第8話 No.06 魔獣支配者
8
☆イグニラSIDE☆
「戻ったわ」
私の名前はイグニラ。
魔王の娘、四天魔将のイグニラ・イフリート。
炎の魔剣に選ばれた魔人族だ。
私が戻った場所は、魔王城。
いや、少し違うか。封印されし父の居る、魔王の側近達が暮らす、旧魔王城だ
「イグニラ。よく戻ったっしょ」
魔王城を歩いていると、ふと声を掛けられた。
生意気そうな声。私の神経を逆撫でするような不愉快なその声の方に顔を向けると、一人の少年がいた。
「ロクバン………」
その少年の名前はロクバン。
『魔物を統べる者』
彼は異質な能力でもって10の魔物を使役し、瞬く間に魔王軍の幹部にのし上がった「人間」だ
ロクバン自身の戦闘能力は然程強いものではないが、恐るべしはそのタフネスと、使役する魔物。
炎を司る私の天敵である海獣王ガゴンという
海獣王の他にも、
一癖も二癖もある危険な魔獣を飼いならしているこの紺色の髪の少年。
腹に何を抱えているのか全くわからない、得体の知れない男だ。
「それで、どーだったァ。勇者とやらはよォ」
偉っそうにして巨大な地下の魔獣、モグマーの背に座るその姿は威厳なんて見当たらないけれど、これでもこの少年は私よりも地位の高い上司なんだ。
奴が本気で魔獣をけしかけたら、私もただでは済まないかもしれない。
「どうもこうも、大した事なさそうだったわ。動きも遅いし勇者だなんて持て囃されて浮かれている愚か者にしか見えなかったもの」
「へぇ、で? しっかり殺してきたんだろうなァ」
「殺すまでもないわよ、あんな日和った男なんて」
「あん? バカかお前。魔剣を抜かれる前に、勇者が成長する前に殺しておかないなんてバカすぎっしょ」
「ふん。人間の女の子にも同じような事を言われたわ。でもね、それは私の勝手だし、何より」
私は手に炎の魔剣を出現させ、ロクバンの首に突きつける
「私はあんたみたいな新参者に命令されるのが気にくわないのよ。そんなにやりたいなら、自分でいきなさい」
「おいおい、俺ぁあんたらみたいに丈夫じゃねぇっしょ。その物騒なもんを仕舞えやごら。アクアルーラー呼ぶぞおい」
「………ちっ!」
おどけるようにモグマーの上で“特殊な素材でできた腕輪”のついた左手を振るロクバン。
すると、モグマーが地中を掘るために発達した長く鋭い爪を私に向かって突き出してきた。
バックステップでそれをかわしてから長い袖で握っていた魔剣をしまう。
ばさっと袖がはためく。
ふんと鼻から息を出して悪態を吐きながら今日の出来事に思考を巡らせる。
最初に浮かんできたチカの唇の感触を、頭を振ってどうにか追い出し、チカが左腕に付けていた腕輪の存在を思い出した。
「そう言えば、今日会った女の子がそれと同じ腕輪を付けていたわ。チカって名前の女の子なんだけど………ロクバン、あなたのお友達かしら。私に対してふてぶてしい態度といい、私を知らない事といい、そっくりだったわ」
「あん? チカ? あぁ、聞いた事ある名前っしょ。俺の他にも転移者がいたのか………」
「何か知ってるの!?」
ロクバンは憎い相手だけど、なぜかチカの事をもっと知りたいと考えている自分がいる。
無意識にロクバンにずいっと詰め寄っていた
「近ぇよバカ。なに必死になってやがる」
「な、なんでもないわよ!!」
「………うっせぇ」
思わず叫ぶと、指で片耳を塞いで私から距離を取るロクバン。
「それで、なにを知っているの?」
「あん?知ってる事っつっても、接点は無かったしなァ。確か怪力の能力を持ってたはずだ」
怪力………たしかに、チカが私のツノをへし折りにかかった時、魔族である私が押しのけてもビクともしなかった。
だからこそ、き、き、キス………なんてしてしまったわけだし
って、なにを考えているのよ!
