150話 思春期をとりまく
十二歳になった孫のエマはどうにも自宅の居心地が悪いようで、しばしば俺の住まう家に来ることがある。
もちろんスライム的には高齢となったブッチャーも連れて来るのだけれど、『子供』と『動物』という組み合わせが家に来ることに我ら老人勢は大喜びで、ついつい二人を甘やかしてしまう。
それがまたこちらの居心地をよくし、エマの中での実家の居心地を相対的に悪くし、結果としてこちらに入り浸る時間を増やすという悪循環を生んでいた。
さすがに現状のままではいけないような気がするので、エマに内緒でサラと直接会って現状について話すことになった。
「父さんは子供に甘いところがあるから……」
行きつけの喫茶店はなくなってしまったので、新たにこういった交渉の場に使うようになったのは、俺の自宅よりもブラッドの家のほうに近い喫茶店だった。
以前愛用していた店はコーヒーとケーキに注力していたようなのだが、こちらのお店はどちらかと言えばお茶系が強い。お茶の炭酸割りという、俺の世代からすればびっくりするようなメニューがあったりもする。
客層はまだ若いマダムたちが多く、この中に一人白髪のおじいさんである俺がいるというのは、どうにも居心地が悪い感じを否めない。
もしくは俺がハイハイとサラの話に余計な口を挟まないよう、サラはこの店を選んだのかもしれない。
計算だとしたら見事なものだ。客層と店の雰囲気の効果で俺はさっきから萎縮してしまっていて、内心のビクビクを表に出さないように、奥歯に力を入れていかめしい顔を作るので精一杯である。
「とりあえず、問題の整理をしよう」
サラがそう言いながらタブレットを取り出したので、俺も同じように取り出す。
ほどなく『エマが俺の家に入り浸ること』の問題と原因予測をまとめた資料が共有されて、俺はとりあえずざっと目を通した。
まず問題なのは、『一人(ペット同伴)での行き来が単純に危ない』ということだ。
どうにもエマは俺の家に来る時、両親には事後承諾をとっているようなのだった。つまり、『ふらりといなくなる』。
この『ふらり』が習慣化するのは見過ごせない。
今はまだ十二歳の子供で、来る場所が俺の家だからいいようなものの、この『ふらり』スキルで友達の家などに遊びに行かれると場所の捕捉ができないのだ。
また、『ふらり』と家人のスキを突いていなくなる手腕のうまさも問題だ。
日中にいなくなる今はまだいいが、これが年齢を重ねて夜に出歩くと、とたんに危険度が増す。
夜の街はやはり危ないのだ。エマはかわいいし、誘拐でもされたら困る。『かわいさ』という指標に頼らず客観的なことだけ言っても、ブラッドの立場などを考えれば、エマには誘拐する価値があるだろう。
エマがいなくなることで発生する問題の項目には、そんなふうに、将来を見据えたことが多く書かれていた。
そして『なぜ、エマが実家の居心地を悪く思っているのか?』という項目だが……
「まったくの不明なんだよね……」
親の視点ではわからないらしかった。
実際、サラがわからないと言うのだから、そこには、わかりやすい理由などないのだろう。
俺に輪をかけて論理的な彼女は、因果のはっきりした問題ならばすぐに見抜く。『怒った』から『不満に思った』とか、『押しつけた』から『いやがった』とか、そういう入力に対し出力がある場合、サラは簡単に問題の原因を把握するだろう。
だからサラが把握できない時点でエマが自宅に不満を抱いている原因は二つのカテゴリに絞られる。
サラの知らない場所でなにかがあった。
あるいは、サラたちの入力したものが、エマの心の中で妙な変換(サラには理解しえない超理論による変換)をされて出力されてしまっている、ということだ。
知らない場所でなにかがあった場合はどうにもならない。
少なくとも、現在、机上でできることはなにもない。『知らない場所でなにがあったか?』の情報を集めるフェイズに移行するしかないだろう。
だが、エマの心の中の問題ならば、話し合いの時間をとる価値はある。
というかまあ、俺にはだいたい、エマが考えていることと、なぜそんなふうに考えてしまったかが、わかるのだった。
たぶんな、シーラのせいだわ。
「……シーラさんが? なんで?」
シーラというのはブラッドのおばさんで、俺の同級生で顧問弁護士(非公式)だ。
エマが生まれてからは『顔も口も出さないが金だけは出す』というスタンスを徹底しているようで、ブラッドの家でその姿を見ることはない。
シーラは一時期あの家に戻ったのだが、ブラッドにとっての祖父、すなわちシーラにとっての父が亡くなった直後あたりからまた一人暮らしに戻ったのだった。
うん、まあ、若い夫婦とその両親が暮らしている家に間借りするとか居心地悪いもんな。
そのシーラがなんの関係があるかというと、これがまったく関係がない。
「意味がわからない……」
シーラという存在が落とした影とでも言うのか、あの家にはシーラが家出同然に出て行ってからというもの、『なるべく子供を拘束せずに、自由にやらせよう』という気風が芽生えたように思える。
それはいいことだ。でも悪いことだ。
拘束されないことを喜ぶ子もいるが、喜ばない子もいる。
特に中等科に入るか入らないかぐらいの子供は世界のすべてが自分を中心にして動いていると思うフシがあって、すべての情報を『自分にまつわるもの』だと認識し取り込む傾向がある。
すなわち、シーラの家出騒動からできあがった『放任の気風』は、もちろんシーラという原因があって成り立っているものなのだけれど……
エマはたぶん、放任されている理由が自分の中にあると考えている。
「どうしてそうなるの?」
思春期の子供は、『自分と関係ないところでも世界は動いている』という認識ができない場合が多いから。
……まあこれは、中学校教師を長くやってきた俺の、感覚的な意見だ。けれど確信がある理論だ。
