第7話  私達の大事な宝物は

                 7



 前回のあらすじ!!


 チカは勇者と接触した!

 しかし勇者はナンパ男でロリコンの可能性あり!

 だがチカは勇者と仲良くなることにした!

 チカと仲良くなれた勇者はスキップしながら宿屋の自室に行った!

 そこに現れたのが魔界の王の娘、イグニラとかいう深紅の髪の女!

 なんやかんやの問答の末、チカは押し倒されて魔王の娘に唇を奪われたのであった!

 しかもその瞬間にはちょうどチヒロが晩御飯の時間を聞きに戻ってきてしまった!

 さらにはタイミングよく敦史と美羽のふたりが帰って来てしまった!

 どうなるチカ! どうなるイグニラ!

 お前たちの明日はどっちだ!


 あ、今の全部わたしの心の声だからね。



「智香? おおお、俺が目を離したすきに一体何が!?」

「ち、チィ………? その女はいったい………?」

「あららぁ………チーちゃん、なにしてるの?」



 押し倒されて唇を奪われているわたし。

 動揺するチヒロ。

 そして狼狽するあつしくん。

 そして口元に手を当ててこちらを覗くみっちゃん。  


「………」

「!!?!??!?!?!?」


 さらに、目の前には絶賛大混乱中の魔王の娘、四天魔将のイグニラ。

 わたしにその柔らかな唇を押し付けたまま、グルグルと鮮やかな黄金色の瞳を回していた。

心なしか、頬が紅くなっている気がするわね。

 改めて思うのだけど、なにこの状況。 


「ぷはっ! はぁ、はぁ……なんてことを………はっ!」


 イグニラがわたしの唇からその柔らかいマシュマロを離し、口に手を当てながら周囲を見渡せば、チヒロやあつしくん、みっちゃん、さらにはフリームまでもが今の状況を凝視しているという状況に気付いた。