ブルブルと頭を振っている間にもロクバンは話を続ける。
「俺がいた研究施設ではNo.002とか呼ばれていたはずだ。単純な戦闘能力なら、魔剣を持っていないイグニラ程度なら2秒で殺せるっしょ」
ロクバンはモグマーから飛び降り、そう言った。
魔剣を持たない私といっても、魔王の娘だ。そう簡単にあんな小さな女の子に負けるとは思えないのだけど
「ちなみに、俺ぁNo.006と呼ばれていた。こう言えば、強さの基準がわかりやすいか?」
ロクバンの戦闘能力は然程高くないが、従えている魔物の強さは一級品だ。
私だって苦戦を免れないような相手もいる。
だというのに、ロクバンよりもチカの方が遥かに強いという。
「俺が魔物をけしかけても、No.002がちょっとつついたら死ぬだろうな。No.002はそういうレベルの怪力なんだ」
ロクバンのセリフにゾッとした。
もし本当にそうならば、『彼女がツノをへし折る』と言ったのは決して冗談などではなく、本気で言っているという事だ。
今までなんとも思っていなかったけど、実はかなり危ない状態だったんじゃないかしら
「そんで、No.002は何処にいたんだァ?」
「勇者と仲良くしていたわ」
「なるほど、No.002は場合によっちゃ、勇者よりも厄介な相手だァ。すでに手を組んでいる可能性もあるっしょ。面倒ごとになる前に、どっちも殺しておいた方がいい」
「………」
「なにしてんだよ、ボーッとすんな、テメェが行くんだよ」
「は? 私!?」
「ったりめぇだろ。俺が行っても負けるのが目に見えてる。あんな化け物ぁ俺みたいな小物にゃハナから勝ち目ぁねェんだよ。勇者も女もお前はその目で見たんだ。俺が行くよりよっぽど効率がいい」
悔しいけど、ロクバンの言う通りだった
「行け」
「………わかったわよ」
偉そうに命令されるのは腹が立つ。
実力も私の方が上だけど、ロクバンの能力の利用価値は高い。
『魔獣支配者(ビーストルーラー)』それがロクバンの特異能力(ユニークスキル)。
五指から伸びる念糸を魔獣に接続することにより無条件で魔獣を支配し配下に加えることが出来る能力だ。
ロクバンはその能力で10の魔獣を使役し、間接的にその配下までも操るそのチカラは魔界の勢力を広げるためにはうってつけの能力だった。
「今度はしっかり殺しとけよ。人間は」
一度そこで区切ってから顔を伏せ、ロクバンは憎悪の宿る視線を私に向け
「………敵だ」
昏く淀んだその瞳に映るのは、人間への憎悪。
何がロクバンをここまで駆り立てるのか。
人間でありながら人間を憎み、魔族の元で人を人とも思わぬ残虐性にて街を滅ぼす。
当然ながら、私達魔族すら信用している様子は無い。
それでも、自分が求めるままに、魔獣をけしかけて人間の町を破壊する。
さながら魔王のように。
もちろん、本物の魔王様。つまり私のお父さんはそんなことはしないわ。
もっと知的でかっこいい人よ。
だけど、魔人族は強さを何よりも重んじる傾向にある。
強力な魔獣を従えるロクバンの能力も、また強さだ。だからこそ、四天魔将と呼ばれる魔族の幹部に名を連ねているのだから。
なにせロクバンは、四天魔将の頂点であるバグラーを倒した男。
そんな彼を、脳筋ばかりの魔人族の幹部たちはこぞって歓迎した。
ロクバンは人間だが、下っ端魔族は反対したが、脳筋たちには関係のない話だった。
なにより、“魔獣を操る”というその能力は、魔人族が最も欲していたものなのだから。
魔人族たちは人間たちの住む人間界を欲している。
魔人族も人口増加により新しく住まう場所が必要なのだ。
“人間達の侵略”によって、魔界の領域は大国一つ分程度しかない。
5本の聖剣の結界によって周囲を固められ、魔物や魔人族はその領域を簡単に出ることがかなわないのよ。
