121話 娘と仲良くするために
俺が十四歳のころ、四十歳は『おじさん』『おばさん』だった。
たぶん当時の俺には三十歳以上、どころか二十歳以上の人間は全員『年寄り』だったのだと思う。
この世界もまた二十歳で成人として扱われるわけだが、『成人』と『未成年』との断絶はそれだけ広かった。
十四歳の俺にとっては『二十歳以上』はすべて『大人』でひとくくりで、『大人』カテゴリ内の細かい差異については、さして気を払っていなかったような気がする。
俺は三十九歳になり、サラは十三歳になった。
夫婦仲は言うにおよばず、親子仲も悪くはないようだ。
『悪くはないようだ』と伝聞形式でしか語れないのは、俺の中に確信がないからだった。
最近の俺はサラとの会話があまりない。
別に険悪なわけではなくって、本当に、単純に、話題がないのだった。
だって俺たちの関係はあけっぴろげで、互いに疑問を差し挟む余地がない。
サラもミリムも俺も家族で共用しているスケジュールにきちんと予定を書き込むし、互いの予定に対して根掘り葉掘り聞かない。
家族での時間も、もちろんサラが幼いころに比べれば減ったが、月に一度ぐらいは三人でどこかに出かけるぐらいにはとっているし、世間と比較しても仲が悪い様子は見られなかった。
だというのに俺の中に『仲良し親子』の確信がないのは、俺を長年苦しめ続けている問題が影を落としているからだった。
俺には女性の気持ちがわからない。
本当にまだこれで悩み続けるの? いい加減にしろよお前……という感じなのだが、結婚して娘が中学生になって、それでも俺はまだ女性に不慣れなのだった。
娘が『俺の一部』から『一個の人格』へと変化し、その中で『社会性』やら『女性性』やらを獲得していく課程で、俺にとってのブラックボックスが増えてきた。
俺はそのブラックボックスに対しついおどおどしてしまい、相手に迎合し気に入られる話題を探しすぎてしまい、その結果、どうにも、娘に対しぎこちない様子になってしまう。
そんなぎこちなさ、言い換えるならば『恐怖』が伝播しているのか、娘から俺への態度も薄壁一枚挟んだような――あるいは俺がそう妄想しているだけかもしれないが――ものになってしまい、結果、会話には常に『うまくいってないんじゃないか?』という疑念がつきまとう。
これはきっと、俺の臆病な性格がおおいに影響していることだろう。
俺は知らないものに対し慎重だった。迂闊に踏み込むことは『死』につながるのだと、魂のレベルで深く刻み込まれているのだ。
……まあその結果、『踏み込めなくて死』みたいな人生を積み上げてきたので、実際にこの警戒心が有為かどうかは疑問の余地があるのだが。
この種のぎこちなさには、経験があった。
これは一時期、アンナさんに対して俺が抱いていたぎこちなさだった。
極論すれば俺は娘を意識しているのだった。
もちろん恋愛対象としてじゃない。
俺は娘に気に入られたい。幼いころのままパパ大好きでいてほしい。
しかし娘は俺やミリム以外にも様々なものの影響を受けて成長している――『成長』とは『変化』に進歩感を持たせた言い方にすぎない。俺の知らない様々なものにより変化していく娘の実態を、俺はつかむことができず、怖じけているのであった。
そんな時に俺がアドバイスを求める相手は、娘の二学年先輩にあたるエルマちゃんだった。
保育所時代にサラの世話役をしていた彼女は、俺とミリムがそうであるように、未だにサラとのつきあいが深い。
うちに遊びに来たことも一度や二度ではなかった。
まあ、アンナさんやミリムが俺の家に遊びに来た頻度よりはずっとずっと少ない感じがするのだけれど、どうにも俺の目のないところでのつきあいが深いらしく、我が家のスケジュールにはよく『エルマさんと出かける』という項目が見られるのだった。
そんな彼女は俺が顧問をつとめる第二文芸部に所属している。
第二文芸部は設立以来ずっとオタサーの地位を確立し続けていた。
どうにも俺が初めて顧問をした女子たちが後輩に『ここの顧問はBLに理解がある』という情報を継承し続けているようで、女子比率は脅威の九割、文芸部なのにメインの活動はキャラクターのカップリング談義という健全な部活動なのであった。
四十歳を控えてなお『趣味はBL本作製の制作指揮です』という文言が俺の首を絞め続けるので、もしも過去に戻れたらカリナとのつきあいをどうにかしたいと思っている。
そんな中で俺は今日もこっそり端っこでエルマちゃんに相談をするのだ――どうしたら娘とうまく会話できるだろう。もっと仲良くなれるだろうか、と。
こう聞くとエルマちゃんは決まってこう切り出す。
「おじさんは、ちょっと求める基準が高すぎるんですよ」
俺は彼女の先生でもあるのだが、長い間『おじさん』と呼ばれてきたので、部活でもおじさんと呼ばれるほうがしっくりするようになってしまった。
「月に一回は一緒に旅行行くでしょう?」
うん。
「お互いの誕生日は家で祝うでしょう?」
うん。
「新作映画とか一緒に見に行くでしょう?」
うん。
「一般家庭の基準で言えば、すでに充分仲がよすぎるんですけど。こないだだってね、聖女聖誕祭の二週間前ですよ? そんな日にね、おじさんの誕生日プレゼント選びに付き合わされたんですよ、私」
聖女聖誕祭は長らく家族ですごす日として浸透していた。
が、最近は企業戦略か、『恋人とすごす日』という風潮が高まっていっているようだった。
まあ我が家は家族ですごすので関係ないけれど……
「聖女聖誕祭前とか、恋人とすごしたいと思いませんか?」
えっ、いるの?