「………」

「あ、あわわ………」


 じっとわたしがイグニラを見ていると、困惑した表情のまま顔を徐々に朱色へと染めていく。


 困惑したまま、フラフラと彷徨っていたイグニラの視線がわたしの唇を捉えた瞬間。

 それがゆでダコのようにボッと湯気が出そうなほどに真っ赤になって両手で顔を覆ったかと思えば


「きゃあああああ!!」

「わっ!」



 ボボボボボッ! と自分の身体を燃焼させてイグニラは悲鳴を上げながらその炎に身を包み、わたしはあまりの炎熱に顔を腕で庇う。

 熱いわね………熱にも耐性があるとはいえ、さすがに至近距離で炎を浴びれば熱い。

 浴び続ければ、いくらわたしでも死ぬだろう。

 まぁ、このくらいならしばらくは平気だけど。


「チィ!」

「ち、チーちゃん! 火が! あぁぁ………!」


 あわてて駆け寄ろうとするあつしくんと火を見て狼狽するみっちゃん。

 しばらくすると、不意に熱波が収まった


「………あれ、イグニラ?」


 イグニラが居た場所は少しの焦げ跡が残ってしまったが、イグニラの姿はもうどこにもなかった

 魔法? 転移? イグニラの気配がどこにもないわ。どんなトリックなのかしら。



「美羽ねえ、もう火は収まってる、大丈夫だ。」

「ひぅぅ………ほ、本当?」


 あつしくんの背中から若干震えながらも、ひょっこりと顔をだすみっちゃん。


「さっきのはなんだったんだ………?」

「さ、さぁ………?」


 目を丸くして顔を見合わせるあつしくんとみっちゃん。

 そりゃあ、その部分しか見ていない人には何が起こったのかわからないだろうよ。

 わたしだってよくわかんないもん。


 押し倒された姿勢から、よっこらしょと立ち上がる。ちょっと服が焦げたわね。こまったわ。イグニラには今度会ったら弁償させましょう。


「智香! 無事か!?」


 何が起こったのかわからないまでも、目の前で人体発火ののち消滅したイグニラは居ないので、もう安全だと判断してわたしの方へと駆け寄ってきたチヒロ


「………平気。ちょっとファーストキッスを奪われただけ」

「重症じゃないか!!」


 傷すらないわよ。と突っ込みたいけれど、正直なところ、わたしにもショックは大きい。


 初めてのキスは、女の子となんだもの。


「………やわらかくて、美味であった」

「正気に戻れ!!」


 カクカクとわたしの肩を揺さぶるチヒロ。

 心配しなくても初めから正気よ。


 なんとか揺さぶりから解放してもらってからテコテコとあつしくんたちの方へと歩みを進め


「………おかえり、みっちゃん、あつしくん」


「あ、ああ。ただいま。さっきのはいったいなんだったんだ? 真っ赤な髪の女の子がチィを押し倒しているように見えたけど………」


「………ん。押し倒されてキスされた」


「んなぁ!?」

「おっとと」



 クラっと頭をかかえてよろけるあつしくん。

 そんなあつしくんの背中に手を添えて支えてあげるみっちゃん


「ねぇチーちゃん。さっきの女の子はチーちゃんの友達? そっちの男の子の方も気になるな。なんだか親しげにしていたし」


 あつしくんの背中を支えながらチラッとチヒロを見るみっちゃん。


 その視線の先のチヒロはというと


「智香、その人たちは? 日本人なのか!?」


 チヒロの方も、日本人に会えてテンションが上がっているらしく、興奮気味にわたしに詰め寄った


「………質問は後で答える。取り敢えずみんな落ち着いて、席に座ってから話し合うべき」


 一気に全員に詰め寄られても、わたしは聖徳太子じゃない。

 わたしの耳は二つしかないし、わたしの口は一つしかない。脳みそも一個しかないのだから、3人の言うことを同時に言われても処理が追いつかないもの


 はぁ………。ことの中心にいたわたしが一番落ち着いているとはどういうことよ。

 いや、ことの中心に居たからこそ落ち着いていられるのかしら。



                 ☆



 というわけで、みんなにはロビーの待合室の椅子に座ってもらい、話を始めることにした。


 ちなみに席順は正面にみっちゃん。その右側にあつしくん。

 対面にいるのが、わたしと、その右手にチヒロ。


 フリームがみんなに木のコップを持ってきてピッチャーを傍に置いてくれた。


「………質問は一人ずつ。挙手制」


 そう言って、さあ始めろとみんなを促すと、まずは灰色の髪が特徴の少女。みっちゃんが手を挙げた。


「さっきの女の子もきになるけど、あなたは誰なの?チーちゃんのことを名前で呼んでいたみたいだけど、チーちゃんの彼氏?」


「彼氏ぃ!?」


 みっちゃんはチヒロをジッと見つめて反応を待つ。

 あつしくんは明らかに動揺して狼狽えていた。こころなしか、その質問に対して体を乗り出して否定の反応を期待しているように感じる



「いや、そんなんじゃないよ。俺は藤田チヒロ。16歳だ。チカとは今日宿に泊まりに来た時に、ついさっき知り合ったんだ」


 チヒロは手を振ってそれを否定し、ありのままを伝える



「………自称勇者らしいわ」

「うさんくせぇな」

「そうね」