私は炎の転移魔法。“炎焼転移”で結界をすり抜けられる。そういう転移能力がなければ結界を通り抜け、街に入ることはできないのよ。
今の魔界は窮地に立たされている
人間は魔族を恐れ、魔物を恐れ、私達を僻地に封じて安心したつもりになっているけれどわたしたちだって領土が欲しい。
魔族として人族よりも強い筋力、エルフよりも多い魔力、ドワーフよりも優れた魔導機械を作る技術。すべてにおいて勝る魔人族は、前の戦争では現れた勇者と数の暴力で負けたが、それでも魔人族は今、増えてきて反旗を翻す時が来たのだ。
人間に恐れるな。魔族は強いのだから。
「………」
でも、チカとチヒロを殺しに行かないといけないのよね………。
チカは人間だし、チヒロは勇者。
人間に虐げられてきた歴史がある以上、情を持ってはならない。
なにより人間は、父の仇。
気が進まないけれど、ここは情を消し去ってチカとチヒロを消しに行こう。
炎焼転移の魔法で私の身体は火に包まれる。
元々が炎で構成されているような肉体だ。転移はすぐに終わる。
向こうに着いたらさっそくチカを殺しに行こう。
……………
………
…
転移を終えて目を開けると、視界の先にはうっすらと私の炎の明かりに揺れる室内が映った。
部屋の中で明かりはつけていなかったらしく、すでに真っ暗だ。それもそうよね。普通なら寝ている時間のはずだもの。
転移に指定した座標はチカと勇者の居た宿屋。さらにチカの魔力に合わせて座標を組んだので、問題なくチカのいる部屋に転移できたようだ。
ほっと安堵の息を吐くと同時。
ジャラッ! という鎖がこすれるような音が聞こえた
「なにかしら?」
音がした方向を振り向こうとした直後―――
―――ボグシッ!!
強烈な衝撃を顔面に受け、私は何が起こったのかを理解する間もなく、あっさりと意識を手放した。
……………
………
…
気が付いた時にはボコボコにされた私の隣でチカが寝ていた。
なななな、なんでよ!?
☆智香side ☆
ふあぁ………よく寝たわ。
伸びをすると、ジャラッと手首つけられた鎖が音を立てた。
あら、また鎖が勝手に外れているわね。寝ていると無意識で怪力乱神を発動してしまうから、いつみっちゃんとあつしくんに迷惑をかけてしまうかわからないから寝ている間にわたしの身体を縛ってもらっていたはずなのに………
わたしの寝相の悪さはみんなに迷惑をかけてばっかりだ
クキクキと首の骨を鳴らしてのっそりと立ち上がると、足元で布を踏んづけた
「ぐえ」
なんだこれ
布が喋った。
くしくしと目を擦って目ヤニを取り、足元を見下ろすと
「チカ、踏んでる………」
「………イグニラ?」
四天魔将の魔王軍幹部がそこにいた
なぜこんなところにイグニラが居るのかしら。
しかも、なんか顔が腫れている。まるで重量級のボクサーに重い一撃を受けたかのように、左頬が真っ赤に晴れ上がり、やや紫色に変色しているではないか
口の端から一筋の赤黒い液体が垂れているようにも見える。
「………あ」
よく見ればわたしの右拳に血が付いているではないか。
これは………
うーん。
「…………夢ね。おやすみなさい」
こんな不可思議な状態は夢でしかない。夢なら二度寝したって許されるはずだ。
寝ていた床に再び寝転がり、寒がりであるわたしは、暖を求めて床に倒れているイグニラに寄り添った。
なんか火を使う魔族なだけあって、かなり体温が暖かいわね。
おやすみなさい。
「………」
「………」
「………ってちがーう! 何チカはこの状況で二度寝しちゃってんのよ! なんで二度寝できるの!? 私の顔をこんなにしておいて! なんでもう一度寝ようなんて考えられるのよ!」
おおう、強いツッコミ!
