第2話 No.03 玄人の憂鬱 No.01 重力法則無視



「あ、あぁ、ぁぁぁ………」

「………びっくり仰天」


 崩れ落ちた豚の下半身。オークって言ったかしら。


 豚の上半身をボリボリとかみ砕きながらこちらを見下ろすのは、鈍色の鱗を持つ、ワイバーン。


 裸のまま森の中で目を覚ましたと思ったら、緑色の化け物に襲われている女の子を助け、川を下っていたら豚の化け物に襲われかけて逃げて。

 豚の化け物の攻撃を防いだと思ったら、今度はドラゴンのような生き物がわたしを見下ろしている


 生還できる可能性はすでに絶望的


 わたしが助けた空色の髪の女の子、フリームは、ワイバーンに睨みつけられてすくみ上り、ぺたりと尻餅をついて股から暖かい液体を流していた


『GYAOOOOOOOOO!!!』


「ひぃう!!?」


 口に含んでいた豚の上半身をごくりと飲み込み、咆哮

 フリームの引きつった口元と、目元にため込んだ涙が頬を伝う。


 ワイバーンは大きな咢で、わたしたちを丸のみしようと大きく口を開けた。


「………くっ!」


 怪力乱神で全身の筋力を爆発的に増加させてワイバーンの顎を押さえるために腕を突きだした


 が、ワイバーンはその突きだしたわたしの腕に噛みついた


 ガヂュ! とワイバーンの牙にわたしの腕が挟まれる。顎の力はまるで万力のように締め付けられた


「あ、ああぁ、チカちゃん!! 腕が!!」

「………まだ………だい、じょうぶ」


 “怪力乱神(かいりょくらんしん)”を使うに当たって、わたしの骨や皮膚はかなり頑丈なつくりになっている。


 超能力さえ使っていたら、ある程度の刃も通さない程だ。


 ワイバーンの顎の力よりもわたしの筋力の方が勝っているようで、ワイバーンがわたしの細腕を噛みちぎることはなかった


「………これ、なら………」


 これなら、何とか耐えられるレベルだ。このまま押し切ってやろうと思っていた矢先

 ブチッ! と、食い込んだ牙から皮膚が裂け、わたしの血がにじむ


「―――ぎっっ!! ああああああああああああああああ!!!!」


 絶叫。

 怪力乱神の能力をもつ代わりに、わたしの痛覚は10倍となる。

 いくら耐久力が高くとも、痛覚が10倍というのは、本当に厳しいものだ。


 指先を針で刺しただけでも、指がもげてしまいそうな激痛に襲われている事とかわらないのだから。


 それが、腕に化け物の牙が食い込んでいる状況ともなれば、発狂の一つでもしてしまいそうなほどだ

 だが、慌てて引き抜いたりはしない。そんなことをすれば、腕がズタズタになって更なる激痛を産むことになるからだ。


 噛みちぎれないと悟ったワイバーンが首を振って腕をちぎろうとする。

 しかし、右足を地面に突き差し、梃子でも動かない体勢で歯を食いしばりながらどっしりと構えた。


 しかし、腕と足に強烈な痛みが走る。腕と足の骨に多大な負荷を掛ける姿勢だからだ。

 だが、激痛に襲われていても、わたしは生きている。このくらいなら、まだ、実験施設で受けた拷問に比べたら軽いほどだ。


 とはいえ、激痛で辛い事には変わりない。涙を堪えながら、歯をかみしめる。噛みしめすぎて歯茎から血が滲み、口内に鉄の味が広がる。

 生きるための最善を尽くせ!

 今の自分には何ができる!! 考えろ!


