第4話 宿屋の劇的ビフォーアフター

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 わたしたちが今暮らしているこの“宥和の宿”という宿屋さん。

 ここでの生活を始めて一日。すでに衛生環境が最悪だということに気付いた

 というわけで、あつしくんが帰ってきたので、相談してみた。


「………あつしくん、みっちゃん。自由に使えるお金ってどれだけあるの」

「うーん、結構あると思うけど、何に使うの?」


 みっちゃんが首を捻りながらこっちを見た。

 いつみても整った顔だ。


 あつしくんも難しそうな顔でわたしを見つめる


「………宿屋の大改造。劇的ビフォーアフター」

「うーん、さすがにそれはお金が掛かりすぎるよ」

「ああ。そこまでできるお金は俺達にはない。お金を貯めるに越したことはないんだ。そんなことにまで使うお金はもったい無い。」


 やっぱりか。なんだかんだ言っても、みっちゃんもあつしくんもこの世界に来てから1週間しか経っていないんだ。

 大改造できるほどのお金をいっぱい持っている方が不自然だ。


「………わたしが自由にできる程度のおこづかいがあればいい。それでこの宿を改造工事する」

「私たちはフリームちゃんのお母さんの代わりに宿屋を切り盛りする代わりにタダで泊めさせてもらっているんだよ? すでに条件と対価を貰っている以上、こちらが損する必要はないと思うよ」


 それはわたしもそう思っている

 だが、現代日本について慣れている二人にとっても、今の環境は相当つらい状況のはずだ。


「………みっちゃんやあつしくんは何も思わないの」

「なにを?」

「………この宿屋のトイレ」


 いぶかしげに聞き返すあつしくんに対し、眼を細めてトイレの惨状について示すと、眉を押せて唸った。

 やっぱり。少しは堪えていたんじゃない


「………この宿をしばらく拠点にする以上、わたしは気持ちよく寝泊まりできる環境を作りたい。宿屋の衛生面を徹底して、みっちゃんとあつしくんの料理で客を引いて、気持ちのいい宿屋だという噂を流して貰えれば万々歳」


