第4話 手鏡
タダヤス祖母宅。
色々と驚愕させられることの多い毎日だが、もっと驚愕することがあった。
何気なく見た新聞の日付がそれだ。
なんと工場を襲撃した時から数年経っているのだ。
(色々と覚えることが多すぎて日にちまで気が回らなかったぜ……)
何となく季節が違うなとは思っていたが、爆発で重症を負ったので長期入院なのだと思いこんでいた。
まさか、何年も経過しているとは思っていなかったのだ。
(次は何にビックリすれば良いんだ……)
ディミトリは朝方はランニングをするようにしている。これは彼が傭兵だった時からやっていた事だ。
基礎的な体力を付けるにはランニングが一番だからだ。
それに考えに没頭できる所も気に入っている。
(脳がどうやって移植されたのかを調べる必要があるな……)
ランニングから帰宅したディミトリは早速洗面所に向かった。
ディミトリは脳が丸ごと移植されたと考えている。
「…………」
洗面所で自分の頭をジッと見つめている。
脳を移植された傷跡を探しているのだ。きっと手術跡などが有るはずなのだ。
ディミトリは戦闘で怪我をする事が多かったので、体中が手術跡だらけだったのを思い出していた。
「うーーーーん……」
手鏡をアチコチかざしてみたが、手術跡など何処にもなかった。
普通に考えて頭蓋骨を切り開かないと脳は入れ替えが出来ないはずだ。しかし、頭をいくら見てもそんな跡は無い。
(んーーーー…… どうやったんだ?)
日本は科学技術だけでは無くて、医療技術も発展しているのだろう。だから、跡の残らない手術が可能だったのかも知れない。
自分が日本に居るのはそういう意味なのかと取り敢えずは納得させた。
(取り敢えずは中に入れることが出来るのだから元に戻す方法も有るはずだ……)
ディミトリは元の自分に戻る方法を考えることにした。
普通なら若返ったと喜びそうだが、知らない他人の身体では気味が悪い方が勝っている。
それに、こんな枯れ枝に手足を付けたような、貧弱な身体は気に入らなかったのだ。
強さこそ己の証明みたいな所のある傭兵あがりには弱いと思われるのが嫌なのであろう。
(原因も理由も分からなければ、いつ消えても不思議じゃないからな……)
確かにいつ自分が消えてしまうのかを考えると恐怖で狂いそうだ。
(何とかしないと……)
そんな事を考えていると、台所の祖母から声がかかった。
「タダヤスちゃん。 朝ごはんが出来たわよーーっ」
彼女はディミトリがオシャレに目覚めて、髪型を気にしていると思っているらしい。
最初は人が変わったかのように、寡黙になった彼を持て余し気味だったが馴れ始めたようだ。
「さあ、沢山食べてね……」
目の前に大量の食材があった。ディミトリが頼んでおいたものだ。
自分には筋肉が圧倒的に付いていない。まるでヒョロヒョロの枯れ木に西瓜を乗っけているような感じだった。
大豆を中心とした食事。大豆は筋肉を増強させるのに必要な食品だ。
問題は適度に運動した後に呑まなければ効果が期待できないという事だ。
(大豆で出来ているとは言っていたが…… ネバネバするし臭いし…… 困ったな……)
ディミトリは納豆が苦手のようだ。それでも目を瞑って口に運んでいた。
本当は自分で調理を管理したかったが、それを言うと祖母が悲しそうな顔をするのでやめた。
彼女は孫の世話を生きがいとしているのだ。
息子夫婦が死んでしまい、残されたのは孫だけなので無理も無いだろう。
タダヤス一家は隣の県に居住していたらしいが、彼を除いて全滅してしまったので住むわけにはいかないらしい。
彼は保護者を必要とする年齢だからだ。そこで、祖母の居る東京の端の方にある地方都市にやってきたのだ。
しかし、祖母と暮らすと言ってもディミトリにとっては他人である。
彼は対応にかなり苦慮していた。
(人は良さそうなんだがな……)
他人が自分に向けて愛情を示されるのは、子供のころから苦手だった。
ディミトリの人生は、人の悪意に囲まれて居たので無理も無いだろう。
ふと、ディミトリは有ることを思いついた。