「っっくぅ!」


 わたしは噛みつかれた腕をワイバーンの口の中でギリギリと動かし傷が抉れる。


「~~~~っっぐぅうう!!!」


 わたしはぬめりを持つワイバーンの紅い舌を掴み、そのまま



「ああああああああああああああああ!!!!」

『GYAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 軽く握っただけで1tを超える握力を持つわたしにとっては、舌を握りつぶすのはたやすい事。トマトを握りつぶすのと、そう変わらない。

 あまりの激痛にたまらずわたしの腕から牙を抜くワイバーン


 その拍子に、勢いよく腕を引いてワイバーンの舌を引っこ抜いてやった。


 口の中から血が噴き出す。


 ワイバーンは憎しみのこもった眼でこちらを見据える


 わたしは荒く息を吐きながら、右手に掴んでいる未だにビチビチと蠢くソレを一瞥し、その辺に放り投げた。

 気持ちが悪いもの。一秒だって握っていたくないわ。


「………つか、まって」

「きゃっ!」



 わたしもズタズタになった右腕から血をダクダクと流しながら、フリームを左手で抱き寄せて一足で距離を取る。

 涙で滲む視界のままワイバーンと対峙する。


 さすがに、足が震える。

 怖い。こんな大きな生き物と戦ったことなどないから。


 その昔、わたしは実験と称して灰色熊(グリズリー)と戦わされたことならある。

 あの時は無様に逃げ回って、無我夢中で突きだした腕がたまたまグリズリーの脳を抉った。


 目の前に広がる死への恐怖。

 素手で脳を抉る感触。

 血にまみれる自分の身体。

 呆然と見つめる、脳髄の滴る右手。

 襲ってくる吐き気。


 怖かった。死ぬかもしれないという恐怖で頭がいっぱいになる

 今だってそうだ。恐怖は、あの時の比ではない

 冷や汗が頬と背中を伝う。


 いくら人知を超えた力を持っていても、わたしはただの13歳の少女なのだから。

 戦闘経験など、あるはずもない。


 絶体絶命。その瞬間に走馬灯のように頭をよぎるのは過去の出来事。実験を繰り返して人知を超えた力を持つ、自身の身体。

 励まし合った友達。死んでしまった仲間たち。少しだけ通っていた、学校生活。

 楽しい事などなにもなかった。

 人に飼われるだけの人生だった。

 そして今。ワイバーンの餌になろうとしている現実。


 そんなのは認めない。認めたくない。このまま自分の人生が終わるなど、あってはならない!!


 怪力乱神の発動した左拳を握りこみ、涙で滲む視界のまま正面を見据える


「………絶対に、死なないっ!」


 そこには、圧倒的強者の余裕を漂わせたワイバーンの姿が。


 ワイバーンは再びわたしを睨みつけ、再度わたしを飲み込もうと大きな口をあけた、その時



「チィ! 伏せろ!!!」


 突如、男性の声が聞こえてきた


「あ………」


 懐かしさとうれしさが胸にこみ上げてくる

 それらを抑え込み、声に従って反射的にフリームの頭を庇ってしゃがみこむと、わたしが立っていた場所に、ワイバーンの牙が突きたてられた。


 そのまま立っていたら、わたしの上半身は、下半身と離ればなれになっていた事だろう。

 想像するだけで、ぞっと背中が粟立った


―――直後。


 バシュッ! という何かが射出された音と、物体が飛んでいく風切り音が耳に入る

 ドスッ! とワイバーンの右目に矢が刺さったのを、わたしは視界の端で捕らえた


『GYAOOOOOOOOOOO!!!』


 ワイバーンはその突然の攻撃にのたうちまわる

 視界を奪われた衝撃、突然の奇襲による混乱。ワイバーンは現状を把握するよりもその激痛に耐えきれずにやたらめたらに暴れ出す。


 隙!

 暴れるワイバーンに対して、そう判断したわたしは即座に反応して立ち上がった


「全力で蹴り上げろ!!」


 聞きなれた男の指示に従い、思い切り力を込めて跳びあがり、ワイバーンの顎を蹴り上げた


 バチュ! という湿った音と共に、ワイバーンの頭がはじけ飛んだ


 怪力乱神、半分に制限されたなかでの全力攻撃。


 その攻撃をまともに喰らったワイバーンの頭は、形を残さず吹き飛んでしまったようだ


 怪力乱神を使用して飛びあがった私は、ワイバーンの頭蓋を破壊した後も、軽く10mは上空に跳んでしまっていたらしい。

 落下するわたしは、力のすべてを使い果たして、全身に力が入らなくなってしまった。


(………このまま落下を続けたら、落下の衝撃で首の骨くらいは折れて死ぬだろうな)


