第57話 自戒の念

モロモフ号。


 ディミトリは船の後方にボートを付けた。係留ロープを結びつける場所がないので、ロープの先に磁石を付けて船に貼り付けた。

 これでボートは行方不明にならないはずだ。


 それから、吸盤を取り出し船を登り始めた。

 まず、右手側を貼り付けて、それを手がかりに左手側を上に貼り付ける。右手側を緩めて左手を手がかりにして上に貼り付ける。

 そうやって、交互に貼り付ける事によってよじ登っていくのだ。手の力だけなので結構しんどいものがある。


 それでも、何とか登りきって船の舷側から甲板に降り立った。

 ディミトリは懐から拳銃を取り出した。警戒したままで、ゆっくりと歩きながら入り口に向かう。

 ここで、見つかれば道に迷ったなどと言い訳が効かないからだ。


 出発前に見かけた船の見張りは反対側にいるのか見当たらなかった。つまり、常時警戒しているのは一人ということだろう。

 最低でも二人は見張りに付くものだと思っていただけに拍子抜けした。


 船の中に素早く入ったディミトリは奥に進んでいく。遠くの方で話し声が聞こえるだけで、後は何かの振動音がするだけだ。

 今の所、船が侵入されたなどと誰も気付いていないようだ。手短に船内を見て回るつもりだった。

 

 人の声がしていたのは食堂と思われる部屋だ。灯りが点いているので何人かいるらしかった。

 ディミトリが入り口の傍によると、中からロシア語の会話が聞こえてきた。


『日本のカイジョウホアンチョウの検査は終わったんだろ?』

『ああ、連中は気が付かなかったぜ』

『じゃあ、さっさと荷物を受け渡してしまおうぜ』

『連中に悟られ無いで助かったな……』

『ああ、まさかブツを船底に貼り付けて運んでるとは思わないもんさ』


(ふん、ソコビキって取引のやり方か……)


 ロシアの留置場に入れられた時に、隣の房に居た薬の売人に運搬方法を聞いたことがある。その一つに『ソコビキ』と言うやり方にそっくりだった。方法は簡単で薬なり銃器なりを防水箱に入れ、船の底に溶接してしまうのだ。見た目はスタビライザーに見えてしまうので誤魔化しやすいそうだ。


(くそっ、ひょっとして違う船だったのか?)


 彼らが話していたのは違法薬物か何かの取引らしい会話だった。興味が無いので他の部屋を探しに行こうとした。


『ところで例の女はどうしてるんだ?』


 中に居る一人が話し始めた。ディミトリは足を止めた。


『船長室に閉じ込めたままだ』

『俺たちで楽しんで良いのか?』

『用が済むまで駄目だってチャイカが言ってたぜ?』

『その後は良いんかい』

『ああ、どうせお楽しみ終わったら売っちまうんだろう。 日本の女は高く買ってくれるらしいからな……』


 何人かの下品な笑い声が聞こえてきた。中々のクズ揃いだ。

 そこまで聞いて閉じ込められているのはアオイであろうと推測が出来た。チャイカが出入りしているので間違い無いだろう。

 目的の船で無かったらどうしようかと思ったが当たりの様だ。

 次はアオイが閉じ込められている船長室がどこにあるかだ。


(そう言えば、途中に船内案内図が貼って在ったな……)


 それを思い出したディミトリは、今来た通路を戻っていった。



 アオイは自分の運命を呪っていた。

 病院の関係者を名乗る男から呼び出され、行ってみるとそのまま船に連れてこられてしまったのだ。


 意味が分からずに怯えていると、赤毛のロシア人とキツネ目の日本人がやってきた。

 そして、自分と若森忠恭が一緒に映っている写真を見せられて、どういう関係なのか質問されたのだ。

 個人的に家庭教師を引き受けているだけだと答えたが、彼らは納得しなかった。


 特にロシア人は少年の事をしつこく聞いてきた。普通の少年と違っている所は無いかとかだ。

 何も知らないと言うと、今度は妹と若森忠恭の写真を見せて来た。車の中で一緒に乗っている所だ。

 それでも知らないと言うと、今度は妹に聞くと言って部屋を出ていってしまった。


(アカリは無事だろうか……)


 きっと、妹も同じ目に合わされている可能性が高い。時間が経つ程に焦れてくる。

 こんな事なら若森忠恭の事など言ってしまえば良かったと軽く後悔していたのだ。


 恐らくは、このまま外国に連れて行かれてしまうのだろう。

 そして、他の人たちと一緒に売られてしまうのだ。言われなくとも過酷な運命になるのは分かっている。


 最初はドアを叩いて大声を上げていたが、その度に殴られるので今は静かにしているようになった。

 彼らは女だからといって手加減はしないのだ。自分でも顔が腫れているのが分かるぐらいだ。


(確かに外国に行こうとはしていたけど…… でも、こういう形の話じゃない……)


 妹を助けようとしているのに、彼女を巻き込んでしまっている。しかも、自分には事態を解決する手段すら無い。

 やはり、若森忠恭とは早めに手を切っておくべきだったと、自戒の念が湧き上がってきていた。


「まるで疫病神ね……」


 アオイがポツリと漏らした。



 その時、船のドアがガチャリと音を立て、軋む音を響かせながら開いていく。

 また、船員がセクハラでもしに来たのだろう。食事を運んできたついでにアオイの胸を揉んでいくのだ。

 そう思って陰鬱な気分になりながら入り口を見た。

 そして、入り口にいる人物を見た時に、心臓が止まるのかと思うぐらいに驚愕した。


「やあ、元気そうだね?」


 そこにはニコヤカに微笑む疫病神こと若森忠恭が居た。


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