夢じゃなかったのね。
イグニラが耳元で叫んだおかげで眠気が吹っ飛んでしまったわ
ガシガシとボサボサの頭をかきながら横たわったまま、わたしはイグニラに視線を合わせる
「………ふぁ………。………そもそも、なんでこの部屋にイグニラが居るのかしら。わたしはそれが疑問なのだけど?」
ジト目でイグニラを見つめる
「う、それは………」
イグニラが何を怒ってるのかもいまいちわからず、疑問を口に出せば、イグニラは口籠った
「………まぁ、いいわ。大方、上に命令されてわたしたちを殺しに来たとか、そんなところでしょう。あなた、対応が甘っちょろいから」
そんな彼女を尻目によっこらしょと上半身を起こす
周囲に目を向ければ、みっちゃんが毛布を抱きしめてスヤスヤと寝息を立てていた。何かを求めるように手を動かしているのは、わたしがいないからかしら。みっちゃん、わたしを抱きしめて寝るの好きだし。
ソファにはあつしくんが疲れた表情で眠っていた。
二人が目を覚ましていないことから、ドアから入ってきたわけじゃないことがわかった。
一度、泥棒が侵入してきたことがあったから、ドアの前には大きな音を出すトラップを仕掛けてあるのよね。
それが作動していないとなると、昨日、いきなり目の前から消えたあの瞬間移動を使ったのかしら
考えながら窓の外に目を向けると、窓から差し込む光はまだ無い。
つまりまだ夜中だということが伺える。
お夜食を食べたのが寝る前だから、腹具合から考えると夜明けはもう直ぐかしら。
イグニラは紫色に変色していた頬に手を添えて"フレイムヒール"と唱えると右手に橙色の炎が揺らめき、ゆっくりと紫色になっていたイグニラの頬が赤みをさしてくる。
「不覚にも気絶してたわ………」
頭を動かさないようにゆっくりと身体を起こしたイグニラ。
そんなイグニラに水差しから水を入れたコップを差し出す
「あ、ありがと」
「………ん」
こくこくと喉を動かして水を飲むと、イグニラはふぅと息をついた
「…………それで、なんでイグニラはこの部屋で顔面を腫らして寝っ転がっていたの」
「コレはきっと貴女がやったのよ! この部屋に転移した瞬間、後ろから鎖の音が聞こえたと思ったらいきなり意識が途切れたんだから!」
傷はいえても痛かった記憶が残っているのか、頬をさすりながらわたしに怒鳴るイグニラ。
「………身に覚えの無い話。言い掛かりはやめてほしい」
「だったら私がこの部屋で倒れていたことが説明でき無いじゃない!」
ごもっとも。
しかしこれにはれっきとした理由がある。やむにやまれぬ事情があるのだから、仕方のないことなのだ。
「………わたしは眠っている時、知ら無い人に殴りかかってしまうらしいの。殴られるような場所に立っていたイグニラが悪い。」
「無自覚に人を殴っておいて終いには私がわるいの!? 理不尽!」
キーキーとうるさいわね。まだみっちゃんもあつしくんも寝ているというのに。
「うぅん………」
あつしくんが寝苦しそうに寝返りをうった
「………。」
わたしは、腕に絡まる鎖とロープを外し、手ぐしで髪を整える。
鏡も無いし暗いからうまく決まら無いわね。しょうがないからリボンで縛ってポニテにしておいた。
まだ暗い時間帯だからか、目が覚めたと思っていてもあくびが漏れてしまう。
「………話の続きはロビーで。ここだと人に迷惑」
「う、そうね」
イグニラから受け取ったコップに水を注ぎ、グイッと飲み干す。
その瞬間、イグニラが「あ………間接………」とかごにょごにょ言ってたけどよく聞き取れなかった。
間接? ああ、間接キス? 気にしないよそんなの。
トンとそれをテーブルに置いてから 部屋を出る。すると、なぜか顔を赤くしたイグニラがおとなしくわたしの後に続いた。
ロビーのテーブルスペースで向かい合って
「………それで、なんでわたしたちの部屋にいたの。」
「それは………チカがさっき言った通りよ。」
さっき言った通りっていうと………
「ああ、殺しに来たの。いいよ。貴女がわたしたちの幸福を邪魔する存在だというのなら容赦はしない。言ったはず。」
わたしがイグニラを睨むと、わたしの殺気に当てられて一歩だけ下がる
「な、なによ、そんなに殺気を出してもこわくないんだから!」
だったら下がることないでしょう、というツッコミは飲み込む。
だってわたしはボケ担当だもの。
「………わたしはあなたになにもしていない。できれば仲良くしたいとも思ってる。なのにわたしたちの幸福を害そうとするなら、何処に容赦をする必要がある?」
わたしの幸福への執着心にぐっと息を飲んだイグニラ。
「なんなのよ、あなた………」
「………ただの、異世界人よ。この世界の常識に疎いから、生きるのに毎日が必死なの。邪魔をしたら………殺す」
ゴクリと唾を呑んだイグニラ。