ようするにエマは、自分が期待されてないから、自分が放任されていると感じているんだと思うよ。
「……?」
サラは全然わからないという顔をしていた。
まあこいつはそうだろう。なんていうか、異世界転生者をうたがうレベルで『他と違う』子だった。
思春期はあっただろうし、反抗期らしきものもないでもなかったが、それらすべては彼女の中で言語化できる理由からのものだったし、言語化したものに耳をかたむければ『なるほど、そういう理屈でそういう態度だったんだな』とこちらが理解できるものだった。
けれど世の中理屈で分析できないことのほうが多い。
特に思春期を迎えた子供のかかえるモヤモヤなんていうのは、大人からすればわけのわからないものだ。
感情を言語化するのには特殊な訓練が必要で、多くの者はその訓練を積んでいないし、学習指導要領にも『国語』以上の『精神の言語化力を鍛えるプログラム』は存在しない。
大人に子供の気持ちはわからないが、子供も自分の気持ちを理屈にできない。
だからモヤモヤの結果、そのモヤモヤが晴れようもない的外れな発散方法を選んでしまったりして、時にそれが問題になったり、ならなかったりする。
『子供の気持ちはわからない』ということを、認識しておくのが大事っていうことかな。
無理に歩み寄ったり、『いいもの』を押しつけるんじゃなくって、時には『放置する』しかない問題もある。
もちろん大人側が必ず『子供の心にとって正しいアクション』を起こせるならいいんだけれど、人にはそんな真理を見抜くみたいな能力はないので、放置するしかない時期というのがある。
そのあたりをさっきから『意味がわからない』みたいな顔をしているサラにわかりやすくまとめると――
よく見ておこう。でも、過剰に触らないでおこう。
「父さんの話だと、『触らないこと』が問題なんじゃないの?」
うーん、『触らない』っていうのは、心に触らない、ってことなんだけどな……
放置を気にする子を放置するのは、『触る』ってことなんだ。
このあたりは本当に言語化が難しい。
現場の感覚というのか、俺はなんとなしにバランスがわかるんだけれど、これをマニュアル化することはついぞできなかった。
おそらく『俺はわかる』という自分の自信を疑うところまでが大事だからだろう。
集積した知識と経験があるから、なんとなくわかるんだけれど、『わかる』という状態にあぐらをかかないように常に気を払うべき、みたいな……
説明できないので切り上げた。
ようするに問題が解決すればいいのだ。
俺は現職中学校教師に渡しているマニュアルを一部抜粋してサラに渡した。
マニュアルとは言うが俺が勝手に作った俺の私物なので、私的流用は問題がない。問題があるとしたら、私的なマニュアルを教師たちに渡していることのほうかもしれない。
いやだって学校側が用意するやつって、大事なこと書いてないし、無駄に婉曲なんだもん。
校長とはいえ保育所から大学まである大型学園のいち施設長なので、色々大変なのだった。
なんらかの役に立つはずだ。
まあ一番大事なのは、『軸足を親や教師というところにおいた上で、子供の仲間を目指そう』というあたりなのだが、ここの表現が学校のマニュアルを悪く言えないぐらい比喩的でわかりにくいので、表現の修正がずっと課題だ。
「……思春期の子供を抱えるのって、大変だね」
サラがいくぶんか疲れたようにつぶやいた。
俺からすればサラがそんなことを言うのは意外だった。
だってあからさまに大変そうじゃないか。理知的なサラが今さら気づくというのに、少しの違和感がある。
が、思い至った。
サラは必要だと思うことについては綿密に調査をしたりスキルを身につけたりするのだが、必要性を感じられないことについてはけっこう甘い。
たぶん俺とミリムがサラの思春期に苦労していた姿を見せていないので、サラの中で『思春期の子供が難しい』という認識がなかったのだろう。
というか、サラが手かからなさすぎなんだよな……
俺も中学校教師をしていなかったら、『子供って意外と簡単じゃん』とかなめくさったことを思っていた気がするわ。
まあしかしこうして向かい合って座った娘はいろんな意味ですっかり大人で、子供のことで悩み疲れた様子を見せる顔などから、否応なく年齢を感じてしまう。
子供の年齢を通して見えるのはやっぱり自分の年齢なわけで、俺もじき六十半ば、教師人生もそろそろ終盤にさしかかっているのだった。
サラと話していて少し懐かしく思ったのは、やはり担当クラス持ちの教師としてやっていた若いころのことだった。
あの当時はクラスに三十個超の爆弾を抱えて、しかもその導火線がどこにあるのか、導火線に火がついているのかどうかさえわからない、みたいな感覚が毎日あった。
間違いなく神経を削るし体力を使うけれど、今、あの生活が妙に恋しい。
父は教師をやめて塾講師としてかなり長く現場で勉強を教え続けたが、実に今さらながら、俺にもそんな人生が合っていたのかなあ、とほんのちょっとだけ想像してみる。
まあそちらはそちらで今の俺とは別な苦労があったことが容易にわかるので、やっぱり今の人生でよかったな、という結論に落ち着くわけだが。
ぽつりとつぶやく。
老後はどこか小さな塾でも開いて、子供に勉強でも教えようかな。
「いいんじゃない?」
サラは言った。
まあ、でも、俺は知っている。
それはきっと実現しない未来図だ。
近頃は老後の夢みたいなものが日になん度もわいて、翌日にはもう、すっかり忘れているようなことばかりなのだから――
今語った夢もきっと、泡沫のごとく消えるのだろう。
その泡のはじける感じは、俺にとって好ましく、楽しいものだった。
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