 両手を上げてバンザイする。

 これで客が増えて借金も返せて宿屋も繁盛。

 フリームも幸せ。わたしも幸せ。宿泊客も幸せのWin‐Win‐Winの関係ね。


「………たしかにそうなんだろうが」

「まあいいじゃない敦史。チーちゃんがわがままを言うのも珍しいし、自由にできるお金が無いわけでは無いんだし、正直私もそろそろ衛生面でキツイと思っていたから」


 わたしの考えに、みっちゃんが賛同してくれた


「わかった。俺も今の環境が良くなるならそれに越したことは無いと思う。チィの思う存分にやってくれ」


 それにより、あつしくんも折れたようだ。


 腰にぶら下げた収納袋から、5枚の大金貨を渡された。


 ついでに価値を聞けば、大体のことが判った。


  鉄銭―1p

  銅貨―10p

 大銅貨―100p

  銀貨―1,000p

 大銀貨―10,000p

  金貨―100,000p

 大金貨―1,000,000p

 白金貨―10,000,000p


 お金の単位はペルン。


 この国の平均月収は大銀貨5枚程度。5万ペルンだ。


 ただし、物価がその分安いので5万ペルンっていうのは日本円にすると30万円くらいなのかな。

 日本円に当てはめても意味が無いし、この国のレートで買い物するけどさ。


 銅貨一つは1円玉程度の大きさ。

 大銅貨は500円くらいの大きさ。


 白金貨は見たことないからわかんないって。



「………大金貨ってことは、結構無茶させた?」

「あと半分以上は残ってるから、大丈夫よ。チーちゃんはコレをつかって好きにして」



 500万ペルン。


 どのくらいなのかがいまいちよくわかんないけど、かなり大金なんじゃないかな。

 正直言って、かなり富豪の域だと思うんだ。

 それなのに、まだまだお金を稼いで自分たちの家を買うために、コツコツ努力を重ねているあつしくんとみっちゃんには脱帽だ



「………それじゃあ、明日はさっそく買い物に行ってくる」

「わかった。無駄遣いはするなよ」

「………無駄なことなんて一つもない。わたしたちの生活環境が掛かっている」

「私は今日と同じように女将さんの看病と宿屋の手伝いをするね。掃除とかなら手伝うから」

「そうだな、俺もタダで泊めさせてもらっている上にタダの宿泊客を増やした責任を取らないとな。明日は俺も宿屋の改装を手伝うぜ」


 みっちゃんとあつしくんも手伝ってくれることになった。

 これは心強い。


 作業が数日で終わるかもしれないわね


「………フリームから改装の許可も取ってるから、好きなだけ弄れるはず」





             ☆ フリームSIDE ☆




 私の名前はフリーム。


 9歳の女の子です。


 実は私の家は宿屋を経営してます。

 立地が悪くて人が居ないせいで、経営してから10年たった今でも宿屋を立てた時のローンが残っているらしく、まだ返せていない借金があります。


 その月の返済額を返せないと、怖い人たちが乗り込んでくるのです


 だけど、今日はお母さんは体調を崩してベッドで寝ています。

 その看病に、宿泊客であるミウさんが付っきりで見てくれています。


 その見返りとして、アツシさんとミウさん、そしてその二人の家族であるチカちゃんの宿代を免除しているのですが、そうするとおうちにお金が入らないのです


 お母さんが寝ていると、私も何をしたらいいのかが分からなくて困ってしまいます。

 お母さんが居ないという状況で、今日は怖い人たちが宿にやってきてお金を払えと言ってきました。


 お金の問題に、しかも家の問題に、家族でもなんでもない、私と同じくらいの年でちいさくて可愛いチカちゃんを巻き込んでしまいました

 怖くなってしまって、つい頼りになるチカちゃんを頼ってしまったんです


 チカちゃんは不思議な女の子です。


 知り合ったばかりだし、いつも眠そうなジト目で何を考えているのかよくわかりませんが、現実的でとてもシビアで、なのにとても優しい子だということはわかります



 森でゴブリンに攫われてしまった時も私を助けてくれました。

 偶然木が倒れてきてゴブリンを巻き込んだとチカちゃんは言っていましたけど、たぶん、チカちゃんが倒してくれたんだと思います。



 その後のオークも、振り下ろされる棍棒を右手ひとつで受け止めてしまっていました


 さらにその後に現れたワイバーン。

 ワイバーンが現れた時には、あまりの恐怖におしっこを漏らしてしまいましたが、そんな私を庇ったチカちゃんがワイバーンに腕を噛まれてしまったのです。

 私の代わりに、チカちゃんが犠牲になってしまったのです。

 痛くないはずがありません。チカは本当に痛そうに叫んでいました。


 チカちゃんの足も震えていました。

 それでも、私を守るために、一歩も引かないでワイバーンと戦って、ワイバーンの頭を吹き飛ばしたのです。



 私は夢を見ていたのでしょうか。

 ワイバーンの頭を吹き飛ばすチカちゃんは異常でした。


 その後、力を使い果たしたのか、ぐったりと気を失っているチカちゃんは駆けつけてきたアツシさんに保護され、チカちゃんはアツシさんの家族だということを知りました。


 アツシさんたちは有名人です。

 なんでも、ドラゴンを倒した新米冒険者というものらしいです。でも、チカちゃんがそんなすごい人たちの家族だということを聞いて、チカちゃんが異常なチカラを発揮することに少し納得しました。


 ワイバーンを倒したチカちゃんも『竜殺し』の称号を与えられるのでしょうか。


 そんなチカちゃんが、今度は私の住む宿屋を助けてくれると言っています



「………フリーム」

「なに、チカちゃん?」

「………宿屋の内装、大改造するわ。許可をもらえるかしら」

「え、聞いてみるだけならいいけど………お母さんに聞かないとわかんないよ」

「………許可を貰えるなら、改装の代金はわたし達が持つ。そのかわり、わたしたちがここに泊まった時、宿屋の手伝いをしているしていないにかかわらず無料にすること。それが条件」