 怪力乱神はもろ刃の剣。

 持久力の無いわたしは、全力を出せばエネルギー切れを起こしてしまう。


 自由落下に任せて、身体の力を抜いて衝撃に備えると


「よっと。無事か、チィ」


 ポスッと、地面に落下するよりもはやく声の主がわたしを優しく抱き留めてくれた。


「………うん。信じてたよ、あつしくん。」


 自分の記憶よりもだいぶたくましくなった顔つきの少年。

 施設ではNO.003と呼ばれていた、背の高い少年。

 瀬戸敦史。


「ははっ、俺がチィを落とすわけがねぇよ」

「………お姫様抱っこのあたりが特にナイス」

「相変わらずだな。安心したぜ」


 身体に力が入ったら、サムズアップしてあげたのに。全身に力が入らないや。

 指を動かすだけの力も残っていない


「疲れたろ。一度寝ろ。起きたら暖かいごはんを美羽姉が用意してくれている」

「………みっちゃんもいるの?」

「ああ。安心したか?」

「………すごく。」


 恐怖と疲労が蓄積された体は、安堵と安心に包まれ、まぶたが重くなる。

 そっか、みんな居るんだ。

 安心したら涙が出てきた。


「おやすみ、チィ」


 わたしを抱き上げた少年の優しい声を最後に、わたしの意識は再び闇に包まれた。



                ☆


「………んぅ………」


 いい匂いがする。

 ニンニク、ショウガ、お酒、醤油、豚肉。


 これは………


「………生姜焼き!!」


 ゴン!


