125話 いそがしくも退屈な人生
まばたきのあいだに日々が過ぎていく。
かつて、夏は長い季節だった。
山のように出た宿題をこなし、積み上げていった日々。
プールで遊んだ。田舎にも行った。アウトドアな遊びはあまりやらなかったけれど、ふと勉強疲れを感じて背もたれにぐっと背中をあずけ天井を見上げながら、その時間の進みの遅さに軽くおどろかされた記憶がある。
昔は『秋』があった。
その季節は今も名前は残っているけれど、存在感はずいぶん希薄になったように思われる。たしかにあるし、秋の行楽を謳う宣伝は耳にする。
猛烈な暑さのあとは一週間も経たず気温が急速に冷え込んでいき、草木は色づききる前に落ちていくようになった気がする。
冬はとにかくいそがしい。
新年休みの前にこなさねばならない業務はあまりにも多かった。今年は特に多いように思われる。
聖女聖誕祭と新年が近いのもいただけない。
かつてサラへのプレゼントを求めておもちゃ屋をかけずり回った日も今は遠く、あのころはどうして『おもちゃ屋をかけずり回る』なんていう時間をとれたのか、もはや俺にはわからなくなっていた。
そうして春が来て、サラは寮のある高等学校へと進学する。
彼女一人いなくなった我が家はとても寂しくなったように思えた。
距離的にはそう離れてもいないので互いに望めば会えるのだが、『同じ屋根の下にいない』というのはことのほか距離を感じるものだった。
俺たち夫婦はもう四十代で、互いの両親は七十歳にさしかかろうとしていた。
サラのいなくなった家で、俺はなんとなくミリムのほおに触れた。
それは二人でソファに並び、なにかの番組を見ていた時のことだ。俺たちはどこかぼんやりしていた。互いにやるべきことはあるはずなのだが、なんとなく手につかないような、そんな気持ちだったのだ。
ミリムの肌はひんやりしていて、どこかペタリとしたさわり心地だった。
かつてのような若さはない。
俺は彼女を通して自分の加齢を思った。俺たちはほとんど産まれた時から一緒で、そうして、ここまでずっと一緒に来たのだ。
歳をとったな、と言った。
そうだね、と帰ってきた。
言葉から互いの感情はうかがい知れなかった。
俺たちはぼんやりと頭の表層に浮かんだ言葉を吐き出しているだけで、そこに感情やら意味やらはこもっていなかったのだろう。
だから俺はもう一度、今度はしっかりと嬉しさをこめて、歳をとったな、と言った。
彼女は言葉を発さず、獣人種特有のしっぽで俺のほおをなでた。
あと五十年、俺は生きられるだろうか。
この世界は俺に平和な顔をさらしたまま、五十年待ってくれるのだろうか。
八十九歳と十一ヶ月ぐらいで、世界が俺を殺しにかかってきたりはしないだろうか……
かつて、俺はミリムと二人、静かに過ごす時間に安らぎを感じていた。
けれど四十代となった肉体で『九十まで生きる』という目標を意識すると、言いしれぬ不安が頭の奥からまろび出てきて、見るともなしに見ているだけの番組の音声だけでは、どうしたってこの不安は消えてくれそうもなかった。
そこで俺は提案する――しりとりしようぜ。
しりとりというのはこの世界にもある遊びだった。
ただしいくらか特殊なルールがあって、『リズムに乗っておこなわなければいけない』『末尾二文字を拾わなければいけない』という感じだ。
さらに無限に細分化されたローカルルールがいくらでも存在する。
転生直後、言語を学習する際に重要なのは『語彙に興味を持つこと』だと思っていた俺は自分を『語彙収集大好き人間』に調教し、その結果、幼稚舎では一番のしりとり使いとしてあがめられ、またおそれられた。
しかし家で幼児時代のアンナさんやミリムとしりとりをする時はそう圧倒的に勝利もできず、『こいつらはマーティンのようなクソ雑魚ではない』と緊張感で己を奮い立たせたものだった。
俺たちはしりとりをしなくなってだいぶ経ったが……
俺は教師として、ミリムは編集者として、語彙力はいささかも減じていないだろうと予想ができた。
もしくは、教師や編集者というのは、園児よりも語彙力があるのかもしれない……
俺は思いつきでもちかけた勝負で緊張した。ひょっとしたらこのしりとりは、ルール無用の殺し合いじみたものになるかもしれないと感じたのだ。
「……いいよ」
無表情なミリムがちょっとだけ笑った気がした。
そうして俺たちはしりとりを始めた。
最初はスローに相手を思いやる気持ちをもって単語を選択していたのだが、中盤ぐらいにさしかかるといよいよ勝負感が出てきて、『相手に「わ」から始まる言葉ばっかり振る』みたいな『勝利するための戦術』を駆使するようになった。