 チカちゃんの表情はあまり動きませんが、急かしている雰囲気はわかります


「すぐに聞いてくるね、さすがに私が勝手に許可を出すわけにもいかないもん」

「………ん」



 急いでお母さんに聞きに行きました

 お母さんの寝ている寝室へと向かいます。

 宿屋の1階はロビーとトイレと厨房と食堂。それに私たち従業員の居住空間です。


 急いでお母さんの寝室へと飛び込みました。


「お母さん! チカちゃんがね、こんなことを言って来たの!」

「おや、またチカちゃんの話しかい? 昨日友達になった子の話しだろう? 今日だけでもう3回目だねぇ」


 ベッドに横たわるおかあさん。

 近くにはお水が置いてある。


 ミウさんがすぐに飲めるように用意してくれたものだ



「うん! なんかね、お店を改装する許可が欲しいんだって。どうしよう?」

「ウチにそんなお金は無いよ。ふざけたことを言う子だね、その子。」

「あ、違うの! そうじゃなくて、改装するお金はアツシさんとミウさんが全部払ってくれるんだって! その代り、アツシさんとミウさんとチカちゃんがこの宿に泊まりに来たらタダで泊まらせてほしいんだって!」


 勝手に物事を決めようとしてチカちゃんたちに対して不快感をあらわにするお母さんに、自分の言葉の足りなさを弁解すると

 重そうに体を起こしたおかあさんは、眼をパチパチさせて私を見ました



「それだけでいいのかい? この家を改装するとなると、相当なお金が掛かるはずだろう? 宿屋の1年分の料金よりもお金が掛かるじゃないか。どういう風に改装するかを聞いてから、お願いするよ。客が増えないから新しいことを取り入れたいけど、そのためのお金もないからねぇ。便乗させてもらいましょうかね」


 よっこらしょっと、大きくなったお腹・・・・・・・・をさすりながら立ちあがった


「ダメだよおかあさん、体調が悪いんでしょう?」

「大げさねえ。つわりよ、つわり。もうすぐ治まるわ、心配しないで」


 でも、体調が悪いのも本当です。

 お母さんは体が弱い人なのでつわりがなくてもいつも大変そうです。

 私がしっかりしないと、今、この宿を守れるのは私だけなんだから!


 お母さんは無茶ばかりするからすぐに体調を崩してしまいます。

 なのに無理をしてお仕事を続けて、もっと体調が悪くなっちゃいます。

 悪循環です。どうしたらいいのでしょう?


 宿屋のローンを返済しないといけないから無茶をしてでもお金を稼がないといけないんだけど、せめてお腹の子が産まれてしばらく経つまでは休んでいて欲しいくらいです


「ちょっとチカちゃんって子に挨拶に行くだけよ。お父さんが死んじゃってからフリームに元気が無かったけど、チカちゃんに元気付けられたみたいだから、そのお礼を言いたいのよ」