「ぷぎゃ!」

「………?」


 勢いよく起き上がったら、額に何かが当たった


「いったぁ………」


 見れば、鼻を押さえてギュッと目を瞑って涙を堪える、空色の髪の女の子が居た


「………フリーム?」

「いたた………あ、チカひゃん、きたんだ!」


 なぜか鼻を押さえながら涙目で笑みを浮かべたフリームがそこに居た。

 ここは何処? わたしは………そうだ。さっきワイバーンに食べられそうになって―――



 そこまで思い出したところで、右腕に激痛が走る。


「―――っ!」


 見れば、わたしの細い右腕には白い包帯を巻かれていた。


 怪力乱神を使用していない今は痛覚が10倍ではないが、それでも傷が残れば常に腕にジクジクと痛みが残ってしまう。


 傷自体はそれほど深いものではなかったらしいが、それでも皮膚はズタズタだし、痛いものは痛い。



「ミウさん! アツシさん! チカちゃんが起きましたー!」


 パタパタとフリームが部屋の奥の扉へと向かい、走り去ったフリーム。

 よかった。今度は裸じゃないみたい。


 自分の身体に異常がないかの確認をしてみたら、わたしも着替えていた。


 ドロワーズに肌着のみの簡素な服だが、それでも裸ではないことに安堵する。



 しばらくすると、下の方からドッタンバッタンと慌てるような音が聞こえてきた


 ガチャガチャ、ドン! 『あいたっ!』

 とフリームが出て行ったドアにノブを捻りながら体当たりをするような衝撃があったかと思うと


『ミウさん! 逆です! 引いてください!』

『わあ! ごめーん!!』


 これまた聞きなれた女の子の声が聞こえる

 その懐かしさに、胸に暖かいモノが込み上げてきた


 ゆっくりと開かれたドアからは恐る恐る、灰色の髪の少女が顔をのぞかせ、わたしの顔を見る

 よく見ると、額がすこし赤くなっている。先ほどの衝撃はドアで頭をぶつけた音だったらしい。


「チーちゃん!! うわぁーーん! チーちゃん、会いたかったよぉー! 目が覚めてよかった、丸一日も寝ていたから心配したんだよ?」

「むぎゅぅ」


 少女はわたしの顔をみた瞬間に、顔を歪ませ、わたしが寝ているベットに駆け寄り、わたしを抱きしめる

 豊かに実ったその弾力に押しつぶされ、息が出来なくなる


「………みっちゃん、くるゅしい」

「ご、ごめん!」


 その胸はなんだ。けしからん。

 ばっと慌ててわたしから距離を取るこの美少女は、菅原美羽。17歳だ

 No.001と呼ばれた、超能力の研究所の中で最も良い成績を残した成功サンプルだ。


「………みっちゃん、実験は」

「安心して、チーちゃん。ここにはもう私達にいろんなことを強要する人はいないよ」


 わたしが問うと、みっちゃんは眼に涙を溜めて首を振った。


「………うそ」

「本当よ、もう痛い思いもつらい実験もしなくていいの」



 みっちゃんに頬を撫でられ、ようやく実感が湧く。

 今まではどこか夢見心地だったものが、色づき始めた


 頬に添えられたみっちゃんの手にわたしの手を当てる。

 ジンと目頭が熱くなった


「ここはね、日本じゃないし地球でもない、そんな世界。私達はあの風間一番研究員に殺されたあと、気が付いたらこの世界に居たの。殺された記憶があるから、もうあんなことにはならないと思うわ」



 やっぱり、地球ですらなかったんだ。

 無意識に左腕に嵌められた能力制限の腕輪を撫でる。


「………そうだ、みっちゃん、腕輪は?」

「私もついてるよ。たぶん、死んだ時に最後に身に着けていたものをそのままこの世界に持ち込んだみたいなの。だから私も敦史も森で倒れていたときは裸だったわ。」


 そういってみっちゃんは左腕を見せる。

 腕輪は特殊な合金でできていて、黒いフォルムの中に黒い水晶のようなものが入っている。

 腕輪も水晶も外すことが出来ないし壊すこともできない特殊な素材で作られているの。

 わたしが全力を出しても壊れない。そんな素材よ。


 水晶の色は元々は透明なのだけど、それが黒く染まってくると付け替え時で、施設の人が腕輪をいじって水晶を取り外して新しい水晶を付け直すの。

 それがどういった意味なのかはよくわからないけれど、施設に居るころはわたしたちはこの腕輪があるから生きている、という説明もされた。


 今もみっちゃんの腕にその腕輪が付いていた。

 しかし、その腕輪にはくぼみが付いていて水晶のところが空洞になっていた


「………水晶は外したの?」

「うん。この話はもう少し後にするね。チーちゃんの水晶もすぐに外せるようになるんだけど………チィちゃんの場合は改良した方がよさそうね。今はそれよりもチーちゃんの回復を喜びましょう」


 ぽんと両手を合わせて微笑む眩しい天使の姿に、思わず眼がくらみそうになる。

 話を区切ったところで、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた


 フリームが「今開けますー!」とフリームがドアを開けると、お盆の上に水とどんぶりを持ったあつしくんが姿を現した。


「よお、目が覚めたんなら食えるだろ。チィの場合は食わねえと能力チカラを発揮できねえんだから、しっかりと食べて体力を付けてくれ」


 お盆をわたしの目の前に差し出すあつしくん。

 白飯の上に自信満々に乗っているお肉の香りが食欲をそそる。


 わたしのお腹の虫がその香ばしいにおいに釣られてクルルとかわいらしい音を出した



「………いただきます」


 手を合わせて箸を受け取り、かっ込む。


「………おかわり」


 ドンと器をお盆に乗せた。


「はやっ! 待ってろ、すぐに用意してやるから。一応腹も落ち着いただろ。俺らの身に起きたことを話すから、飯食いながらでいいから聞いてくれ。フリームちゃんは悪いけど一度出てもらってもいいかな。身内だけの話がしたいんだ」