 わたしがチヒロは自称勇者だということを補足説明して伝えるとみっちゃんとあつしくんは胡散臭いものを見る目でチヒロを見た。


「………でもこれで、チヒロとわたしが10分前に出会ったばかりだということが理解できた?」


「まぁ、本当に会ったばかりなんだな。」


「………(こくり)」


「それじゃあ、私からはもういいよ。チーちゃんの彼氏とかじゃなくて一安心だよ。ね、敦史」


「あぁ。ホッとしたよ。」


 ちゃんと理解してくれたようでなにより。

 ようやく肩の力を抜いたあつしくん。わたしだって、あつしくんにそんな誤解はされたくないもの。安心したわ。


 みっちゃんが質問を打ち切って質問番を次の人に回してくれたため、今度はチヒロが手を挙げた。


「次は俺から。君たちは日本人でいいんだよね?」


 どんな質問が来るのかと思ったら、わたしに対してじゃなくて、みんなに対しての質問だった。


「産まれも育ちも日本だよ。」


 みっちゃんがチヒロに答えた。

 もちろん、わたしたちは日本出身の日本人だ。

 これで外国人だったらビビる。


「みんなは、智香とどういうつながりの人なんだ?」

「………家族みたいなもの。みんな、日本にいる時から同じ施設で育ったから」


 隠すことに意味は無い。正直にそう話したら、チヒロは眼を見張った


「3人で一緒にコッチに来たのか!?」

「………そんな感じ。気がついたらこんな世界にいたわ。まずは衣食住を整えるのが大変」

「そ、そっか………そうだよな。国に召喚されたわけじゃないんだし………自分で何とかしないといけないのか。お金も稼がないといけないし」


 こくりと頷くと、チヒロは自分たちとの差異を確認し始める。

 勇者として召喚された、となると国からの保障があるのだろう。けれど、わたしたちにはそれがない。すべて自力で確保しないといけないのだから。


「うん。でもチーちゃんはまだ13歳だから冒険者になれないけど、私は17歳だし」


「俺は15歳だからな。チィの食費を稼ぐために冒険者として奮闘中だ。ちなみに、俺たちがこの世界に来たのはひと月前からだから、当然世間には疎い」


「そうか………二人の冒険者のランクは?」


 みっちゃんとあつしくんの言葉になるほどとうなずき、人を3人食べさせるだけの財力が気になったのか、チヒロはみっちゃんとあつしくんの冒険者のランクを聞いてきた。


「Aだ」

「私は今日Bになった所かな」


「そ、そんなに高いのか!?」


 わたしも驚いたわ。まさかみっちゃんまで冒険者のランクがそんなに上がっていたなんて。


 でも、二人の能力が合わされば無敵もいい所よね。

 みっちゃんが相手の動きを封じ、あつしくんが体の柔い部分に矢を射る。


 あつしくんが相手を翻弄し、みっちゃんが背後から手を触れれば、相手に重力を掛けることができて簡単に押しつぶすことだってできる。


 その繰り返しで、大抵の魔物は葬ることが可能なのだから。


 サポート面でのあつしくんは天才的だし、みっちゃんの破壊力は折り紙付き。

 鬼に金棒、わたしたちに能力だ。


「ひと月あれば十分あげられるよ。頑張ってね」


「1日あれば十分の間違いだろ?」


「敦史と一緒にしないでよ」


 ズビシッとあつしくんの頭にチョップを入れるみっちゃん。

 わたしも、あつしくんの豪運は別格だと思う。だっていくらあつしくんの実力が飛び抜けていたとしても、信用の問題だってあるし、実力を周囲があつしくん実力を信じられるかもわからないはずなのに

 あつしくんの豪運はそれをすべて捻じ曲げてあつしくんに都合の良いように運命を改ざんされるのだから。


「………もう質問は終わりでいい?」


「あ、ああ。」


 チヒロからの質問はもう無いようなので、そこで質問を打ち切ることにした。


「最後はオレだな。チィ、さっきの紅い髪の女はいったい何だったんだ? たぶん、みんなこれを一番聞きたかったと思うんだが………」


 チヒロもみっちゃんもうんうんと頷く。


 わたしは、はぁとため息をついて、答えてあげることにした



「………魔王の娘、四天魔将のイグニラ」


「はぁ!?」


「………本人がそう言っていたの。間違いないわ」


 驚きに目を剥くチヒロに、冷静に返す。


「………召喚された勇者―――チヒロのことね。貴方を一目見るために来たんだって。すでに魔王に目を付けられているみたいよ。有名人ね」


「そ、そうか………」


 チヒロは釈然としないものを感じながら頷いた。



「それで、チィはなんでそんな女に押し倒されていたんだ?」


 むぅ、誤魔化されてくれないなぁ。

 あつしくんがやや怖い顔でわたしを睨む。

 逃げるな、言えと言わんばかりの眼光に、わたしも逃げ場を失ってしまい、ため息を飲み込んで口を開く



「………チヒロの様子を見に何度かこの宿に訪れるつもりでいたらしいから、魔王の娘が宿に出入りしているなんて噂が立ったら宿屋が潰れかねない。ツノは魔族の象徴らしい、だからツノを隠すように言ったら拒絶された。こっちの不利益になるならとツノをへし折ろうとしたら、抵抗されて、すったもんだのすえに押し倒されてごっつんこ。これが真実」