 重い身体をよいしょよいしょと一歩ずつ歩いていき、ロビーの方で店番を任せていたチカちゃんの元へとお母さんを連れていきました


「………あ」


 店番ついでに掃除用具をチェックしていたチカちゃんがこちらに気が付いて頭を下げました


「………こんにちは。お身体の具合はいかがですか」

「大丈夫よ。貴方がチカちゃんね? 私がフリームの母のフルーダよ。関係がないのに、お店の問題に巻き込んじゃってごめんなさいね」


 お母さんがそういうと、チカちゃんは首をふるふると振って「モーマンタイ」と答えました。

 意味は解らないけど、『大丈夫』って意味だと思います。


 その後、チカちゃんはお母さんの大きくなったお腹をじっと見つめます


「………お母さんは病気だと聞いていたけど、お腹に赤ちゃんが居るのね」

「ええ、もうすぐ産まれると思うのだけど、私の体調もくずれちゃったみたいで、この子フリームにすごく心配を掛けたらしいの」


 ポンポンと私の頭を撫でるお母さん。

 チカちゃんもお母さんのお腹を微笑ましい笑顔で見つめました。

 でも「妊婦にわさびは………まぁ大丈夫かしら」と呟いていました。なんでしょうか。


 すぐに表情は真剣みを帯びた顔に戻り、「………頼みがあるの」とお母さんの眼を見上げました。


「………この宿屋にタダで泊めさせてもらっているお礼をしたい。宿の借金を肩代わりすることはできないけれど、客を寄せることはできる。それで恩返しになるかしら」

「いいえ、私の体調が悪いからって、関係のないアツシさんたちにお店のことを頼んでしまった私が悪いの。そこまでしてもらったら、返せる恩じゃなくなるわ」


 単刀直入にチカちゃんがお母さんに交渉に入りました。

 しかし、お母さんはすぐにそれを拒否してしまいました。

 いいことづくめなのに、なぜ断るのでしょうと思っていたら、たしかに、私達に返せるような恩じゃなくなってしまいます。


 こちらの恩ばかりがかさんで、どう返済したらいいのかわからなくなる借金地獄の始まりにしか思えなくなってしまいました

 しかし、チカちゃんはそれに対して首をフルフルと横に振りました。


「………あなたたちが宿の事を頼んで宿代を無料にしたのはみっちゃんとあつしくんだけ。厚意はうれしいけど、勝手に増えてしまった『わたし』はイレギュラー。つまり約束の範囲外。」


 チカちゃんは身体の前で両手を×の字にします。


「宿の現状を考えたらもっと貪欲であるべき。だから、わたしは『タダで泊めてもらう代わりに宿屋を改造できる権利』を貰いに来た。」


 すると、チカちゃんは腰に手を当てて、すでにこの宿屋に恩があるからと言って、見返りはタダで泊めてもらうことだと言いました。

 それなら、ウチが更なる借金を負うことはないですね


「つまりあなたは、この宿屋に『恩を着せる』のではなく、『恩を交換しに来た』ということ?」

「………そう。約束の交換条件はあつしくんたちと同じ。押し付けがましいけれど、わたしがそうしたいから頼んでいる。いやなら別にそれでもかまわない。別の恩返しを考えるわ」