するとどうだろう、それまでの陰鬱な気持ちがどこかに吹き飛び、俺たちは意地でも互いの顔を見ないように興味もない番組に視線を釘づけたまま、ペースを早めて言い合いを続けた。
四十代の男女が、ここ数年なかったぐらいに頭を働かせながらしりとりをしている。
俺たちは互いに互いを見ることを絶対にしなかった。
それはきっと暗黙のルール、あるいは誇りのようなものだっただろう。『しりとり』という他愛ない子供の遊びを、番組を見たままダラダラ続けているというポーズをとり続けた。
態度に必死さをあらわにし、相手をにらみつけてしりとりを続けない矜持をなぜか守り続けた。
俺たちはしりとりをしていた。
けれど俺たちは社会で生きていた。
社会にはいくらでも明文化されないルールがあるのだ。謎のこだわりがあるのだ。よくわからないことで守られる矜持があって、『なんとなく周囲から感じる空気』によって求められた年齢・立場相応の態度がある。
俺たちは家の中にいたけれど、俺たちの魂は社会の中にあった。
子供の遊びで真剣になることをとがめる社会が、家という隔絶された空間内にいる俺たちには見えていたのだ。
俺たちは言葉を発するペースだけはヒートアップさせながら、一方でどこか冷静にしりとりをしている自分たちを見ていた。
この馬鹿らしい子供の遊びに必死で興じているのだというのを、家の中にはないはずの『外の社会』にバレるのがこわかった。
だから必死でないかのようなポーズをとり続けていたのだ。
俺たちはもう、子供のように純真に、子供の遊びをできない。
失われた若き日を思った。
今から考えたらエッチでもなんでもない言葉に興奮して、言うのをためらった若き日を思い出した。
エロ本を買うのにいちいち緊張して、エロ本を一般書籍でサンドイッチしてレジまで持っていった日を思った。
今はエロを連想させる単語は『あ、これ中学生のころだったら大興奮だったな』とどこか冷めた気持ちで思いながら普通に言えるようになった。
エロ本はほしいと思えばネットで普通に買うし、ぶっちゃけ数年買ってない。
俺たちはずいぶん生きやすくなって、けれどなにか大事なものを失ったのだ。
ミリムにもそういう感慨があるのかもしれない。
彼女の表情から感情を察するのは不可能だけれど、俺は彼女のしっぽの微細な動きから内心を察することができる。それは猫に似た、けれど猫より高度な思考をする人類特有の、複雑な動きをしていた。
俺は急にしりとりの最中まで社会生物であることがばかばかしくなって、ガッツリと体ごとミリムへ向けた。
彼女もまたほぼ同時に、体ごと俺を向いた。
俺たちはしりとりをした。
重なる言葉の動きは激しさを増し、スキあらば相手を陥れてやろうと容赦ない言葉選びを続ける。
しりとりなのに汗とか出始めた。しりとりしかしてないのに、俺たちの息づかいは荒く激しくなり、からみつくような心地がした。
永遠に続くかと思われた、しりとりだった。
けれど、終わりは来る――この世には無限と言えるほど名詞が存在せず、俺たちは『外国語』『創作上の技名などの名詞』『偉人含む人名』などを無言のまま縛っていたのだ。
ミリムの言葉が途切れたのは唐突で、俺はあまりにも不意な勝負の終幕に、目を丸くしてしまった。
まだ言葉があったのだ。言うのに適切な名詞はまだ数個だけだがあって、でも、ミリムはそれを言わなかった。
「負けちゃった」
彼女がそう言ったので、俺たちは感想戦に入った。
俺が『今はこういう言葉もあったよ』と言えば彼女は「あー」と納得したように言い、彼女が「あの時この言葉でこられたらもっときつかった」と言えば、俺も『言われてみればそうだ』と大きくうなずいた。
しりとりが終わって俺たちはまた静かになった。
けれど俺の心に先ほどまでの不安がよぎることはなかった。
『長く生きられないかもしれない』『これから、回避も対抗もできぬ大きな事件があるかもしれない』……その杞憂が消え去ったわけではないけれど、それはとても小さく、薄く、存在を無視できるぐらいにはなったのだ。
たぶん、なんとなく、未来を確信できたからだろう。
十年後も俺たちはきっと、こうしているのだろうと思った。
それ以降のことはわからないが――
十年経ったらまた考えようと、そういう心の余裕が、今の俺にはあったことに、気づけたのだ。
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