「私はいませんけども!」
君じゃなくて、うちの子に……
「どうかなあ。たぶんいないんじゃないかなあ……恋人いて、あの頻度で私と遊んでるとか、ちょっとおかしいですしね」
娘が中学一年生になり、ぐっとかわいらしさを増してきた今日このごろ、俺の心を過去の記憶がさいなんでいるのだった。
俺の娘は四又かけてたことがある。
その当時の恋人関係は自然消滅したっぽいのだが、ブラッドなんかはまだ俺を通してサラと接触をしようとしてくるし、娘はかわいいからたぶんモテるし、また四人から同時に告白とかされてないか、パパは気になって夜も眠れない。
「だからなんていうか……そっちの親子はそれ以上仲良くなってどうするのかって感じなんですけど」
俺には『仲良し』の限度がわからなかった。
というよりも『限度』というものが存在するかどうかに対して懐疑的だ。
いくら仲良くなってもいいと思っている。
そりゃあこの年齢で『いまだに一緒にお風呂入ってます』とかなったらまずいと思うが……
親子の節度を守っていればいくら仲良くてもいいんじゃないかなあ。
まあしかし、最近、会話におどおど感が出てしまっているのは事実だと思う。
どうにかサラの好きな話題とか知っておきたいんだけど……
「おじさんからの相談内容が、サラのこと気にしてる男子からの相談内容と一緒なんですけど」
男子? そいつのクラスと名前は?
「言いませんよ。言いませんからね」
即座に個人情報を聞きだそうとするのは俺の悪い癖だった。
もっと段階を踏んで聞かないと、教えてもらえるものも教えてもらえなくなる。
「というかおじさん、私に対してこれだけフランクに話してくるんだから、サラとも大丈夫でしょ」
エルマちゃんはほら、なんか話しやすいんだ。
俺の腐れ縁に『カリナ』というのがいてね。君はどこか、そいつを思い出させる。
人生の道を踏み外さないように気をつけな。
「日常系ゆるふわBL四コマでアニメ化した先生を指して『人生の道を踏み外した』扱いはすごいですね」
あいかわらずジャンル名で胸焼けをおこしそうだった。
最近のカリナは年齢とともに服装にフリルが増えてる感があって、そろそろ人格がフリルに飲み込まれているような気がする。
俺より一つ上なので現在四十歳のフリルおばさんのはずなのだが、なぜか見た目が超若いので、アシで来た若者の生き血をすすっている説が俺の中で根強い。
失礼ながら四十前に不摂生がたたって死ぬと覚悟していたのに、逆に今では俺よりカリナのほうが長生きしそうな気配があって、すごく納得いかない。
健康とかむっちゃ気をつけてる俺には白髪がすでにあるのだが、カリナにはないのだ。
まあ、『ある』って言ってもよく探して一本見つかるぐらいなのだが。
「私たちが産まれる前から漫画描いてるんだから、すごい人なんですからね」
カリナはその道で有名どころになっているので、俺がカリナアンチ発言をするとファンからこのように言われる。
しかしこないだ『お前、今の中学生が産まれる前から漫画描いてるんだよな』って言ったらキレられたりもしたので、今のエルマちゃんの発言も褒め言葉かは微妙だ。
三十代最後の年の日常はこんなふうにすぎていく。
俺の毎日はBLもなくゆるふわもしていない。
今年の冬、俺は四十路になる。
サラからは『四十歳の誕生日はなにか記念になることをしようね』と言われているのだが、俺はサラと仲良くなる方法が見つからなくて、毎日を不安に生きている。
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