 これ以上は何も言わないよ。と口を開くのが面倒臭いわたしはそのまま唇を尖らせてテーブルに突っ伏した。

 そんなわたしのほっぺをツンツンとつつくみっちゃん。

 そんなに突っついても空気しか出ないわよ。



「不可抗力、だったんだな」


「………そう」


 頷いて見せると、みっちゃんがあつしくんの肩をポンポンとたたいた。慰めているらしい。

 この話題を続けるのは得策ではなさそうだ。


「………チヒロの明日の予定はどうなっているの」



「あ、俺か?  俺は明日は聖剣を抜きに行くよ。せっかくこの街に来たんだ。聖剣を抜いて魔界に行って、魔王を倒さないといけないからな」


「………イグニラも?」


「ああ。必要ならば、倒さないといけないな」



「………そう。でも倒すなら、魔族だから、ではなく悪人だから倒すようにしないといけないわよ。魔族とて人の形をして生きているのだから、ただ切るだけでは怨みしか生まれないわ」


「ああ。わかった」


 本当にわかったのかしら。心の中で呟きつつ、今度はあつしくんたちに向き直る



「………あつしくん、明日の予定は」


「明日は、特に決めていない。強いて言うならチィの腕輪の改良をしようかと思ってた程度だ」

「腕輪………?」


 チヒロが首を捻るが虫する。

 腕輪の改良………ついにするときが来たのか。

 そろそろ、腕輪の水晶が黒く染まって来ていて替えないといけなかったのよね。

 水晶の代わりになるものも見つけないといけないし、わたしはまだ水晶を取り外す方法も知らない。


 あつしくんとみっちゃんの腕輪は水晶のついていた場所にはただのくぼみが付いている。

 だから黒く濁った水晶を取り外す方法はすでに見つけてあるはずなんだ。


 この水晶がわたしの能力を制限しているらしく、水晶を外せば、わたしの<怪力乱神>を100%の力で発揮することが可能となる。


 そのための準備が、ようやく整った、ということ。


 あつしくんが『朗報だ』と言って帰ってきたのは、この事だったんだ。


「………じゃあ、わたしは聖剣を見に行きたい。あつしくん、改良が終わったら連れてって」


「いいけど………なんで聖剣なんかを見に行くんだ? どーせ抜けないぞ」


「………試したの?」


「一応な。俺も美羽ねぇも凄腕と呼ばれるくらいの冒険者だからな。試してみたくはなるさ」

「………ふーん」


 それで抜けなかったのか。オリンピック選手並みの身体能力を持っていながら抜くことが出来ないその聖剣。


「………錆びてるんじゃないの?」


「そんなことない。ちゃんと確かめたからな」


 そっか。あつしくんがそういうならそうなんだろう。


「ふふっ、でもチーちゃんなら、聖剣は抜けなくても台座ごと引っこ抜けるんじゃない?」


「さもありなん。」


 からかうようにみっちゃんがわたしにそう言うと、あつしくんが深く頷いた。


 それを見てわたしはポリポリと頬を掻く。

 いや、まぁうん。わたしもそう思う。


 わたしの怪力乱神は常識が通用しないから。



「台座ごと………? 美羽も敦史も何を言っているんだ? こんな小さな女の子がそんなことできるはずがないだろう………」


 わたしたちの会話を不思議そうに聴いてたチヒロは意味がわからずに首を捻っていた



                ☆



 夜。宿屋の301号室


 ここは宥和の宿を増築してできた3階に存在する部屋だ。


 一人用の部屋を、わたしとみっちゃんとあつしくんの3人で一緒に使っている。

 タダで泊まっているわたしたちが少しでも宿に迷惑をかけないようにする配慮だ。


 そんな狭い部屋の中で、わたしはシャワー代わりに服を脱ぎ捨ててみっちゃんに身体を拭いて貰っていた。