 うーんと考え込むお母さん

 わたしには考えていることはわかりませんが、相当悩んでいるようです


「どういう風に変えるのか、聞いてみてもいいかしら」


 どうやら、改装後の姿を聞いてから決めるつもりのようです

 たしかに、その方がこちらとしてもありがたいですし、どうなるかが判っていた方が便利ですからね


「………まずは宿内部をすべてピカピカに掃除する」

「あら、案外普通ね」


 改装すると言っていたのに、掃除とは思ったよりも普通の事で拍子抜けしました。


「………当然。」

「そのくらいなら、私達だってしているわよ?」

「………足りない。だから、文字通りピカピカになるまで掃除する」


 ぴしゃりと言いきられて、私の時と同じように、お母さんが少しむっとしました

 ですが―――


「………あと、トイレの匂いがくさい。あれも早急になんとかするべき。トイレは人が毎日使う場所。そこを清潔にできなければ、意味が無い」

「トイレって、どうせすぐに汚れるじゃない」

「………すぐに汚れるなら、なおさら毎日掃除しなきゃダメでしょう?」


 うっと言葉に詰まるお母さん。

 トイレは不潔だし、匂いも籠っていて、用を足す時以外は行こうとは思わないのです。だからあまり掃除も行き届いておりません


「………だから、トイレも掃除しやすく、なおかつ匂いが籠らないように工夫する。」

「そこも改装するってことなのね」


 再び腕を組んで唸るお母さん


 しばらくの黙考の後、お母さんはゆっくりと口を開きました。


「それなら、お願いしちゃってもいいかしら。ただし、お客様が居ない時間じゃないと改装作業はしちゃダメよ。他のお客様の迷惑になっちゃうし」


 どうやらお母さんもトイレの環境についてはよく思っていなかったみたいです。

 チカちゃんに改装の許可を出しました。

 お金はチカちゃんたちが払うと言っているので、改装に掛かるお金の心配もないそうです


「………わかった。帳簿を見せてもらったけど、今はわたしたち以外の宿泊客はいない。もし、コレで客が増えなかったらわたしのせい。その時は、わたしが責任を持つ。改装後を楽しみにしててほしい」


 無事に許可を貰えたチカちゃんは安心してホッと息を吐きました。

 その後、普段無表情のチカちゃんが眠そうな瞳のまま口元を『ニヤッ』と歪ませていたのが特に印象に残りました。



                   ☆



 早朝。チカちゃんに言われた通りに店の前を掃除します。

 まだ辺りは薄暗いというのに、案外人は多いみたいです。


「おはようございます!」


 ということで、通行人に笑顔で挨拶をしました。


「え、あ、おはよう。お手伝いかい? 偉いね」


「はい!お兄さんもお仕事がんばってください、いってらっしゃい!」


 チカちゃん曰く


『………大事なのは、どんなに眠くても笑顔で挨拶をする事。『おはよう』だけじゃなくて『行ってらっしゃい』もつけること。』


 らしい。そうすることによって仕事に行くときにちゃんと帰ってこよう。という気になれるそうです


『………朝に会う人は殆どが今から仕事に出掛ける人達だから『お仕事頑張って下さい』を加えるとなお良し』


 と、チカちゃんは眠そうな顔のまま私にそう言ってくれました。

 『お兄さん』、と付けたのは私のアドリブです。

 相手は30歳近い人でしたが、すごく嬉しそうに微笑んで私の頭を撫でてから「行ってきます」と言って足取り軽く町の中央部へと向かって行きました。


『………フリームは幼いし、かわいい。そんな女の子から頑張ってと言われて気合の入らない男はいない。今日はなんだかいいことがありそうな気がする。と朝から気持ちよく仕事に出勤できる』


 ちょっと褒めすぎな気がしますが、なるほど。と思いました。


『………この画面の向こう側の人たちもきっと同じ気持ちになれるはず』


『??? 画面?』


 チカちゃんが虚空を見つめて『………あなたたちのことよ。』とよくわからないことを言っていたけど、そんなものなのかなぁ、と納得つつ、チカちゃんが自信に満ちていたから間違っていないんだと思います。


『でもさ、それで宿屋の利益に繋がるの?』


 ただ、そんなことで宿屋が儲けるとは到底思えなかった。

 通行人の気分が良くなったところで、自分にはなんのメリットもない事に気付いたからです

 だからチカちゃんに聞いてみたところ


『………繋がるわけがないでしょう』


 あろうことか、何言ってんの。とチカちゃんは首を傾げながら利益にはならないと言い切ったのです


 じゃあなんでこんなことをしないといけないのかと口には出さずに考えていたところ


『………直接利益には繋がらないけれど、口コミで宿の存在や情報を知らせることができる』


 チカちゃんは人差し指を立てて、そう教えてくれました。


『口コミ?』


『………そう。情報は人に聞いてしか知る方法がないなら、赤の他人にこの宿のことを宣伝してもらえばいい。『この宿屋は人当たりのいい宿屋だよ』とか『そういや、どこそこに宿屋があるから行ってみたらいいよ』って』


 その人差し指でピッと宿を指差します。

 なるほど。直接の利益にはならないけれど、確かに有効な手だと思った。


『………もっと言えば、宿屋に目玉となるものがあればいい。例えば、美味しい料理とか』


 口元からヨダレが出て無かったらもっと格好付いていたかもしれないですが、チカちゃんは見た目の割によく食べる子なので、仕方ないかもしれません


 料理に関しては、今はまだ何も考えられませんが、宿屋は森に近いため、冒険者さんはともかく旅人にはあまり知られていません。

 冒険者たちも、この宿の事を知らない人は多いでしょう。

 ギルドにも森にも近い場所なのに。森に近い隅の位置にある宿屋だからこそ、人目に付きにくいというのもありますが………。


 今はとにかく見聞を広めるために、早朝から外に出て挨拶をすることにします


 おっと、また人が来ました!


