148話 子世代

 アンナさんから演奏会のチケットがとどくのはもはや定例と化していたのだが、今回のチケットには二通の手紙が添えられていた。


 一通はもちろんアンナさんからで、それもまたチケットとともにとどく『いつもの』やつだ。

 しかしもう一通……誰だろう? 旦那さんだろうか? しかしアンナさんの手紙は毎回夫妻で連名となっているし、ぶっちゃけ旦那さんのほうとは付き合いが浅くてよくわからない。


 首をかしげながら差出人の名前を確認すればそこにあるのはアンナさんの息子であるルカくんからの手紙で、さらに招待状にはルカくんからという名目で、サラ一家へのものが追加されていた。


 そう、ルカくんである。

 かつてサラが養ってもらおうと色々画策していた子だ。

 それはサラが幼い……中等部ぐらいだったような気もするが……ころの話で、その後、養ってもらうどころか恋人関係にさえならなかった相手で、疎遠気味だったのもあり、『顔がいい』以上の情報が記憶できなかった子なのである。


 しかし彼ももう二十歳をとうに超えて、大学に進学していたとして、すでに卒業している年代であることに今さら気づいた。


 卒業しているどころか社会人二年生か三年生ぐらい? いやもっと?

 わからない。子育てを終えてサラが『大人』というざっくりしたカテゴリに入ったとたんに、サラより三つ下の彼が今どのへんの位置にいるのかがパッとわからなくなってしまっていた。


 サラへの手紙ということで読んでしまってもいいものか……そう悩みながら俺はルカくんからの手紙にすみずみまで目を通した。

 別口じゃなくてアンナさんからの手紙に同封してあったし、読んでまずそうだったら読んでない体裁をつくろってサラに流そうという寸法だ。


 手紙によれば、ルカくんもまたご両親と同じく音楽の道に進んだらしいことが書いてあった。

 そして若くしてけっこう大きな演奏会でオーケストラの末席をいただいたから、是非来てほしい、という内容だった。


 ちなみに俺かミリムが読むことを想定した手紙らしく、サラさんの住所がわからないのでこの手紙と同封したチケット三枚を渡してください、という端書きがあった。


 サラ……

 ルカくんに住所教えてないのか、お前……


 まあ幼いころからの付き合いではあったが、深い付き合いではなかったし、当たり前と言えば当たり前のような気はしないでもない。

 しかしデビューコンサートのチケットを送ってくるぐらいの間柄ではあるのだろう。サラ視点はともかく、少なくともルカくん視点では……それなのに住所を教えてない……

 サラの人の感情の機微に対する関心度合いは、俺と同じぐらいなのかもしれない。


 まあ必要な場だと思ったらデータを集めて対応を練りに練るだろう。

 そうして空回りすれば俺に似ていると断言できるのだが、サラはミリムゆずりの如才なさがあるので、より完成度の高い俺って感じの能力をしている。


 しかしサラ一家あて、ということでエマのぶんまでふくめたチケットを送りつけるのだから、子供が生まれたことぐらいは知っている……?

 いや、俺がアンナさんに言ったから、そこから知ったのか?


 サラとルカくんの関係がいまいちわからない。


 ともあれ俺はサラに連絡した。

 ルカくんがデビューするコンサートのチケットを送ってよこしたので取りに来るように――


 届けたり送ったりしないのは、孫を我が家に呼び寄せるためだった。


 最近めっきり外出の減った俺の両親を、ひ孫に会わせてやろうという配慮である。

 今の俺の持ち家はミリムの実家だが、ここと俺の実家は近い。エマらを俺の実家に泊まらせて俺たちがそちらに出向けば、お義父さんも軽い運動ができるし、ちょうどいいだろうと思ったのだ。


 ほどなくしてサラからメッセージがとどいた。


『ルカくんがなんで?』


 まったく心当たりがないって感じだ。


 なんかルカくんからサラへの一方通行な気持ちを感じる。

 あるいはアンナさんがルカくんに『送っておきなさい』と言ったから送った、という背景を感じる。


 もしも強制だとしたら、ルカくんには悪いことをしたと思うのと、紙にペンで手紙を書くことがほぼなくなった現代人なのに、不慣れなその形式でよくもまあここまで綺麗で如才ない手紙を書けたものだと感心した。