「わ、わかりました!」


 フリームが神妙な顔でうなずいて部屋から出る。

 あつしくんはすぐに二杯目のどんぶり(今度は親子丼)を渡しに手渡すと、みっちゃんの隣に腰掛けてわたしを見つめた。


「さて、チィ、なにか聞きたい事はあるか?」

「………醤油の熟成が甘い。あと2年は必要」

「いやそこじゃなくてな。自家製なんだから勘弁してくれ。っつかよくその一瞬で味までわかるな」


 味は大事よ。ちゃんと味わって食べたもの。若い醤油にしては上出来じゃないかしら。

 はむはむと親子丼をゆっくりと噛みしめながら質問を考える。

 そうだ。ごくりと親子丼を飲み干すと


「………ここはどこなの?」


 根本的な問題だ。ここがどこなのかわからない。日本でもないし地球でもない事はわかった。

 でも、今いるこの町は、わたしが眠っていたこの場所は何処なのか。何もかもがわからないのよ。


「ここは“アルデーン”。冒険者の集まる町よ。今いる場所は、フリームちゃんのお母さんが経営している“宥和ゆうわの宿”という宿屋さん。」


 わたしの疑問にみっちゃんが答えてくれたのだが、むしろ疑問が増えた。


「………冒険者、とは?」

「冒険者はね、魔物を狩ってその素材を売って生活費を稼ぐ人たちのことね」


 うぬぬ?


「………魔物とは?」

「チーちゃんが襲われていたああいう生き物のことよ。人間に危害を加えるから、定期的に狩らないといけないの」


 聞けば聞くほど疑問が増える。


「………えっと、わたしが襲われている時に、なんであつしくんが助けに来たの?」

「それについては、たまたまだ。」


 腕を組んであつしくんが答えた。

 そっか………。

 でも、あつしくんの場合はその偶然たまたまが馬鹿にならない超能力なのよね


「………詳しく」

「ああ。じゃあ最初からだな。少し長くなるが聞いてくれるか?」

「………(コクリ)」


 長くなることは想定内だ。判らないことの方が多いのだから、情報は集めるに越したことは無い。

 姿勢を正して、わたしはあつしくんの話を聞くことにした。



                ☆★☆



「俺と美羽姉は1週間前にこの世界に来たんだ。俺の方が先で、美羽姉が後からきた」



「………ふむ。」


 なるほど。わたしたちがここに来たのは少し時間差があるようね。


「初めは裸一貫、どうしようもない状態だったんだが、しばらく歩いていたら“偶然”俺と同じ体格の男が死んでいるのを見つけてな。謝りながらも非常事態だったからその男が着ていた服を引っぺがしてそれに着替えたんだ。」

「………(コクリ)」


 あつしくんは“運”がいい。


 近くに自分と同じ体格の男が倒れている。しかも息を引き取っている。

 となると、その身ぐるみを剥いで自分のものにするしかない。

 たぶん、わたしでもそうする。


「そのあと、川に沿って歩いていたら町を見つけて、“偶然”門番もいなかったこの町に入ったんだ。“偶然”聞こえてきた話では、この町では冒険者という魔物を狩る仕事あって、冒険者登録したら身分証が貰えるらしい。だから登録しようとしたんだが登録には銀貨50枚もかかるらしい。どうしようと悩んでいたところ、男の防具の中には“偶然”金貨が1枚入っていたんだ。男のへそくりだったんだろうな。これ幸いとその金貨で冒険者登録をすることができた。」

「………おかわり」

「あいよ」


 そう、あつしくんはものすごく“運”がいい。“豪運”と言ってもいいレベルだ。

 ご都合主義も真っ青なレベルで、豪運なのよ。


 どんぶり3杯目のすき焼き丼をもしゃもしゃとかっ込みながら続きを促す。


「森に出かけたところで迷子になっちまってな、“偶然”見つけた横穴に入ったら“偶然”死にかけのブラックドラゴンに出会ってな。“偶然”俺の眼の前で息を引き取ったんだ。横穴に“偶然”落ちていたアイテムボックスにブラックドラゴンを入れて持って帰ったらなんの勘違いか俺が倒したことになってしまってAランクまで冒険者のランクを上げちまった。」


 そんなことがあるだろうか。

 なぜ職員はもっと確認を取らなかったのだろうか。

 あとから聞けば、“偶然”ギルドマスターが不在だったらしい。

 そんな偶然があるかと言いたい。だが、起きてしまったことはすべて事実。


「午前中にがっぽりお金を稼いだところで飯を食ってから午後に再び森に出かけると、今度は“偶然”裸の美羽姉に出会ったんだ。裸じゃかわいそうだから、“偶然”風に飛んできた毛布で美羽姉の身体を包んでから町に戻ってきたんだ。」