怪力乱神を発動して拳を握り締める。全身の骨と皮膚が硬質化し、筋力が爆発的に跳ね上がる。
全身から湯気のような薄い桃色のオーラが湧き上がり、わたしから溢れ出た怒気と殺気に、宿屋全体がミシミシと悲鳴をあげた
オーラの半分以上が、左腕に装着された腕輪を通して透明な魔石に吸収され、オーラを吸収した透明な魔石が徐々に黒く染まってゆく。
この腕輪こそが、わたしの能力の制限だ。この腕輪がわたしの能力に制限をかけているから全力を出すことはできないけれど、それでも、ワイバーンの頭蓋を一撃で蹴り砕く程度の脚力はある。
イグニラをひねりつぶすくらいなら容易だろう。
「………どうしたの。殺しに来たんでしょう? かかってきなさい」
「う、うぅ………」
ややうろたえたように視線を泳がすイグニラ
「や、やめておくわ。あなたと戦ったら消耗がはげしすぎるもの。せっかく避けられる戦いをする意味はないわ」
「………そう? それならこちらとしても助かる」
殺気をひっこめて怪力乱神も解除する。
正直、ハッタリがうまくいってよかったわ。人を殺すことにもはや忌避感はないけれど、できれば避けたいわね。
灰色熊(グリズリー)を殺めてしまった時でさえ精神的につらかったから、人を殺してしまえば、もっと辛くなるに違いない。
だけど、わたしたちの幸福を邪魔するものには容赦はしないわ。こちらが喰われる立場になるくらいなら、たとえ相手を殺してでも、自分の平穏を守りたいもの。
いざとなったら殺る覚悟はあるのよ。
たとえ相手が、味方であっても、ね。
椅子を引き出して座り、イグニラにも対面に座るように促す。
「………イグニラは勇者と仲のいい、同じ世界の出身者であるわたしの命を狩りに来たみたいだけど、それは失敗したみたいだし、これからどうするの?」
「どうするもこうするも………命令を遂行できなかった私はどうすればいいのか、自分でももうわかんないわよ」
イグニラは、はあ、とため息をついてテーブルに頬杖を突く。
その長い服の袖がテーブルにファサリと垂れる。長すぎでしょ、その袖。
………あ、そうだ。これを言っておこう。
「………チヒロを殺しに行くっていうのならわたしは別に止めないわよ」
「は?」
チヒロと仲良くしていたわたしがそんなことを言うと、ポカンと口を開けたイグニラがこちらを見返した
「ええ? なんで? チカ、勇者と仲良くしていたじゃない。なんでそんなこと言うの?」
「………なんでもなにも、別にチヒロとは仲良くはないし、家族でもない。どこでのたれ死のうが、わたしには一切関係ない」
顔の前で両腕を使ってバッテンを作る。
チヒロとの関係は、昨日知り合ったチャラ男に過ぎない。
さあ、そんな人が命を狙われているぞ。
・助ける
・助けない
・助けを呼ぶ
・見捨てる←
こんなものよ。わたしは正義感あふれる主人公じゃないし、路地裏で弱い者いじめを見つけても関わりたくないからスルーする大多数の一般人だから。
【怪力乱神】なんていう特異な能力を持っても同じだ。
基本的にわたしは事なかれ主義だから、何事にも関わらないことが一番自分に損が少ないということを知っているわ。
自分の身が大好きだからこそ、自分の身を大事にしたい。ただ切実に、生きたい。
ならば関わらないことが一番利口なのだから。
「チカはすっぱりと割り切っているのね」
「………線引きだけはしっかりしているわ。ただし、境界の内側を侵す輩には一切の容赦はしない」
だからわたしたちにはなにもしないでね。そういって、わたしは背もたれに深く体重をかけた。
「そ、かぁ………。はぁ………どうしようかしら。私はチカみたいに我が道を行けないし、優柔不断だから何もできないのよね」
「………決めるのはあなた。角を隠してくれるのなら、ここに居ても構わない」
「なーんか毒気も抜けたし、戻るに戻れなくなっちゃったし、しばらくお世話になろうかしら」
「………わたしたちの幸福を邪魔しないのであれば、何をしていてもかまわないわ」
自分の宿代はしっかり払ってくれれば、それでいい。
わたしとしては、イグニラが何をしたいのかすら、よくわからない。
他人が何をしようが、基本的に不干渉を貫くから、わたしたちにだけは迷惑を掛けないようにしてほしい。
「………それで、チヒロを殺しに行くの?」
「今日はもう、そんな気分じゃないしそれはまた今度にするわ」
イグニラはテーブルにぐでっと突っ伏してカールした角をこちらに向ける。
「………上からの命令を気分できめるんだ。そんなんだからあなたは優柔不断なのよ。」
「むー、上からの命令っていっても、新参者の人間だし、私はそいつのこと嫌いだからあんまり聞きたくないのよね」
わお。魔王軍の上層部、結束力のなさすぎにさすがに草生えるわね
………って、あれ?
