141話 赤ん坊をめぐる陰謀
「政治家というか、まともな職業全般と相性が悪いんだ」
そう言うカリナはずいぶんとまともな服装になっていて、具体的にはフリルが減っていた。
フリルの化身なんじゃないか、年齢を一つ重ねるごとにフリルを一段増やすルールでもあるんじゃないか――そんな疑いを抱いていた時期もあったし、たぶんそれは事実だったのだけれど、今のカリナにはフリルがなかった。
さすがにハンカチまでは見ていないが、あっさりした無地のシャツにどこにでも売っていそうなくるぶし丈パンツという姿は、あんまりにもまともな社会人みたいに見えて、なにごとかと思ったほどだった。
喫茶店での待ち合わせで先にたどり着いていた彼女を探すのに、俺は少なくない時間をようして、最終的には通話までしてしまったぐらいだ。
そのフリルをなくした姿について、彼女はこう解説した。
「いや、打ち合わせの帰りなんだよね」
詳しく聞いてみると、カリナは滅多に外に出ないし、一度外に出るなら、その一回で『表で済ますべき用件』をすべて済ませたいタイプらしかった。
なので今日は買い物をして打ち合わせをして、それから俺と喫茶店で合流したのだという。
「すごく疲れててもう帰りたい」
俺は言う――じゃあ、解散かな。
「待ってってば! 冗談だよ!」
カリナにすがりつかれたので浮かせかけた腰を下ろす。
というか今日、俺を呼び出したのがカリナなのだった。
しかも例によって呼び出しの理由がどうしようもない。
もしもカリナに俺の著作内漫画を担当してもらっていなければ無視したレベルだ。
「まず――『目的』は、常に護衛とお手伝いさんのいる大物政治家の家にいるわけじゃん」
目的とはなにか?
カリナはおそろしいことを考えているのだった。
すなわち――赤ちゃん。
カリナは俺に孫が生まれた情報を俺の孫自慢メッセージにより知って、生まれたばかりの赤ちゃんを映像に残したりあわよくば実際に触ったりしたいらしい。
こいつサラが生まれた時も似たようなことしたからな。
カリナのそんな目的に対して、俺はまったく協力的ではない。
中等科の校長先生と化した俺が、昼時の人の多い喫茶店でほおづえをつくぐらいに非協力的な様子を見せつけている。
今時『教師』という肩書きがある人が外でこんなぐんにゃりしたポーズとってたら学校にクレーム入るぞ。
どうしてくれるんだ? ええ、おい?
「そんなのは知らないよ……とにかくね、私は言いたい。赤ちゃんに、触れるものなら、触りたいってね」
最近は専門学校の漫画コースで講師(不定期)とかもしているようなので、だいぶ世間に触れることが多くなり、『女子中学生と触れあいたい』とかは言わなくなってきた。
そのぶん、専門学校にいない年齢層への興味が増しに増しているようで、なんていうか、よりまずい方向へ進化している。
そのうち未成年者略取とかでつかまれ。
「だいたいさー。本のページの端っこに四コマ漫画描いてるじゃん? 必要だよね、取材。赤ちゃんとその両親と、両親の両親を取り扱った内容なんだからさ。真横に赤ちゃんおいて観察しながら描くべきだよね」
いやもう、お前、原稿は上がってるじゃん……
カリナには目的を前にすると時系列とか理論とかがどうでもよくなる傾向があって、こいつが強い原動力を発揮すると、なにを言っているのかわからなくなってくる。
俺は中学のころからカリナを知ってるので『こういうヤツだよお前は』とわかるのだが、古い付き合いのない相手の前でこんな発言したら更年期障害を疑われる年齢にさしかかってるぞ。
いや、五十歳で更年期障害は早いと思うだろうけれどさ、若者にとっては『五十歳』も『七十歳』も『おじいさん、おばあさん』なんだから。
「とにかく赤ちゃんがほしいんだよ、私は」
妙齢の男性と二人きりで向かい合ってる時にその発言はやめてほしい。
俺の教師生命が終わりかねない。
うちの父も塾の経営から退いて今は違う人が継いでるんだ。
俺の第二の就職先はもうねーんだぞ。
「レックスんとこのパパの塾もかなり老舗だよね……」
うん、もう、外壁とかボロボロさ。
うちの父は自分に経営者の才能があんまりないのを察していたようで、チェーン展開などはしなかったが、地元ではそれなりの人気がある、質の高い塾という評判を維持し続けていたのだった。
俺の中等科にも結構通ってるやつはいる。
まあ、俺がそこの塾創始者の息子であることは知られていないようだけれど。
近いうちに大手の塾チェーンに吸収されるとかなんとかいう話も出てて、『ああ、うちの父は引き際を間違わなかったな』と安堵したものだ。