「おはようございます! お仕事頑張って下さい!」


 笑顔を忘れず――


「行ってらっしゃい!」



                  ☆




 さて、チカちゃんがウチの宿屋に来てから2週間経ちました。

 現在はアツシさんやミウさん。それにチカちゃんがウチの宿屋の改装工事をしてくれています。


 現在泊まっているお客様は少ないですが、お客様が居ないタイミング。冒険者様が多いので昼間ですね。


 その間に、チカちゃんちゃん御一行がクルクルと良く働いています。


 普段はしがない宿屋なのですが、この光景は流石に常軌を逸していると思います。


 まず、大人数で運ぶような建材をチカちゃんが片手に一つずつかかえて運んでいます。


 チカちゃんは力持ちです。

 しかも、とても重いはずの建材を、大した苦にはならないと、涼しい顔をしております


 ミウさんはもっとおかしいです。


 大きな木材に腰を下ろしたまま、木材がふわりと宙に浮いて、そのまま二階の窓から入って行きました。


 周囲の人達も、その常識の枠から外れたミウさんやチカちゃんの行動に口元をあんぐりさせながらウチの宿屋を見上げていました。


 アツシさんの方はどうかと思って見てみれば、机の上に羊皮紙を広げて

高速でガリガリと図面を描きあげていました


 チカちゃんやミウさんと比べると地味ですが、正確な図面を数十秒で仕上げるその頭脳と知識に私は戦慄しました


 木工工房、鍛治工房へと様々な発注をして、細工師に注文して部品を作り、便利アイテムを作り出す。


 洗濯バサミ、肩のところを伸ばすことができるハンガー、クルクルと回すことによって長さが変わる棒など、一見何のためのアイテムなのだろうと首をひねるような物を発明しては部屋に置いていくのです。


 これがあれば、簡単に服を掛けられるしすぐに乾かすことができるそうです。


 簡単な仕掛けなのに、それだけでとても便利になる繊細なアイテムを次々と作り出しては、宿屋の一部屋一部屋に設置していき、果ては取っ手を回すことによって回転の遠心力で脱水を行う脱水機を自作して宿の汲み井戸のある裏庭。その水はけのいい場所に置いてくださいました。これで洗濯したものをすぐに脱水して干すことが出来るのです。

 私の知っている宿屋と、何もかも違います。


 まるで………そう。高級宿屋みたいになってしまっております


 宿屋の内装はどうなっているのかを見てみましょう。


「ただいまー」


 カランカランと音を立ててドアが開きます。

 鐘がついているので、遠くに居てもこれでお客様が来たことがすぐにわかります!

 これもアツシさんが自作してくださいました!


