122話 娘の行く道

 進路。


 娘は中学二年生になり、一学期のはじめには進路調査がおこなわれた。

 最近始まった職場体験制度により、つきたい職業の人たちが実際に働いている場に行く機会があるのだった。

 そうしてその機会は受験を控えた者もいる中等科三年ではなく、二年のあいだにおこなわれる――すなわち二年生一学期頭で出した進路希望は、そのまま職場体験でどこに行くかという話に直結するのだ。


 公立は知らないが私立校である我が校では、親が教師をし、普通に娘が生徒をしてもいい。ただし親は娘の担任にはならない、みたいなルールがある。

 そこで俺はある日、娘の担任をしている後輩教師から、こんな相談をされた。


「あの、先生のところの……あっ、クラスじゃなくて、娘さんの、サラちゃんなんですけど」


 その言いにくそうな様子から、俺はある程度の覚悟を決めた。

 娘の素行が悪いという話は今まで一度も聞いたことはない。しかし親や幼なじみなどの知らないところでも、我が娘は活動しているのだ。

『うちの子に限って』と親としては思いたいものだが、それが幻想であることは、実際にそう口にしている親御さんがいる家庭の子の素行が必ずしも親の評価通りかを考えれば、自然と理解できる。


 俺は俺の知らない娘の素行を覚悟した。

 それは理性的な思考であって、感情的なところでは『まあ大丈夫でしょ』という不思議な安心感、信頼あるいは妄信が強く根付いていることは否定しない。


 果たして理性的な思考か、感情的な信頼か、どちらが正しいのか?


 なんか俺がこのぐらい思考できるほどやけにタメを作ってから、娘の担任は続きを口にした。


「ちょっと進路調査票に書いてあることがですね、どういうふうに言っていいのか、わからなくって……三者面談とか、したいんですけど」


 俺が来年教頭に昇格するからか、後輩教師はやけに腰のひけた態度だった。

 俺そんなに横柄なんだろうか……親しみやすいレックス教頭を目指しているのだけれど、この後輩教師はまだ二十代だ。世代による感覚のズレは常に『ある』と思っていかないといけない。


 俺は直感的に付き合うのが難しい若い世代の先生に、ゆっくりと、噛んでふくめるように言う――相手にとってわかりきっていることまで話すと『馬鹿にされた』と感じるようなので、優しく言うのも厳しく言うのも、結構気をつかう。


 俺の説得のかいあって、後輩教師はようやく問題の本質を俺に開示してくれた。


「これ、サラちゃんの進路調査票なんですけど」


 と、見せてくれたのだ。

 守秘義務的観点からちょっと見るわけには……と思ったが、それより興味がまさってつい視界におさめてしまった進路調査票には、このようなことが書かれていた。


『進路調査票


 第一希望 専業主婦

 第二希望 無職

 第三希望 ヒモ』


 俺は名前の欄を確認した。

 そこにはたしかに娘の名前があったけれど、俺はうっかり、これは過去の自分が書いた調査票ではないかと疑ったのだ。


 その疑いが口をついて出たらしい――俺と同じこと書いてるやん……ついうっかり俺は口にしてしまった。


「ええっ!? レックス先生も進路希望に無職を入れたんですか!?」


 どうだったかな……俺はそのへん如才ないので、無職を希望はしたけれど、けっきょく書くまでにはいたらなかった気はする。

 保育士と教師あたりをカモフラージュで入れただろうか……やばいな、さっぱり思い出せない。


 まあとにかくアレですな。

 無職を第二希望にするあたり、配慮が見られます。


「あの、先生のご家庭はどうなっているのでしょうか」


 すごくマジなトーンで言われて、俺は今、自分が世間体的にまずい発言をしたと気づいた。

 もう四十歳なので、若者みたいなノリで話すと『立場を考えて』とか『年齢を考えて』みたいに言われることがあるのだ。


 けれど四十歳の男は別に大人じゃない。

 周囲からそういうロールプレイを求められるから外面を取り繕っているけれど、今でも旧友と会えば『マジで!? はーめっちゃすげーじゃん!』みたいに高校生のころの言葉で話したりするのだ。


 まあしかしここは職場だし、目の前にいるのは若い先生だし、俺は自分の立場を思い出して四十代教員一筋のペルソナをかぶることにした。


 先生、考えてみてください。

 進路希望というのは、『将来的に就きたい立場』を書くものであって、『なりたい職業』を書かなければいけないものではありません。

 身内びいきかもしれませんが、娘はその本質をよくわかっていると思います。

 彼女に足りなかったのはそうですね……

 世間体への配慮と、教員への忖度そんたくですかね。


「えーっと……まあはい。それで、できればちょっと、うちのクラスから無職を夢に抱いた子が出るのもまずいので、三者面談などさせていただくか、ご家庭のほうで説得してもらって、どうにか無職を取り下げてもらうか、そのへんでよろしくお願いしたいんですが……」


 うん、わかった。

 俺はそういう旨のことを世間体をかんがみた難しい言い回しで告げた。

 仲間内では『わかった!』ですむことも、職場ではこの二十倍ぐらい言葉を重ねないといけなくなる。面倒なものだった。


 俺は、自分が中学のころ抱いていた夢に思いをはせた。

 中学……中学だったか高校だったか、もはや俺には定かではない……けれど当時の俺は間違いなく無職を志していた。無職になるためにあまたのリサーチを重ね、その道の険しさにくじけた結果、今、教師。


 教職に就いたことに後悔はない。

 ないが……もしも天運に恵まれて無職で生きていけたなら、それはどれほどいい人生だっただろうと、そう思うのだ。

 世間体というものにさらされず、自分に不似合いに思える仮面をかぶらず――


『次の週末どう?』

『無理』

『オッケー』


 ですむやりとりを、


『お世話になっております。次の週末のご予定ですが、いかがでしょうか? 実は(中略)よろしくお願いします』

『お誘いありがとうございます。先ごろ(中略)大変難しく(中略)また機会がありましたら是非よろしくお願いいたします』

『(前略)お忙しい中のご対応、まことにありがとうございま(中略)それではまたの機会(後略)』


 みたいに難しく言わないでもいい人生だったなら、それはすばらしいストレスフリー人生だと思うのだ。


 なににせよ、俺は娘と話し合う必要があるようだった。

 最近の俺は、俺が中学生のころの俺の父みたいな無口キャラで娘と接している……意識しちゃってなにを話していいかわかんないから……

 しかし、俺はしゃべるキャラになって娘と話し合わねばならない……


 人生で一番の緊張が俺を襲う。

 俺は果たして……無事に長生きできるのだろうか?

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