「子供の頃の写真が有ったら見せてください……」
「はいはい、一杯撮ってあるわよ~」
ディミトリがそう言うと、祖母はいそいそと嬉しそうに写真を取り出してきてアレコレ説明を始めた。
医者の話では記憶障害となっているので、その解決の糸口にでもなればと考えているようだ。
「この時はね……」
彼女は大量の写真が収められたアルバムを持ってきて並べ始めた。
タダヤスが子供の頃の写真。何とも可愛らしい子供の写真だ。
「これが小学校の入学式の時に撮ったのよ……」
親子三人で撮影された写真。タダヤスを間に挟んでニコニコと笑っている一家の写真だった。
どうやらタダヤス一家は三人家族だったらしい。
「これが運動会で…… これは学校発表会で……」
運動会や学芸会という謎の行事。これは生徒の家族を呼んで見せる催しらしい。
彼女は次々と写真を示して、事細かく説明していく。
だが、何も思い出せない。
「保護者会の時に……」
(何だか普通の子供の写真だな……)
自分が持っている子供の頃の記憶は、クラスメートと喧嘩した事ぐらいしか思い出せない。
ディミトリの親は子供に関心が無いので、写真など存在していなかった。
学校にも家庭にも良い思い出などなかったからだ。
「この時は学校で怪我をしちゃって大騒ぎだったわ……」
(タダヤスの記憶の欠片でも残ってても良さそうなんだがな……)
自分が急に日本語を理解できるようになったのは、タダヤスの記憶が蘇りつつあるせいではないかと推測していた。
そうで無ければ、目覚めて数日で聞いたこともない言語が理解出来るとは思えないからだ。
しかし、タダヤスの両親の写真を見せられても、何も思い出すことは無い。
「この時に貴方のお父さんが昇進してね……」
(記憶が上手く繋がらないのだろうか?)
記憶は連鎖反応のような物だと聞いたことがある。
学習というのは、それを効率的に引き出すことが出来るようにする訓練なのだ。
まあ、訓練が上手なやつと苦手なやつが居るが、ディミトリは後者の方だった。
「それから学校で飼育されてたうさぎが死んじゃってね……」
(まあ、中学時代に習った科学の先生が言っていた事だがな)
そういえば、あの先生は無神論者だと公言していたのも思い出した。
何故かディミトリは嫌われていて、良く呼び出されて叱られたものだ。
顔も思い出せないが、彼の刹那的な考え方は覚えている。
「この時は風邪で熱だして大変だったの……」
(まあ、所詮シナプスの化学反応だからな……)
身も蓋もない言い方だが、概ね合っているだろう。
どうせ、真実は誰も確認のしようが無いからだ。
ただ、魂が化学反応の結果なのかというと違う気がすると彼は考えていた。
「どうして、そういう事をする人が居るのかねぇ……」
(じゃあ、悪意というのは拒絶反応になるのか?)
ディミトリは祖母の取り留めのない昔話を聞きながら、そんな事を考えていた。
彼女の話は終わりが無いのか、或いは時間など気にしていないのか長いのが特徴だ。
すると、部屋の隅にある物に気がついた。
ノートパソコンだ。
「あ…… あのノートパソコンを使っても良いですか?」
「え? これは死んだ爺さんが使ってたものだから結構古いのよ?」
そう言いつつ、部屋の片隅で折り畳まれていたノートパソコンを持ってきた。
ホコリが被ったままだ。かなり使われていなかったようだ。
「いえ、インターネットが出来れば良いだけなので古さは関係ないです……」
「そう、タダヤスちゃんはインターネットをやるんだねぇ……」
「はい……」
「私はそういうのには疎くてね…… その内おばあちゃんにも教えてね」
「ああ、良いよ……」
ディミトリはパソコン関係に詳しい訳では無いが動けば良いのだ。
後々スマートフォンも購入しようと考えていた。
(まず、原因を探らないといけないな……)
取り敢えず、自分の本体がどうなっているのかを探らねばならなかった。
それにはインターネットが便利であることも知っていた。
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