 森の中に“偶然”毛布が飛んでくるなんて普通はありえない。

 だけど、あつしくんの豪運は不可能を可能にする。確率0%は、あつしくんにとって100%に等しい。


「………それが、初日の出来事?」


「ああ。その後は冒険者をしながらこの宿屋に世話になっているんだが、この宿の女将さんがちょっと寝込んでいて宿屋をできる状況じゃなくてな。宿屋を切り盛りする代わりにタダで泊めさせてもらっているんだ。」


 ふむ。ようやく普通の話に戻ったよ。

 というか、初日だけでそれだけ波乱万丈な生活を送るなんて………侮れない超能力ね。


「………それで、なんであつしくんはわたしが襲われているところに助けに来れたの」


 お腹が六分ほどに落ち着いたところで、どんぶりをお盆の上に4杯重ねてみっちゃんに手渡した。

 わたしが一番聞きたいのはそこだ。なぜ、わたしが襲われているところに助けに来れたのか。

 二回目の質問だが、その話がわたしの救出にどうつながるのかが不明。

 いや、今までのことが理解不能の偶然だから、似たような結果になるのは目に見えているのだけど


「それはな。フリームちゃんが女将さんの体調を治すために薬草を取りに1人で森に出かけちまったんだ。森は迷子になりやすいし危ないから行っちゃダメだって言ってあるんだが………それだけお母さんが大事なんだろうな。後でそれに気付いて俺達は慌ててフリームちゃんを探しに行ったんだ。そしたら、棍棒が上空に飛んでいくのを見かけてな。何事かと思ったら“偶然”ワイバーンに襲われているチィを見つけたってわけだ。いやあ、偶然って怖いよな」


 そんなわけない。

 あつしくんの超能力は常時発動タイプ。名前は『玄人の憂鬱ラッキープール


 あつしくんの運と集中力は反比例している。


 銃や弓を持てば、狙った場所に百発百中。

 深く集中すれば、あつしくんは走馬灯のように体感時間を変えることすら出来る。

 見たものを一瞬で記憶できるし、かすかな記憶の欠片も情報を集中することで取り出すことが出来る。


 集中をしていなければ、あつしくんの“運”は強くなる。

 自分自身があっと驚くような事態が好転する出来事が起こる。


 実験室に居る時は、実験という名の拷問中に施設に雷が落ちてすべての実験が中断されたこともあったほどだ。それがあつしくんの豪運のおかげか、それともただの偶然かはわからないけれど、あつしくんの超能力は何が起こるのかわからない特異性から、厳重に管理されていた。


 ただし、集中をし過ぎると、今度は“運”がものすごく悪くなる。


 実験の投薬を間違えられて死にかけるし、研究員の憂さ晴らしのためだけに拷問を受けたこともあった。


 ブレ幅の大きい超能力なのだ。故に、No.003

 わたしと同じく、能力に欠陥を抱えた超能力者。


 わたしが弾き飛ばした武器から場所を推測して、駆けつけてくれたのね。


「まぁ、俺と美羽姉がこの世界に居るんだ。必ずチィに会えるって俺は確信していたぜ」


 あつしくんの豪運に、わたしたちが引き寄せられてきてしまったのかしら。


 死んだはずなのに、生きて別の世界に実験もない世界に生きるなんて、奇跡としか言いようのない。

 そんな奇跡のような確率を実現させてしまう能力こそ、あつしくんの超能力。


 ニッと微笑むその笑顔に、心が救われた気がした。


「金ならいっぱいあるし、チィも俺達と一緒に、この世界で一緒に暮らそう!」

「………うん!」


 あつしくんの突きだす拳に、わたしの小さな拳をこつんと当てる。

 夢にまで見た自由で、好きなことをして生きるんだ!