「………ん? 魔族側に人間がいるの?」
「ええ。変わり者だけど、魔族側に益する人物だし、実力もあるから現時点でその人間がトップについているわ。ロクバンって名前なんだけど、知ってる?」
「………知るわけないでしょ。アホなの?」
この世界に来たばかりのわたしにそんなことを聞いても、わかるわけがない。
何を言ってるんだか。
「そうなんだ。ロクバンの方はチカのことを知ってたわよ。同じ施設の人間が居たのかって驚いていたみたいだし」
「………同じ施設!? うそっ! いやでも………わたしたちとみっちゃんたちもこの世界にいるなら、ない話ではないのかしら………。」
同じ施設の人間がこの世界に流れ着いている可能性を、どうして考えなかったのかしら。
わたしとみっちゃんとあつしくんが居るのだ。
ならばその他百数十人の超能力者………もしくはその何人かがこの世界に迷い込んでしまってもおかしくない。
すでに“地球”出身者は4人もいるのだ。ほかにも、異世界人はいっぱいいる可能性がある。
他の異世界人と接点を持つときは、特殊な能力を持っていることを前提に接したほうがよさそうね。
チヒロであっても、女神さまとやらからなんらかの能力を授かっているみたいだし、わたしたち施設の子供は超能力者だ。
No.002と呼ばれていたわたしよりは能力値が低いとはいえ、ほとんどを閉鎖空間で過ごしてきたから、他人との接点は全くと言っていいほどない。
相手がどんな能力を持っているかも未知数だ。
顔を見れば思い出すこともあるかもしれないけれど、少なくともロクバンなんて名前の奴は知らない。
六番………という偽名かしら。そう考えるとNo.006?
能力も容姿も思い出せない………わたしたちよりも能力値が低い人のことはよく覚えていない。
みっちゃんとあつしくんに聞けばなにかわかるかしら。
わたしたち3人はとくに厳重に監禁されていたから、情報が少ない………。
黙考していると、ギシッと宿屋の奥から足音が聞こえてきた
「………?」
「誰か来たのかしら」
今ここでロクバンとやらについて考えても時間の無駄ね。きっとわからないもの。
ふぅ、とため息をついてイグニラの角に視線が向かった。ああ、そうだった
「………イグニラ、角かくして」
「はぁ、しょうがないわね。こんなこともあろうかと準備しておいてよかったわ」
イグニラが角に白い毛皮のようなものを装着した
「………なにそれ」
「なにって、うさ耳だけど?」
イグニラが角に取り付けたのは、白いうさ耳だった。
まぁ、角はカールしているとはいえ、目立つ場所だし、隠そうと思えば、角を覆い隠せるほど大きなもので覆わなければならないだろう。
覆い隠したとしても、角の形は目立ってしまうし、ならば角を別のものに勘違いさせればいい、ということでうさ耳を装着したのかしら
真紅の髪に白いうさ耳って、なんか場違いじゃないかな。
ちょっと違和感すごいわよ。しかも、ツノがカールしているから、うさ耳までカールしちゃってるし!