 さて、ロビーを見て回りましょう。

 まずはロビーの奥には個人ロッカーがあり、お部屋だけでなく、貴重品を預けるためのロッカーも貸し出しを行います。別料金です。


 宿の部屋だけでは心配な人が利用してくれます。

 ロッカーの盗難の際は、個人が責任を持つことになります。

 ロビーで貴重品を預ける場合も別料金でできます。その場合は、宿屋が責任を持ちます


 廊下を歩いて行くと、布を頭と口元に巻いたチカちゃんに出くわしました。

 汚れたバケツと、汚れを含んだ真っ黒なモップ(これもアツシさんの作った掃除道具です)を持ってこちらに歩いてきます。


 ペダルを踏むことでローラーがモップに圧力を掛けて、モップを引き抜くことにより一瞬で脱水することができるバケツがあるおかげで、作業がとても捗っているみたいです。


「………フリーム。綺麗になったでしょう。もともとここはこんなに綺麗な場所なのよ。だから………いつ、どんなときでも、この状態を維持できるように心がけなさい」


 チカちゃんの言う通り、以前の廊下とは雲泥の差です。

 いつも靴で出入りして泥だらけとはいえ、清潔にしていたほうが気持ちがいいです

こんな宿屋になら泊まりたい。と自分でも思えるほどです


 チカちゃんに「………トイレの方も見てみなさい」と言われたので、トイレ戸を開けてみると


「わぁ………!」


 トイレ特有の嫌な臭いが全くしません! 床が汚物で汚れてもいませんし、とても清潔です!


「………トイレはその会社の中を表す。いろんな人が見るから一番気を付けないといけない場所よ。舐めても腹を壊さないくらい、いつも清潔を保ちなさい」


 そういって、チカちゃんはまた別の場所を掃除しに行きました。


 それを見送り、トイレ専用のスリッパを履いてから個室の方はどうなっているのかと思って見てみると、便器はしゃがみこんでするタイプです。チカちゃんは『ワシキトイレ』と言っていました。


 奥の方に弁が付いているので、小水やうんちはそこを通った後、すぐに蓋が閉められる構造になっています


 おかげで下水特有の嫌な臭いが殆どしません。

 掃除は上から水を流せばいいし、汚くなったらしっかり掃除したらいい。


「………何言ってるの。毎日しっかり掃除するのよ。言ったでしょう。舐めてもお腹を壊さないくらい、清潔を保つの」


「ひょわっ!」


 ひょこっとドアから顔を出してこちらを覗き込まれた


「………宿屋で過ごす人に、気持ちよく過ごしてもらおうと思わないと、こんな廃れた宿屋はすぐに潰れるわよ。」


 反論なんか出来ませんでした。借金を返せなくて潰されそうになっているのは事実だから。


「………本当はトイレに水槽とトラップを作って水の力でもっと下水から上がってくる匂いとネズミをシャットアウトしたかったのだけど、水に堪えられてトラップに使える柔らかい素材が無いのよね。日本と変わらないトイレを作れると思ったのだけど、難しいわ」


 どうやらチカちゃんはコレでもまだトイレの環境が不満らしいです。

 どうしてここまでトイレに執着するのでしょうか。わかりません。



                  ☆



 ロビーに戻ると、チカちゃんはグッタリとテーブルに突っ伏してました。

 チカちゃんは力持ちだけど、体力が無いのです。

 すぐに動けなくなってしまいます


 そんな時には、アツシさんかミウさんがチカちゃんにちょっとした食べ物を用意して休んでいるように言ってくれます。


 私から見ても、チカちゃんは働きすぎです。


「チィ、少し横になってろ。顔色が悪いぞ」

「………平気」

「チーちゃん。頑張るのもいいけど、ほどほどにね」

「………大丈夫」


 大丈夫じゃなさそうです。

 すこし顔も青白くなってきてますし、見るからに体調がよくないです。


「とりあえず、炒飯(チャーハン)てきなものを即興で作ってきたから、コレを食べて元気出して」

「………ありがと」


 ミウさんの用意した大盛りのどんぶり飯をペロリと平らげてから小さなポーチを携えて出掛ける準備を始めるチカちゃん。


「チカちゃん。どこに行くの?」


 そんなチカちゃんが心配で声を掛けると

 チラリとこちらを一瞥して、鈴のような声で目的地を告げました。


「………冒険者ギルド」

「ふぇ!? そんなところに何しに行くの!?」


 予想外の目的地に素っ頓狂な声を上げてしまいました!

 なんで!? 冒険者ギルドに? チカちゃんはまだ冒険者になれるような年齢じゃないはずです!