                ☆



「………そうだ。あのワイバーンはどうなったの」


 わたしは、あのワイバーンの頭蓋を吹っ飛ばした後のことを覚えていない。

 能力の反動でエネルギー切れを起こして気を失ってしまっていたから。


「ああ。あいつは流石にチィが倒したって言っても信用がないと思って、俺が倒した事になってる」


「………そう」


 あんな化け物が出てくるような世界だ。

 ああいうのを倒すための自衛隊とかウルトラマンとか秘密組織とかが居るはずだ。

 わたしみたいな小娘が倒したといっても信憑性は無いだろう。

 それよりも、Aランク冒険者とかいう肩書を持ち、ガタイのいい身体、常人よりはるかに強い筋力。そして超能力を兼ね備えたあつしくんが倒したと言った方が信じられる。


「町でも『また竜殺しが竜を倒してきたぞー』って大騒ぎになっちまった。」

「………でしょうね」


 たははと笑いながら語るあつしくん。笑い事なのかしら

 そんなあつしくんに苦笑いを浮かべてから、みっちゃんの方に話を振ることにした。


「………みっちゃんはこの世界に来てからは何していたの」


 身体の向きを変えて、灰色の少女を見つめる


「私も敦史と一緒に冒険者してるよ」

「………ふむ」


 そうだろうと思ったので、頷いてみせる


「私はCランク。いつもなんか敦史とタッグを組んでるから、お似合いカップルだなんて言われてるよ。研究所育ちの私達に恋愛感情は無いのにね」


 ふにゃっと表情を緩ませるみっちゃん。その笑顔は誰をも虜にしてしまう魅惑の微笑みだ。

 美形のあつしくんに、美少女のみっちゃん。並んで歩けばお似合いだ。

 だが、この二人が互いに好きだということは無い。


 ただ、同じ傷を持ち、傷をなめ合う仲間だというだけなのだ。


「私達は二人ともまだ若いからやっかみも多いけど、実際に実力はあるから表立って私達に何かをしてくる人は居ないよ。居たとしても“押しつぶせる”しね」

「………そっか」


 実験の成功サンプルであるみっちゃん。超能力発現の影響で、各種耐久力は高く、体力持久力共にオリンピックの選手並み。

 筋力だって、あつしくんには劣るものの常人を超えた力を持っている。


 なにより、みっちゃんの超能力、“重力法則無視アンチグラビティ”は人類最強と言える能力だろう。

 自分自身と触れたものにしか効果は無いとはいえ、みっちゃんは重力を自在に操ることが出来る。


 みっちゃんは垂直な壁を歩くこともできれば天井を走ることもできる。むしろ浮遊することすら可能だ。

 さらに、触れた相手に倍以上の重力を掛けて文字通り押しつぶすことだってできるし、能力の応用の幅が広い。


 ゆえに、No.001

 他の追随を許さない、圧倒的トップの能力値。


 みっちゃんがあつしくんに並んで目立っている様子がありありとまぶたの裏に見えるよ。


 それにしても………。うーん。でも二人とも冒険者をしているのか。わたしだけ仲間はずれっていうのもいやだな


「………みっちゃん、あつしくん。わたしも冒険者になる」


 そうすれば、みっちゃんやあつしくんとずっと一緒に居られる。そう思って提案したんだけど………


「あー………」

「うーん………」


 二人とも、いい顔はしなかった。


「………どうしたの」


 たしかにわたしは能力の欠陥のせいで痛覚が10倍、瞬発力だけで持久力の無い怪力の超能力者で、本気の一撃放てば使い物にならなくなるほどの足手まといかもしれないが、みっちゃんとあつしくんなら引き受けてくれると思っていた。


 でも、その顔はあまりいい返事は期待できそうにない


「チィがそう言ってくれるのはうれしいんだけど、冒険者になるのは年齢制限があるんだよ。15歳以上じゃないと、魔物を狩るのも危なっかしくて出来ないだろう?」


 確かに。子供が緑色の化け物や豚を狩れるとは思えない。

 車を運転する免許だって18歳以上でなければならないのだ。危ないことをするための免許は、お金だけで解決する問題ではなかった


「………じゃあ、わたしは身分証もなしにここでコソコソと隠れていないといけないの」


 そんな生活は嫌だ。

 二人と一緒に居たい。

 せっかくまた会えたのに、せっかく自由になれたのに。

 わたしだけお留守番だなんて、そんなのは嫌だ


「ううん、わたしはチーちゃんとも一緒に冒険したいから、一緒に外へ連れてってあげるくらいならできる。でも、チーちゃんは耐久力が一番高くて前衛を任せられる能力を持っているけど痛覚が10倍っていうハンデも持っているし、危険だから戦闘には参加させない。」