「………まぁ、かわいいし、いいんじゃないかしら」
「かわっ………! そぅ………ありがと」
何を赤くなってうつむいているのよ。
そんなやり取りをしているうちに、足音らしきものはすぐ近くに来ているようだ。
人が下りてきたのだろう、階段に目を向けてみると、タンッタンッ! と急ぎ足で階段を下りてくるチヒロの姿があった
「今、この辺ですごくいやな感じが………! あれ、智香? なにしてるんだ、こんなところで」
チヒロはすぐにわたしの姿を見つけたらしく、速足でこちらに歩いてきた
どうやら先ほどわたしが宿をきしませた殺気で飛び起きてしまったらしい
それは悪いことをしたなと反省する
「………ちょっと眠れなかっただけ。チヒロはどうしたの」
「いや、さっき全身の毛穴が泡立って悪寒が走って寒気が止まらなくなるようなおぞましい感覚に襲われてさ。何かあったのかと思って下りてきたんだ。何か知らない?」
「………さあ」
「何もなければそれでいいんだ。なにかおかしなことがあったらすぐに教えてくれ。すぐに駆けつけるから」
そうそう、気のせい気のせい。殺気なんてなかった。いいね。
イケメンスマイルをわたしに向けても、わたしはそんなのには靡かない。
それにチヒロに守ってもらうほど弱くない。
「そちらの方は?」
今度はわたしの話し相手になっていたイグニラに視線を向ける。
イグニラは一度チヒロに顔を見られているはずよね、どうやらあの時は乱れた髪が邪魔をしていたし、すぐに燃えてどこかに行ってしまったから、正確な顔は覚えていないのかも。それは好都合。
まだ薄暗いから特徴的なイグニラの真紅の髪も黒髪にしか見えないだろうし、今はうさ耳もつけている。
万が一にもばれることはないだろう。
「………わたしの友達。お話に付き合ってもらってた」
「そうだったんだ」
「………チヒロはどうするの。もう一度寝るの?」
結局、嫌な気配っていうのはわたしの殺気だし、もうわたしに殺意はないわけだし、起きたことは意味がなかったのだ。それに、ここには自分の寝起きを邪魔する人はいないから思う存分二度寝ができる。
わたしは朝が基本的に苦手だから二度寝したい。でもお仕事があるから頑張って起きるわよ
わたしの殺気で起こしてしまった手前、もう一度寝るように促してみると
「あー、どうせならこのまま冒険者ギルドに行こうかと思う。目も覚めちゃったし、朝一の依頼を見られるなら早く起きたかいがあったってもんだろうしな」
チヒロはそんなことをおっしゃった。
あれ? でもたしか………
「………聖剣を抜きに行くんじゃなかったの」
「依頼を見に行くだけだよ。簡単な依頼があれば、それをしてから午後には戻ろうと思う聖剣は逃げたりしないさ」
「………そう」
聖剣を抜ける人が現れたら聖剣も逃げちゃうけどね
「………それじゃ、朝ご飯を準備してあげるわ。時間が足りないから凝ったものは作れないけど」
「え、いいの?」
「………(コクリ)」
この宿で朝夕の食事は一応、有料だけど準備される。
このくらいのサービスをしてもいいでしょう。
天然酵母で作っておいた自家製パンに、これまた自作のチーズをのせてオーブンで焼く。
オーブンに熱が通るまで時間はかかるけど、チヒロはそれほど急いでいるわけではなさそうだし、いいわよね
チーズがいい感じにとろけていい匂いが鼻腔をくすぐる
「………貴女も食べる?」
「私も? 本当にいいの?」
「………ええ」
イグニラの名前は伏せながら聞いてみると、イグニラも食べたかったらしい
ちなみにチーズは作る過程で雑菌が入る恐れがあるので、身内にしか出せない。
ここにいるのは勇者と魔王の娘と超能力者だし、おなかは丈夫だろう。
きっと、おそらく、メイビー。
わたしは毒物でも平気で消化できるアイアンストマックを持っているから何の問題もない。
「うわあ、トロトロしてる! おいしそう!」
「チーズがあったのか!」
「………チーズは自家製。しかも乳製品は恐ろしく高価。熱いうちに食べて」
