113話 いつか迎えるはずだったものを、今日

 時間が過ぎ去るのは本当に早い。


 つい先日祖父母の葬儀を終えたと思ったら、俺はまた歳を重ね、そして娘は初等科の三年生へと進んだ。


 日々は特筆すべきこともなく過ぎていく――『特筆すべきこともない毎日』。なんとすばらしいのだろう!

 世間では『毎日を記念日に』とかいう勢力もいて、そいつらがキラキラしたグループとして台頭している向きもあるのだが、俺はそういう人たちには『勝手にしてほしい』と思っているタイプだった。


 キラキラを好む彼ら彼女らはおそらく、『ただ生きている』だけで満足できない人生一周目なのだろう。

 ……だとしたらうらやましくもある。『明日、いきなり幸福のすべてが砕かれるかもしれない』という恐怖を抱かずにすむ人生があるならば、それはとてもすばらしいことだと思うのだ。


 そう、日常というのは、あっけなく、ある日突然、壊れるものだ。


「パパと運動するのやめたい」


 初等科三年生にあがってさっそく九歳の誕生日を迎えたサラに言われたのは、そんな、意外なことだった。


 我が家は健康のために家族ぐるみでの運動を日課としている。

 週末ともなればちょっとランニングなんかしつつ遠出もするのだが、どうやら娘は、その習慣に自分を混ぜるのをやめてほしいようだった。


 まあわかる。


 自分の意思によらぬ習慣に巻き込まれ、自分の時間が削られていくのは、看過できないものだ。

 俺は定期的な運動を長生きのためにやっているし、口ではどう言おうとも『健康に長生き』したくない人類など存在しないと思っている――今は『すぐに死にたい』と言っているような人でも、実際に病気になって苦しいまま没する直前になれば、生きたいと思うものだと、そう考えているのだ。


 俺は家族でおこなっている『運動の習慣』を悪いものだとはまったく思っていないし、必要なものだと強く信じて疑っていない。


 だが、それでも、イヤになることはある。

『よい』『悪い』という軸で語るならば『よくたってやりたくないことはある』だろう。

 そもそも、本当に人類に運動が必要かどうかは、証明のしようがない。

 極論を言うならば、『運動が健康にいい』という俺の主張は『信仰』のようなものなのだ。

 なぜって、今『正しい』とされているデータが、百年後に覆っていない保証なんかどこにもないのだから。


 だからサラの自由意思を尊重していこうと思っている。

 真理を知らない俺たちは、おのおの好きなように生きていくしかないし、そうするのが、ある意味でもっとも『健康』なのだから……


 俺はサラに合わせて神妙な顔になってうなずいた。

 俺とサラのあいだには、サラの誕生日を祝うケーキが存在する。ロウソクが消えたばかりでわずかに煙をあげるそれを挟んで、俺たち親子はあくまでも真剣に見つめ合っている。


 俺は言う――わかった。でも、気が向いたら、また一緒にやろうね。

 おそろいのスポーツウェアも買ったしさ。


「その『おそろいのスポーツウェア』がはずかしいの」


 ……………………………………。

 俺はミリムを見た。ミリムはうなずき、言う。


「たしかに、この歳でお父さんとおそろいの服は恥ずかしい」


 えっ、娘ってそういうものなの?

 俺は愕然とした――おそろいのスポーツウェア。いいじゃん、チームみたいで。連帯感っていうの? そういうのがさ……

 うーん、でも、そうか、たしかに俺も中等科ぐらいのころは母親の買ってきた服とか恥ずかしくて着たくなかったしな……女の子は成長が早いのだという。それは体もだが、きっと心もなのだろう。


 そう、俺は女の子のことがわからない。


 女の子について知りたいと熱望し、ミリムに助言を求めたりもしたのだが、いつのまにか助言を求めた相手が奥さんになってしまったため、けっきょく女の子について詳しくないままここまで来てしまったのだ。


 ミリムが俺の妻になった経緯は擬音であらわすと『ぬるり』って感じだ――そう、俺は今気づいたんだが、ミリムの夫だったのである。

 夫として生きてきたし、今では一子をもうけているし、ミリム以外とは付き合ったこともないし、断じて浮気もしていないんだが、なんだか急に、俺は自分が彼女の夫であることを思い出したのだった。


 内心の混乱はあったが、今はお誕生日会の途中だ。

 なんか週末はクラスの子と祝いたいとかでお小遣いをせびられたりもしたし、順調に娘が巣立っていく感が増してきて、半端じゃないストレスで毛が抜けそうになっていたりもするが……

 抜けそうと思う前から頭皮ケアをおこなっている俺にスキはない。


 混乱していて思考の主題が定まらない。どうして俺は娘の一言一句にこれほどまでにうろたえるのだろう……平常心、平常心。俺は心の中で三回唱えた。三回唱えたか? 二回か? いや三回か。三回だな。


 俺には百万回の人生経験があるのでいついかなる時も冷静なのだった。


 俺はケーキが冷める前になんとかしないと誕生日ですねと思いながら言う――スポーツウェアを勝手に買ってきたのはパパの落ち度だ。けれど……せめてパジャマとして着てほしい。パパは外で着る。サラはうちで着る。するとおそろいであることは、誰にもバレない。


 俺は冷静なので、反抗期から思春期にかけての子供がもっとも気にするのが『人の目』であることを知っているのだった。


 ある年齢にさしかかった時、過剰に『人の目』というものを気にして、妙に格好つけてみたり、妙にキャラをつけてみたりした経験は誰にでもあると思う。

 思春期の正体がそれだ。


 ある程度まで年齢を重ねると『世間はそんなに自分に注目していない』という見識を得る。

 だが、それまでは自分の行動一つ一つに世間の目が向いているような気がして、細かい動作で謎アピールをしてみたり、その結果気づいてほしい相手は全然自分を見ていなくて、どうでもいいようなヤツに『さっきのなんだよ』と突っ込まれたりして叫びながら天元突破したくなったりするのだ。


 ああ、ダメだ! サラの思春期に思いをはせていたら俺自身の黒歴史がよみがえってきて、思い出し羞恥が俺を襲う!


 のたうちまわりたい気持ちを抑えつけながらサラの返事を待った。

 サラはどこか不満そうな顔をしたまま俺をジッと見て、言う。


「バレなくても、おそろいなのは、なんかイヤ」


 …………。

 そうか。

 うん、そうか。


 ――それはとある五月のあたたかな夜の話。

 ついに娘が父親に反抗を始めた、記念すべき九歳の誕生日……

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