 どうやら一緒に出ていくことはできるらしい。

 ホッとしたのと同時に、足手まといであるという事実が突きつけられる。


「チーちゃんも経験したから知っているだろうけど、魔物と戦うっていうのは本当に危険なことなの。私だって本当はこんなことはしたくないもん。だからさ、お金を溜めて旅をして、いろんな世界を見て、みんなで住める家を買おうよ。時々旅とかしながら、そこでのんびり暮らそう。」


 それは、実験施設に居た頃からのみっちゃんの夢。

 “施設を出られたら、3人で暮らそうよ”


 ほんの些細な夢。叶うことのなかった、希望の話。

 自由を手に入れて再会を果たした今だからこそ、実現できるその夢の為に。

 あつしくんとみっちゃんは身を削って化け物と戦ってお金を得て、家を買うための資金にしているんだ。


「危ない事にチーちゃんを巻き込みたく無いから、チーちゃんの市民権をこの街で買って、今はおとなしくしてて。チーちゃんは私達が町の外に出ている間はこの宿屋を盛り上げて欲しいの。フリームちゃんと一緒にね」


「………フリームと」


 空色の髪の少女のことを思い出す。

 この世界で初めて会った少女だ。


 わたしの、友達だ。

 食べられる木の実や野草を教えてくれた恩人だ。

 ベニテングダケも食べたけど、たしかに恩人なのだ。


「………わたしは、フリームに怖がられてない?」

「え、どうして?」

「………フリームに、豚が振り下ろした棍棒を素手で受け止めるところを見られた」


 怪力乱神を使用している間は刃も通さない肉体となる。

 そんな異常な身体を見られてしまえばフリームはどう思うだろう。


「くすっ」

「………?」



 わたしがフリームに嫌われてしまうことを怯えていると、みっちゃんはクスリと笑った。


「大丈夫だよ。チーちゃんが目を覚ますまで、フリームちゃんはずっとチーちゃんから離れないで看病をしていたんだよ? チーちゃんのことを嫌っていたら、そんなことはできないよ」


 たしかに、わたしが目を覚ました時に最初に目に飛び込んできたのは、鼻を押さえながらも心配そうにこちらを窺うフリームの姿だった。


 よいしょっとみっちゃんがお盆とどんぶりを持って立ち上がる。

 それに合わせてあつしくんも立ち上がった。


 身内の話は終わったってことだろう



「下に行こう? フリームちゃんがずっと心配していたから」


 微笑みながらみっちゃんが開いてくれたドアを通って、石造りの宿屋の床をペタペタと歩く。


「チカちゃん!」


 ほどなくして、受付のカウンターで暇そうに頬杖をついていたフリームちゃんがわたしの姿を見て、笑顔で駆け寄ってきた


「………フリーム」

「目が覚めてよかったよぉ………。私、ずっとね、お礼を言いたかったの」

「………お礼?」

「うん。ワイバーンから守ってくれてありがとう、すごくかっこよかったよ!」

「………そう」


 照れ臭くなって俯いてしまう。

 よかった、嫌われているわけじゃなくて。

 そんなわたしの手を取って、フリームは続ける


「あの後、チカちゃんが目を覚まさないから、本当に心配したんだよ?」

「………ごめん」

「ううん。チカちゃんが謝ることじゃないよ。腕、大丈夫? すぐに新しい包帯ときずぐすりを持ってくるから! わたしの持っている服で悪いけど、着替えもよういしておくね!」



 そういや、気にしていなかったけれど、パンツと肌着だけの簡素な格好だったわね。

 裸に慣れていたから、むしろ布を纏っているだけ安心しているくらいよ。

 パタパタと宿の奥へと走って行くフリームの背中を、わたしは見送った



「ほら、大丈夫でしょ」

「………そうみたい」


 微笑みながら片目を瞑って親指でフリームを指すみっちゃん。

 心配事が杞憂に終わった。

 フリームは本当にいい子だ。


 わたしたちをめぐり合わせてくれたフリームという繋がり。

 恩返しをしよう。この宿屋で、フリームの為に。




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