第13話 目撃者の掟

自宅。


 翌日に信号が消えた場所に行ってみた。ディミトリの想像した通りにスマートフォンはバラバラになっていた。


(向かっているのは東京都内か……)


 高速道路に上がる手前に部品はあった。想像した通りにタイヤハウスから落下してしまったようだ。

 粘着力が足りなかったようだ。直ぐに外す事を考えていたので控えめにしたのが仇となった。


(警察の可能性もあるし、在外諜報機関の可能性もある)

(結局、わからないままか……)


 釈然としないままディミトリは自宅に戻った。

 不審車にいつまでも掛り切りになっている場合では無いからだ。


 部屋に戻った彼は詐欺グループのアジトの監視カメラをチェックし始めた。

 盗聴器を仕掛けた時に回収しておいたのだ。

 不審車の事があったので、毎日の交換作業はやらないほうが良いだろうと考えたのだ。


(……)

(俺がタダヤスでは無くディミトリに成り代わっているのを、知っている人物が居るという事だよな……)

(……)


 そんな事を考えながら漠然と監視カメラをチェックしていた時に有るものを見つけた。

 交通事故の様子が録画されていたのだ。


「ああ、こういう事もあるのか……」


 運転していたのは女性。見た感じは若そうだ。

 女性は事故に気が付き一度車を降りてきたが、被害者の様子を一瞥すると去っていった。


「轢き逃げじゃねぇか……」


 これはディミトリの監視カメラに偶然撮られていた轢き逃げ動画だったのだ。


「フフッ…… 悪い奴だ……」


 普通なら慌てて警察に通報するのだろうが、そうすると監視カメラのことを説明しなければならない。

 それはそれで面倒だ。第一、ディミトリは警察が嫌いだった。


 少年だった頃も大人になってからも疎んじられて来たからだ。

 きっと、警察に嫌われるフェロモンでも出しているのだと考えている。


 車が去った後も動画は続いていた。男は倒れたままの姿がずっと写されている。

 轢かれた男はピクリとも動かない。恐らくは駄目だろう。


「フッ…… こっちは運の悪い奴だ……」


 ディミトリは無感情のまま画面を見ながら呟いた。

 これまでも、巡り合わせが悪くて死ぬやつは散々見てきた。


 シリアの市街地で戦闘になった時のことだ。十メートル程度の近距離でお互いに撃ち合った。

 その銃撃音に驚いて飛び出してきた住人が、敵兵に薙ぎ払われるのを良く見た。


 ああいった地域では屋内にいると、手榴弾が投げ込まれたりして危険なので屋外に避難する事が多い。

 そして、銃撃戦から離れた場所に避難するのが普通だ。


 ところが人間は慌てると絶対にやってはいけない事をしてしまう。状況を深く考えずに行動するのだ。


 家の中に居た住人は、いきなりドアを開けて飛び出してしまった。

 それに驚いた兵隊が相手を確認せずに銃撃してしまったようだ。

 慎重で臆病な人間で無ければ生きていけない地域だった。


(大胆に…… 慎重に…… そして、確実に殺せ……)


 その時も同じような事を呟いたことがある。


 ディミトリにとって『死』は日常の中にあった。それらの多くは統計上の数字として処理されるのだ。

 これもその一つなのだろう。

 だから、死人を見かける度に良心に阿っていては心が持たないものだ。


(まあ、良心が有るとすればだが……)


 そんな事を考えながら苦笑いをしていた。

 動画は時間切れで終わっていた。容量がいっぱいになったようだ。

 元々、日中の監視をしたいだけだったので、十二時間程度しか想定してなかったのだ。


「とにかく、面倒事はまっぴらゴメンだな……」


 彼は黙殺することに決めたようだ。

 ディミトリは自分に関わりの無い事には興味が無い。

 ハッキリ言って他人がどうなろうと知ったことではないのだ。


 犯罪を見たら通報するのが正義だとされている。関わりを持たないのも正義だ。

 正義の有り様は人それぞれだ。

 それを強制される筋合いは無いものだとディミトリは考えている。


(力の無い奴に限って安全な所に居て吠えてやがる……)


 ここ何ヶ月か日本に居て思ったことだ。

 何処の国へ行こうと支配する側と支配される側の二面性を思い知らされるのだ。


 地位を持たないもの、声が小さいものは搾取される側なのだ。

 かつての自分も同じように搾取される側の人間だった。


 だが、兵隊となって運命は自分でコントロール出来ると理解できるようになった。

 その代償に良心を削り取ることになったのだ。


 運に恵まれない奴らを見ながら自分はこう考える。


『・・・ オレモオナジダッタ ・・・』


 今はどうか?


 傭兵になった時に、大人になったと錯覚することが出来ていた。自分の運命は自分の引き金で切り開く決断ができるからだ。

 信頼出来る仲間に囲まれて、上官の愚痴を言いながら惰眠を貪り、良い女を口説く為に酒場に日参する。

 そんな毎日でも気に入っていた。


 だが、気がつけば東洋の見知らぬ国で、誰とも分からない小僧の身体に押し込まれている。

 自分のケツが拭ける程度にはデカくなっているが、女ひとり口説くのにすら難儀している体たらくだ。


(また、やり直しかよ……)


 ディミトリは自分の両手をジッと見つめていた。恐らくは人を殺めたことの無いまっさらな手だ。

 タダヤスもディミトリに身体を乗っ取られなければ、普通の人生を歩んでいただろう。

 ひょっとしたら違う人生を歩めるかもしれないと一瞬考えたのだ。


(俺の場合は、相手も同じ兵隊だったけどな……)


 『お互い様だろ?』そう自分を誤魔化しながら任務を遂行していた。何十人も手にかけてきたのを覚えている。


(誰かのために働く人生がベストなのか?)

(目的も無く漠然と時間が過ぎていくのを眺めるだけの毎日……)

(たかが小銭を稼ぐためにペコペコ頭を下げて、家に帰れば安酒を煽るだけの毎日……)


 ディミトリは自分の父親を思い出していた。毎晩毎晩、顔が真っ赤になるまで飲んだくれて寝るだけの人だった。

 時々、気紛れに自分の妻子を殴りつけるような父親だ。


(何が楽しくて生きてるんだろう?)


 そう質問したかったが、結局は家を出るまで聞けなかった。

 家を離れてからは親への関心は無い。今の状態にならなければ思い出しもしなかったであろう。


(……)

(やはり、元の身体のほうがシックリ来るよな……)


 とりあえずは元の身体に戻って戦場に帰りたかった。

 死と背中合わせの日々だったが充実していたのだ。同じ境遇の仲間がいたせいもある。

 毎日毎日、怨嗟の如く呪っていた、肥溜めのような環境が懐かしかった。


 ここは自分の居場所ではない。ぬるま湯のような変化のない毎日。

 良き隣人を装っているが、スキあらば他人の足元を掬おうとする奴ら。

 他人の痛みを理解しようとせずに、スマホで事故を撮影する無神経な通りすがり。

 こんな訳のわからない国でやり直しなどまっぴらごめんだからだ。


「ようこそ、くそったれな人生……」


 そう呟くとコップに入った水を一気に飲み干した。


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