 サラ世代の如才なさは俺世代から見ると、ちょっと半端ないところがある。

 なんかすごく『文化人』って感じなんだよな、あの世代。脳の回路が俺らと違うっていうか……


 最近の中学生とかも俺らの時代とは全然違って、静かというか、おとなしいというか……

 俺たちの世代は『ノープランで騒ぐ! トラブルがあってもそれが青春!』って感じだったけど、今の中学生は『事前に計画を立てて無駄のない人生を。振り返る思い出には汚点がないほうが望ましい』って感じだ。


 そのへん俺の信条とはすごくマッチしているので、俺は生まれるのが四十五年ほど早かった感ある。

 今の中学生たちと一緒に中学生やってたら、『普通』として世間に溶け込むのも難しくなかったように思われてならない。


 まあとにかく、サラに俺は『ルカくんから招待状が来た背景』を語った。

 ルカくんからの一方的な気持ちか、あるいはアンナさんが裏で糸を引いているか。


『アンナおばさんの差し金だと思う』


 俺なんかは未だにアンナさんをお姉さんだと思っているので、『アンナおばさん』と言われると『えっ?』ってなる。


 しかし俺より二つ上のアンナさんはもう六十間近なのだった……ウッソだろ……俺の中のアンナさん、まだ二十代なんだけど……

 さすがに見た目はもう二十代とまではいかないのだが、六十間近にしては相当に若々しく美しい感がある。

 まあ、それでも現役の若者からすればおばさんであることに違いはない。

 違いはないんだが、なんていうか、この、アンナおばさんという響きには、心情的に納得できない感覚。


 ともあれともあれ、俺は社会通念を覚え始めた五十六歳だ。

 そう、覚え始めたばかりなのである。社会通念という巨大な山は、なん年経っても二合目ぐらいをうろうろしてる感じが抜けない。

 ルカくんから招待状が送られてくるというルカくんの、あるいはアンナさんの配慮があった以上、それに応じないのは社会通念的にだめだろう。


『しかしうちの家族は、音楽に行く時間でプロレスに行きたい家族……』


 政治家ってクラシックコンサートとか超行くイメージなんだけど、あいつらはプロレスなんだよな。

 まあサラもわかっているので、今の食い下がる感じのコメントはあくまで冗談だったらしい。日取りはすでに決まっているものの、時間を空けられるかブラッドにおうかがいをたてて、アンナさんとルカくんに直接お礼の手紙をしたためるそうだった。そう、紙で手紙。


 手紙をしたためる、というひと手間にもコミュ力が現れている。


 五十代の俺が『メッセージ送ればいいや』と思っていたのが恥ずかしい。

 俺だってアンナさんじゃない人にこんなに丁寧な招待状とお手紙をいただいたら手紙で返すぐらいの社会性はあるのだが、どうにも相手がアンナさんだと気を抜いてしまう。

 だが今回はルカくんからの招待という体裁もとられているので、えーと……めんどうくせーなあ社会人。


 サラももう三十歳だし、そのへん、俺よりしっかりしてる。

 えっ、マジで?

 俺の娘、三十?


 やはり周囲の人の加齢を意識するほうが、自分自身が歳を食っている事実を認識するのの百倍つらい。

 孫もアホみたいな速度で成長するしな……


『一年』という時間が、年々短く感じられるようになっていっている。


 幼いころ、『一年』はあまりにも長い時間だった。

 一日一日が無限にも等しく感じられて、それが『たくさん』積み重なった一年は、永遠に過ぎ去ることがないかのような時間に思われたものだ。


 ところが時間の流れは年々早くなった。

 最初はやることが増えたからだと思っていた。一日一日、目的があって、やりたいこととやるべきことであふれていて、時間が足りないといらだつことも多かった。


 けれど歳を重ねてからの時間は、あのころよりも全然密度が薄いにもかかわらず、どれほど汲み取ろうとしても、砂のようにサラサラと手の中から抜け落ちていくかのようだった。


 小さな手では、あんなにたくさん、保持できたのに。

 手が大きくなったのに、時間はどんどん、こぼれ落ちていく。


 それは九十歳まで生きて死ぬという目的がある俺としては、嬉しいことだった。

 でも、なぜか――寂しいことでもあるなと、思った。

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