第8話『水』


カンポを吹く冷たい潮風。カッレには魚の影。

膝まである水を蹴って朝のサリタ・サン・モイゼを行く。

薄暗い通りの向こうをゴンドラが横切った。

私の他にもいるらしい。あの特別な光景を心待ちにする誰かが。


やがて視界が開けた。

ツーリストの集団に乱される前の、貴重な静寂が広場に満ちていた。

あれは先ほどの一艘いっそうだろう、ゴンドラが浮いている。

漕ぎ手がこちらを振り向いた。

水の精霊を思わせて美しい、長い髪の娘だった。


優しく微笑む彼女の遙か後ろ、ドゥカーレ宮の屋根からまばゆい光がした。

そろって顔を上げた。

荘厳な紫の朝焼けの下、横たわる鐘楼しょうろうの影の向こうで、

大きな水鏡に逆さ写しのサン・マルコ寺院が金色きんいろに輝き始めた。


これほど胸を打つ絵画はウフィツィやボルゲーゼにもあるかどうか。

言葉もなく、私たちはただ分かち合った。

ヴェネチアの冬を。

街と海とが一つに溶け合う、アクア・アルタの朝のひとときを。

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