 シャワーがないのは、厳しいわね。


「………みっちゃん。頭痒くならない?」


 背中をみっちゃんに任せて腕や胸を濡れタオルで拭きながらみっちゃんに聞いてみた


「そりゃあなるよー。早い所シャンプーとかも作りたいね」


「………だよね」


 一番時間的に余裕があるのは、わたしだ。

 わたしがなんとかしないと。


 シャンプーの作り方ってどうだったかしら。

 さすがによく覚えていない。あつしくんの記憶力を頼ろう。


「チィは無理しないでいいんだぞ」


 あつしくんの負担が増えるなぁと考えていたところ、後ろから声がかかった。


 振り向いてみると、部屋の隅であつしくんも上半身裸になって身体を拭いていた。

 筋肉質できれいな身体だ。

 本来ならば体にはに幾つもの傷跡が顔をのぞかせていたはずなのに、それがどこにもない。実験でつけられた拷問の痕が存在しないのだ。


 わたしも、自分の身体には子供の頃ついた傷が無くなっていた。この世界に来た時に肉体が再構成されたのかしら。

 だとしたら、なぜ腕輪を付けているのかがわからないわね。


 みっちゃんがわたしの折れそうなほど細い腰を濡れタオルでごしごしと擦りながらわたしはあつしくんに言葉を返す。


「………無理なんかしてない。わたしにできることをさせて欲しい」


「できる事………具体的には?」


「………宿屋にお風呂を作る。のんびり浸かってゴートゥヘブン」


 身体を拭き終わったので、パジャマを着てからあつしくんに向き直る。

 あつしくんの方はまだまだ時間がかかりそうだ。あつしくんの布をひょいと奪ってから桶に汲んであるお湯に浸し、垢を落としたら怪力乱神を発動しながら布を絞る。


 あ、破れた。布を絞るだけで能力を使うのはやめよう。


 カラッカラに脱水したその布片であつしくんの背中をごしごし。


「っと、ありがとな、チィ。風呂か………それは時間と金がかかり過ぎだ。それに、そこまでやったら宿屋じゃなくて、もはや旅館だろ」


 たしかに………宿屋では釣り合わない宿泊料金になってしまうわね………


「………でも欲しい」

「私も欲しい! やっぱりお風呂に浸かって疲れをとらないと。ね、チーちゃん」

「………ん。体を拭くだけってのは年頃の女の子としてアウト。」


 それでも、欲しいものは欲しいのよ。そんなわたしにみっちゃんも同意を示す。

 これでも女の子なんだから、見た目には気を使いたいじゃない。

 お風呂………入りたいのに………


「………まぁ、俺もリフレッシュする空間は欲しいかな。まだ少し水が怖くなるときがあるけど、風呂くらいなら大丈夫だろ」


 背中の方も拭い終わったので、桶に布をポイしてからあつしくんの背中を軽く叩く。

 あつしくんも上着を着て、それからポンとわたしの頭を撫でる。


 あつしくんは実験の結果、溺死したのよね。

 まだ水は怖くても仕方ない。


 わたしも、雷が鳴ると思わずみっちゃんに抱きついてしまうし、みっちゃんも火を見るとどうしても死んだときのことを思い出して身体が震えてしまうって言ってた。

 厨房にいる時も実はすごく我慢してるんだって。


 死のトラウマという者は、どうしても払拭しがたいものなのよ


「………水が怖いようなら、わたしも一緒に入るけど?」

「おお、積極的だね、チーちゃん」

「からかうなよ、美羽ねぇ。俺もさすがにそこまでチィにされちゃ、男として情けなさすぎる。」


 んー。今更あつしくんに裸を見られることに忌避感はないし、あつしくんだって、このまな板を見ても興奮するとは思えないんだけどな。


「………そう? 苦手なものがあるのは普通よ」


「あー………泳ぎも得意だったんだがなぁ。水が怖いのはただの死んだときのトラウマだ。自力でなんとかするさ」


