……)
手下たちは額に汗が浮かび始めた。さっきまで脅しまくっていた小僧がとんでも無い奴だと理解しはじめたのだろう。
「ロシア人がアンタを探していたぞ……」
「ああ、奴の手下を皆殺しにしてやったからな…… また、来れば丁寧に歓迎してやるさ」
ディミトリは不敵な笑みを浮かべた。
ワンは少し肩をすぼめただけだった。どうやらチャイカと自分の関係を知らないらしい。
「俺たちは金儲けがしたいだけだ。 アンタみたいに戦闘を楽しんだりはしないんだよ」
「……」
やはり色々と誤解されているようだ。自分としては降りかかる火の粉を振り払っているだけなのだ。結果的に相手を皆殺しにしているに過ぎない。それが身の安全を図る方法だと知っているからだ。
「じゃあね……」
ディミトリはそう言うと捕まえていた男を突き放して、素早くドアから出ていった。
残された男たちは慌てて追いかけようとした。
「よせっ!」
だが、ワンが皆を止めた。
「え?」
「逃しちまうんですか?」
「あの小僧はナイフしか持って無かったでしょう」
部下たちは不平を漏らした。ワンとディミトリの話を聞いていても、半分くらいしか信用していないようだった。
「アレは特別なんだよ……」
ワンは店を監視している防犯カメラの映像を指差した。夜の店だと酔っ払って暴れる客が居るものだ。それを察知して客を大人しくさせる為に、店内の様子を映し出しているのだ。
そこにはドアの外で金串を構えているディミトリが写っていた。何も言われ無くても彼が何をしようとしているのかわかる。最初に飛び出してくる奴を始末しようとしているのだ。
追撃をかけようとする奴は周りへの注意が疎かになってしまう。その隙を付いて反撃すれば殺りやすくなるのだ。
追跡者の人数を減らして、自分の生存率を高めるのに使われる方法だ。
「見かけに騙されるな、アイツは殺戮に関してはプロなんだよ」
ワンが言った。彼は倉庫の経験で僅かな気の緩みで組織が壊滅状態にされたのを覚えているのだった。
例え銃を持っていても安心出来ない奴がいるのだと思い知らされた出来事だった。
「……」
そして皆が監視カメラを見守っている中、誰も出てこないと考えたのかディミトリは店から出ていった。
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