もともとは山羊乳なんだけど、そろそろ買ってから5日目だし、チーズにしておかないとヤバいと思ってたんだよね。
山羊乳のチーズは脂肪分が少ない。それに、冷凍環境がないから若干塩味が濃いけど、起き抜けにはちょうどいいかしら。
「んん~~~~っ! おいしい!」
「本当だ、ただのトーストかと思ったけど、すごくおいしい!」
何を言っているのだ、チヒロは。
この世界では、その“ただのトースト”を作るのでさえものすごく苦労したというのに。
天然酵母を保管するために地下室を作ったくらいなのよ。そのパンにどれだけの労力がかかっているか、味わいなさい。
わたしもおなかがすいているから、チーズとマヨネーズを乗せてトーストを焼く。
マヨネーズが焦げる香ばしい香りが厨房に広がり、お代わりを所望する二人の視線に耐えかねて、3人分ほど追加で焼き上げた
「この“まよねーず”のほのかな酸味とチーズがトーストに絶妙にマッチして、最高!! すごいわね、チカ!!」
「まさか智香がマヨネーズまで再現しているとは………末恐ろしいな、キミもそう思うだろう?」
「ええ! こんなにおいしいものを食べられるなんて幸せっ! もうここに住み込んじゃおうかしら!」
「決めた! 俺も依頼じゃなくてちゃんとここに泊まるよ! 智香!」
毎度あり。定期収入ゲットである。
みょーん、とチーズを伸ばしながらおいしそうに食べる二人を見て、わたしの料理研究が無駄にならずに済んだことにほっと息を吐く。
カロリー消費の激しいわたしは、食には貪欲よ。
わたしがおいしい料理を作るのは、わたしがおいしい料理を食べたい。ただそれだけのためだ。
勇者と魔王の娘が並んでおいしそうに感想を言い合っているのを見てそれでも、“それ”が間違っていなかったことがうれしかった。
「はぁ~………おいしかった………ごちそうさま」
「ごちそうさまでした。チカ、私にまで作ってくれて本当にありがとう」
「………いい。宿屋の宣伝をしてくれたらなおいい。」
「そうだな。俺もこの宿はすごく居心地が良かったから、いっぱい宣伝してやるよ別の町に行っても宣伝したって言い」
歩く広告塔。
こりゃ助かるわね。4階の増築も検討するべきかしら。
チヒロが一度部屋に戻って出かける準備を整えてから、再びロビーに下りてくると
「それじゃ、ギルドのほうに行ってきます」
「………ん。依頼書には達成のサインはしておいたわ。これをギルドに持っていけば依頼達成として扱われるから、この依頼書は忘れないで」
「ああ、ありがとう」
わたしから依頼書を受け取ると、チヒロは軽い足取りで宿屋から出て行った。
外から漏れる光で、どうやらもう夜明けだということに気付いた。
そろそろ起きてくる人も多いことだろう。
朝の仕事の準備をしなくちゃ。
「ちかちゃんおふぁよう………今日は早いね」
どうやらフリームも朝の準備のために起きてきたらしい。
「………おはようフリーム。挨拶運動、頑張って」
「うん………がんばゆ」
ぽやぽやしたフリームがかわいらしい。
今日はわたしも珍しく早起きだったし、挨拶運動に参加しようかしら。
「………今日はわたしも朝の挨拶をするから。急いで顔を洗ってきなさい」
「んー………。」
「チカ、私もするわ」
「………そう、たすかるわ」
暇を持て余したイグニラが、手伝いを申し出てくれた。
これは助かる。
この日は、“オネーチャン”にも挨拶されるようになった朝の男衆のテンションもあがり、美少女二人にも挨拶をされることとなるため、街がさらに活気づいたとかなんとか。
知らんけど。
「………イグニラは家に帰らなくてもいいの」
「どうせ帰っても結果を報告しろってうるさいからいいのよ。放っておきましょ、あんなやつ」
長い袖をふりふりと振ってカラカラと笑いながらそういうイグニラ。
本人がいいって言うなら、いいか。
たかがトーストで魔王の娘がサボり魔になったわね。これはイグニラが魔界に帰った後のお説教が怖そうだ。
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