 自分に厳しくて、心が強いなとわたしはあつしくんを見上げた。


「………わたしはまだ雷が怖い。夜に雷が鳴ったら、その時は」


「おう。布団の中で抱きしめて頭を撫でてやるよ」


 なんだこのイケメンは。

 そんなことを言われてキュンと来ない女がいるだろうか。


「………約束ね」

「ああ。それでチィが安心してくれるなら、何度だってやってやるさ。なんなら今撫でてやろうか?」

「………いいの?」


 寝巻に着替えたあつしくんは、床に胡坐をかいて座った。

 その膝の上にちょこんと座って背中を預けると、あつしくんはわたしの頭の上に手を乗せた。

 大きくて暖かい、わたしの大好きな手だ。


 その大きな手が、わたしの髪をゆっくりと撫でる。


 チラリと上を向けば、こちらを優しい表情で見下ろすあつしくんと視線が交わった。


「コホン」


 あつしくんと見つめ合っていると、みっちゃんがわざとらしい咳払いをして現実に引き戻された。


「そろそろ寝るよ、チーちゃん。敦史」

「ああ」

「………わかった」


 ちぇっ、もうちょっと撫でてもらいたかったな。


 部屋に置いてあるランプの灯りを小さくして、みっちゃんが布団に入る。

 あつしくんが付属のソファに横になり、わたしはみっちゃんと同じ布団に転がり込む。


「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

「………おやすみなさい」


 あつしくんの代わりに、みっちゃんがわたしを抱き寄せるように腕を回して包み込むと、優しさと暖かさに包まれて、わたしの意識はすぐに深い眠りへと誘(いざな)われていった。



          ☆ 美羽side ☆



 私はチーちゃんの背中を軽く撫でながらそっと息を吐く。


 私の腕の中では、スゥスゥと規則的な寝息が聞こえてくる。

 ああ………やっぱりチーちゃんのこの抱き心地は最高ね。


 胸にフィットするこの感触、腕の中にすっぽり収まるこのサイズ。

 チーちゃんは最高の抱き枕だ。


 もはやチーちゃんなしには眠れないほどに!


「チィは寝たか?」


 ふと掛けられる声に視線をソファの方に向けると、敦史がソファの上で腕を枕にしながら顔をこちらに向けていた。


「うん。そうみたい。」


 敦史がのっそりとソファから身体を起こすと、足音を殺してベッドの方へと歩いてきた。

 そして、そっとチーちゃんの頭を撫でる。



「よかったね、千尋くんがチーちゃんの彼氏とかじゃなくて」


「ああ」


 敦史は心底ホッとした顔でチーちゃんの頬に手を添えた。

 優しげな表情でみる敦史の顔は深い慈愛に満ちていた


 ああもう、わかりやすいなぁ、敦史は。

 私はふっと敦史に微笑む。


 こんな世界に来た時、敦史は深く絶望していた。


 私を見つけた時も、今みたいに活力のある瞳はしていなかった。


 それどころか、この世界に来てから私は居るのにチーちゃんを見つけられない歯がゆさと、研究施設で実験される、自分たちと同じように殺される運命をたどったであろうチーちゃんの事を想って『何が豪運だ。何が集中力だ。………好きな女の子一人助けられないこんな能力なんて、無い方がいい………!』と腕輪を握り締めて疲れ切った顔で悔しそうに涙を流していたくらいだ。


 そのまま放っておいたら自殺してしまいそうなほどの落ち込みようだった。


 この世界に来て初日の敦史は、私の胸を借りて散々泣いた。

 年長者の意地で泣かないように心がけていたけど、私も恐ろしい体験をして死を迎え、強大な能力を持ちながらもその能力の全てを剥奪されていた私には何もできず、歯がゆい思いをしていた。