 行っても意味なんてないんじゃ………。

 そう思っていたところに、チカちゃんはポツリと呟きました


「………依頼を出しに行く」


 そうでした。

 たしか冒険者ギルドは街の依頼も受け付けていましたね。

 正直なところ、そういう機能を利用したことがなかったので頭からすっぽ抜けていました


「一体、何の依頼なの?」


 チカちゃんは私と同じくらいの年齢です。

 なので冒険者登録はできない筈です。

 チカちゃんも冒険者になりたいと言っておりましたが、こればっかりは仕方がないですよね。年齢制限があるのですから。


 でも、依頼ですか。

 街の中でできる依頼と言えば………『落し物を探してくれ』と言ったものや『ペット探し』や『家の修繕』といった地域に密着したものもあったはずです。

 低ランクの冒険者用の小遣い稼ぎ程度の依頼だったはず。


 街の外でできる依頼は『薬草の採取』や『魔物の討伐』といった危険なモノもあります。


 ただ、チカちゃんがどんな依頼をするのか、全く検討がつかなかったのです。



「………若手のランクの低い新人冒険者は街の仕事の手伝いもして生活費を捻出しているのよね」

「う、うん」

「………それを支援する宿にするわ」


 うん? どういうことなんだろう?


「えっと、つまり?」

「………この宿屋に泊まる依頼を出す」


「え、えええ!!? ち、ちょっと待って! なんでそんなことをするの!? 冒険者ギルドに依頼を出すのにもお金がかかるんだよ!? それに、お客様を泊めてお金を稼がないといけないのになんでお金を払ってまでそんなことをしないといけないの!?」


 チカちゃんがどういう心理なのか全く理解できず、慌ててチカちゃんを止めました


「………なぜ止めるの? それこそ理解できないわ。安い広告料で宿を宣伝できるのに、それを利用しない手は無い」


「お金を払ってまでする必要は無いって言ってるの!」


 私がチカちゃんの手を掴んで引き留めると、チカちゃんはふぅと溜息を吐いて私の頬をむんずと掴んだ


「ふにゃい!」

「………。」←ジト目


 むにむにむにー!


「ふにゃにゃにゃやややあ!」

「………。」←ほっぺたが柔らかくて弄りたくなった


 むにむに、むいむいむいむい!


「ふややや! ふわわわわっ!」

「………。」←楽しくなってきた


 むぎゅう!


「ふにゅう!」

「………。」←そんなフリームがかわいいのでやめ時を見失う前にやめた


 一通り、私のほっぺを蹂躙した後、チカちゃんは私の鼻にビシッと指をさしました。

 私は少し赤くなったほっぺを揉みほぐします。


「………フリームは広告の大事さを全くわかっていないわ。言ったはずよ。まずは人目に付かせることが重要なの。これについてのお金は、わたしたちはビタ一文ださないわ」

「確かに言ってたけど、そんなお金、ウチには」

「………お金を払ってでも広告はすべき。広告料というのは、本来なら莫大な費用がかかるの。冒険者ギルドに依頼するという形をとれば、それを格安で行うことができる」

「でも………」

「………たしかに継続することで掛かるお金はバカにならない金額だけど、1回1回は安く済むわ。そこらへんはわたしの交渉に任せて。どうせいつも部屋はいくつか空いているのだし、その内数部屋を無料開放してあげるだけよ。問題ないわ」

「それっ! だいぶ問題だよ!?」


 チカちゃん、絶対に疲れている!

 トロンと眠そうなジト目で見ているのはいつもの事だけど、少しだけ活力がない気がする!


「………いいから、ついてきなさい」

「わわっ!」


 チカちゃんに手を引かれて宿屋から連れ出されました

 うぅ、うちの宿屋、どうなっちゃうんだろう


「………行ってきます」

「おう」

「気を付けてねー」


 それに、なんでミウさんやアツシさんはチカちゃんのことを心配していないんだろう。

 それだけ信頼しているってことなのかな




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