俺はそんな話をしつつ伝票を持って立ち上がろうとした。
伝票を持った手をおさえられた。
「赤ちゃんの話に戻ろう」
五十の男女が喫茶店の奥の席で赤ちゃんの話とかするのやめようぜ。
俺の浮気を疑われそう。
「じゃあ孫の話をしよう。孫だよおじいちゃん」
うるせーおばあちゃん。
俺の孫より先に俺をおじいちゃんと呼ぶんじゃねー。お前の勤め先の出版社に圧力かけるぞ(そんな権力はない)。
「いやでもほら、娘さんの嫁いだ家がアレじゃん。その発言冗談にならない気配あるよ」
そうだった。
俺の娘は今、けっこうな権力なのだった。
出版社に圧力をかけるぐらいできそう……ううむ、困る。歳を経て人間関係が増えるほど、自分の発言に意図せぬ力が宿ってしまう。
コネクション先の持っている力を俺が十全にふるえる理由はないのだが、よそから見れば俺もまた政治家とコネがあるおじさんなのだ。発言にはいっそう気をつけねばならないだろう。面倒くせーなあ。
お互い大人になると苦労が増えるよな。
俺はそう言って伝票を持ち立ち上がろうとしたが伝票を持った手を押さえられた。
「赤ちゃんを触りたいんだよ」
不可能だよ。
カリナの言おうとすることはわかる。赤ちゃん触りたいから、警備の厳しい政治家の家からどうにか連れだしてほしいとか、そういう話だろう。
しかし赤ん坊の保護者は娘とその婿であって、俺ではない。
俺の勝手でできることなど限られているし、孫を自分の子のように扱うことは、俺の倫理観的に『なし』だ。
なので俺に許可を求めたり協力を求めたりするのはまったくのお門違いで、協力を求めるべき相手は俺の孫の親であるサラであり、その夫のブラッドだ。
「サラちゃんとは連絡が途絶えてひさしいんだ」
あいつが料理人を目指し始めたあたりから、いそがしいのか、連絡の頻度は減った。
まあ子供ってそんなもんだろうと思う。
そして親にさえ連絡の頻度が減ったのに、『親の友人』への連絡頻度が維持されるわけもなく、カリナとサラは軽く音信不通状態だ。
まあ別にブロックしてるとかはないので、連絡すればできるとは思うが……
「いや、わからないんだよ。まともな人生を送って、一児の親になった二十代女性に、どう声をかけていいのかわからないんだ」
しかも内容が『赤ちゃんに、触れたい』だもんな。
迷惑メールか都市伝説だよな。
まあしかし、それはもはや俺が介入する問題ではない。
カリナとサラの問題だ。
サラはたしかに俺の娘だけれど、もう一個の独立した人格なのだ。
保護者が必要な年齢でもないし、たとえ隕石とか降ってきて俺たちがいきなり死んでも、一人でやっていける技能もバイタリティもある。
つまり俺越しの会話をして解決する問題なら、それはサラと向き合って話したほうが早く解決するだろうし、俺が挟まらなきゃ解決しない問題なら、俺は解決に協力する気がない。
だから俺には無関係さ。俺は伝票を持ったがその手をおさえられた。
いや、さすがにもう、話ないでしょ。
「サラちゃんにメッセージ送るから校正して」
ええええ……
なにが悲しくて五十代になった先輩と二十代になった娘のやりとりを校正しなきゃならないんだ……
そうだよ、お前先輩じゃん……
俺より一個上じゃん……
大人になれよ……
「漫画家は大人になっちゃいけないんだよ」
そんなこと言うならフリル姿で編集さんと打ち合わせしろよ……
服装が社会人になってるじゃん、お前。
「心の話! 心の話だから!」
いや、心って服装に出るって。
見ろよ俺の服装。オフだっていうのにスーツなんだぞ。
俺は常に心に社会性という鎧をまとっているんだ。
「あのさあレックス……なぜ、私と話す時に正論を言うの? そういうのいらないって学んでほしいんだけど……」
俺がどうしようもないヤツみたいな口ぶりをやめてほしい。
しかしこうなったカリナにもはや理屈が通じないのは学習しているので、けっきょく俺は、カリナからサラへのメッセージを添削する羽目になった。
サラからは『今ちょっと連れ出せない』という連絡が来たが、代わりに画像が添付されて送られてきた。
撮りたてとおぼしき孫の画像を俺に自慢げに見せたあと、カリナはそれを待ち受けに設定して『かわいくない?』と聞いてきた。
俺の孫がかわいくないわけないだろ。
こうしてカリナはひとまず満足し、孫奪還作戦をあきらめて解散となった。
その後俺は、サラに連絡して――
カリナに送ったのと同じ画像を送ってもらった。
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