 自分たちと同じように死を迎え、ここで出会えないチーちゃんの事を想えば、涙を堪えることなどできるはずがなかった。


 凄腕の冒険者と呼ばれても、『運が良かっただけのルーキー』とバカにされることもあった。

 敦史の能力上、それも間違いじゃないから言い返せないのだけど、チーちゃんがこの世界に来てからの敦史は、本当に活力がある。

 目に生気が宿っているからか、周りの女の子からも一目置かれている。


 敦史は一途だから他の女の子なんかには目もくれないけれど、チーちゃんが来るまでの1週間は本当に辛そうだったし、チーちゃんが来てからの今までは、本当に楽しそうだ。


 それはそうだろう。

 日々の生活は大変だけど、充実しているし、チーちゃんの為だと思えば、危険な冒険者としての活動も、『やりたい』とさえ思えるのだから。


 チーちゃんの頬を撫でる敦史に合わせ、私もチーちゃんの小さな鼻をツンツンとつっつく。


 するとチーちゃんはむにゃむにゃとくすぐったそうにむぎゅっと私に抱き着いてきた。

 ほわぁあああぁ………。このフィット感。堪らないよぉ

 少し熱いくらいの体温が私に伝わってくる。


「少し熱があるな。」


 チーちゃんの頬を触って体温を計っていたのかしら。たしかに私も感じるくらい、チーちゃんは熱を持っていた


「最近、宿屋をよくしようと頑張ってたからね。能力はともかく、もともとそんなに体力のない子だから、すぐに体調に来ちゃうのよね」


「ああ。それよりも………」


「ええ、わかっているわ」


 チーちゃんの体調もだけど、それよりも注意しないといけないことがある。

 私はチーちゃんの手を掴んでベッドの縁まで持って行き



「敦史、お願い」


「あいよ」


 敦史が手際よくチーちゃんの腕をロープで縛ってベッドの足に固定した。


「これで大丈夫だろ」


 チーちゃんが一定距離を動けないように厳重に縛っておく。

 それはもう、厳重に。


 なぜ、そんなことをしないといけないのか。


 答えは単純。チーちゃんは、寝相がすこぶるわるい。


 それに、無意識のうちに怪力乱神を発動することもあるから油断できないのよね。


 朝起きたら腕が折れていたなんてことになってはたまらない。


 実際、朝起きたら私たちは『お金を持っている』と踏んでいたらしい名も知らない泥棒さんたちが壁際で血を垂らしながら伸びていて、そのうえでチーちゃんがぐーすかと寝にくそうに寝そべっているのを発見したことがあるからね。


 無意識で泥棒を退治しちゃうし、夢遊病を疑うようなレベルで寝相が悪い。


 しかも、目が覚めたら『………誰この人たち』と首を傾げる始末。


 いつその寝相が私達の生命に関わるかが判らないし、応急処置的にチーちゃんの手足を縛っておけばいいという結論に達した。

 まぁこの程度の拘束だったら、怪力乱神を発動すれば無いに等しい拘束なんだけど、そうでもしておかないと私の布団がいつの間にか奪われていたという結果にもつながりかねない。

 私は寒がりなので、それは嫌だ。チーちゃんが別の場所で寝るというのも、もっといやだ。

 このフィット感を奪われると私の安眠も奪われることになっちゃうもん!


 というわけで、こういう処置に落ち着いているの。


 もちろん、朝、チーちゃんが起きる前にはこの拘束は解くよ。それに、チーちゃんも自分の寝相の悪さははよく知っているみたいだし、拘束自体はチーちゃんも納得しているんだよね


「早い所、チィの腕輪を改良して、能力の制限を三割にまで強化してやらねぇとな。じゃねえとチィの筋繊維がズタボロになっちまう」


「チーちゃんのためとはいえ、こんな危険な世界で能力の制限を強化しないといけないなんて」


 私たちの能力は、能力を制限する腕輪によって調整することができる。


 私の超能力。その能力は『重力法則無視』

 この超能力は、どうやら魔力と呼ばれる体内のエネルギーをとんでもない量で使用するものらしい。


 超能力を可能にしているのが、その膨大な“魔力”と呼ばれる不思議物質。

 実験による様々な投薬の結果、私たちはその身に膨大な魔力を宿しているらしい。


 その過程で大量の子供達が死を迎えたが、私たちはそれに耐えきり、超能力をその身に宿すことになった。


 扱いきれる私とは違い、デメリットも多いチーちゃんの能力は、制限を強化しなければ生き辛い。




 能力の制限というのは、チーちゃんの溢れんばかりのその膨大な魔力を能力に使用される前に腕輪に吸収させること。

 腕輪についている窪みに、空(から)の魔石というものを嵌め込み、魔力を貯めさせるというものだ。


 体内に溜まる魔力は日々増え続け、許容量の限界を超えた魔力を魔石に溜めさせる必要がある。

 溢れた魔力は体外に放出することで身体に影響を残さないのだが、魔力を放出させる私達の能力とは違い、チーちゃんの能力は肉体強化。つまり魔力がほぼずっと体内に残ったままになるため、魔石が欠かせないのだ。


 使用頻度も冒険者である私たちよりも低い。

 もしかしたら、今のこのチーちゃんの熱も、魔石で処理しきれない体内に残った魔力が原因なのかもしれない。

 だから早急に腕輪を改造する必要があったんだ。



 空の魔石は比較的容易に手に入るのだが、チーちゃんの膨大な魔力に耐え切れるほど品質の高い魔石はなかなかない。


 だから、強力な魔物を倒し、その濁った魔力を抜き、チーちゃんの腕輪に合うように加工する必要があった。


 幸いにして、ワイバーンの魔石が手元にあったから、チーちゃんの腕輪をいじることが出来る人とコンタクトをとらなくてはいけなかった。

 ようやくその準備が整ったのだ


「私たちの腕輪は、壊れることがない特別製なのよね」


「ああ。能力で破壊される恐れがあったからな」


 チーちゃんの全力は、私の能力よりも破壊力がある。


 しかしそれは諸刃の剣。チーちゃんの身体は最大でも能力の8割までしか耐えられないというデータがある。

 ゆえに、制限をかけておくに越したことはないのだ。

 腕輪は超能力者であると同時に、私達超能力者の生命線。自分の能力で壊れるなんてつまんない終わらせ方はしてはいけないのよ。


「チィは自分で能力の調整ができないからな」

「ええ」

「3割にまでパワーを落としても、十分すぎる殺傷能力があるし、力士10人くらいなら片手で軽く・・持ち上げられるはず。まぁ、さすがにこの世界で強敵が現れたとしても3割でも敵なしだろうが、少し不安も残るな。」


「でも、研究所の頃とは違って、この腕輪は魔石の取り外しが可能にしてあげるから、チーちゃんでも外せるようにできるし、いざとなったら自力で逃げるくらいはできるよね」


「ああ。それに、空の魔石に溜まったチィ魔力は石屋に持っていけば、その魔力を高額な値段で買い取ってもらえるし、チィの小遣いにもできる」


「一石二鳥ね」


 敦史は再びチーちゃんの頬を撫でる。

 その瞳に映るのは、一人の華奢で可憐な女の子。


「………俺たちには守らないといけない子がいる」

「うん」


 チーちゃんの頬を撫でながら、今度はその瞳で私をじっと見つめる。


「俺たちに何があっても、チィだけは守るぞ、美羽ねぇ」

「わかってるわ。私もチーちゃんが大好きだもん。魔王だろうと勇者だろうと、私たちの幸福を邪魔する奴は押しつぶしてあげるわ」

「はっ、頼もしいな」

「えへへ、お互い様だよ」


 コツンと拳をぶつけあって決意を新たにしたところで、敦史が口を大きく開けてあくびを一つもらした

 今日も疲れたし、私は明日の朝も早いからね。今日は疲れたわ。


「そろそろ私達も寝よっか」

「ああ。おやすみ、美羽ねぇ」

「おやすみ、敦史」






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