112話 生者の円心

 暑い、夏だった。


 年々と夏はその暑さを増していっている。

 酷暑が体力を奪ったのだろうか、祖母は骨折の完治を待たずに亡くなり、それから一月と経たないあいだに、あとを追うように祖父もまた亡くなった。


 大往生だった。


 俗に『老衰』でひとまとめにされる症状で亡くなった祖父母はどちらも九十歳を超えていた。

 彼らは生ききって煙となり、この世界を巡っていくのだ。


 俺も三十代だ。

 この年齢になると色々と亡くなる直前のお年寄りたちの情報も入ってきていて、中には子供の顔さえ判別がつかなくなり、あらゆるものを敵視するような精神状態で亡くなっていく方もいるらしい。


 けれど俺の祖父母はどちらもしっかりと記憶と意識をたもっていた。

 精神的には健康なまま、次第に起きている時間が短くなり、そうして最後は眠るように亡くなったのだ。


 それはまぎれもなく俺が理想とする死に様だった。

 病院近くに詰めていた俺や俺の両親、そして俺の娘までもに見送られながらの逝去は、まさしく絵に描いたような『幸福な末期の風景』にほかならないだろう。


 彼らの死を目の当たりにして俺が考えたのは、よりにもよって、俺を苦しめ続けてきた全知無能存在のことだった。


 彼女であり彼であるその存在は俺を転生させ続け、俺の精神を生かし続けている。

 それは、俺視点で無限の苦しみに他ならない。


 人生とは、なにかを失い続ける旅路だ。

 得たもの自体が少なかった俺は、その貴重な『得たもの』を失うたびに慟哭し、憤懣ふんまんとむなしさに胸中をかきむしられていった。


 もっとドライに生きることができれば、きっとすでにすべてをあきらめたような、悟りの境地に達することもできているのだろう。

 しかし転生のたびに若返る俺の精神は、達観することもできず、諦念に身をゆだねることもできず、いつだって、胸中で暴れまわる『心』というものに痛めつけられ続けてきた。


 それでも今生までに経験した百万回の転生は、どれもがつらい世界での人生だった。

 だから亡くなった人に対しては『こんな世界で生きなくてもよくなったのだ』と、『救われた』と思うことができた。


 だが、こうして、幸福な予感に包まれた……事実はまだ不明だが、少なくとも『予感』には包まれた世界で大往生した祖父母を見て、しみじみと胸中に悲しみや、それ一語ではとうてい表しきれない気持ちが発してきて、あらためて、思ってしまう。


『できればもっと生きてほしかった』。


 この世界で生きてほしかった。

 彼らは充分に幸福だっただろうけれど、この世界では、さらにその先の幸福が予感できる。

 だから、生きて、もっと幸せな出来事を経験してほしかったと、そう思うのだ。


 この大往生した相手に抱く、生者ならではの『もっと生きてほしい』という、ある意味で身勝手な想いは――

 俺を転生させ続けている、全知無能存在の気持ちそのものなのではないか?

 そんなことを、考えてしまうのだ。


「こっちのおばあちゃんも、そろそろかもしれないわ」


 冬の入口にさしかかった時、母が不意にそんな言葉を漏らした。

 父方の祖父母をこの夏に失い、母方の祖父をずっと前に亡くした俺にとって、もう、祖父母と呼べる存在は、母方の祖母しか残っていない。


 そして暑い夏と寒い冬は、お年寄りが亡くなることが多いように、経験からは感じ取れた。

 きっと母も同じような経験則から語ったのだろう。……あるいは、仲のいい親子ならではの予感みたいなものが働いたのかもしれない。


「そうなったら、田舎のおうちを引き払わなきゃね。もう、誰も住まないだろうし……」


 ともすれば冷たいような言動ではあったが、俺はそれが冷酷さから発せられたものではないことを知っている。

 覚悟が決まった人の発言というのは、こんなものだ。喪失の悲しみを前提にした時、人は初めて『喪ったあとのこと』を論理的に思考できる。


 ……そうやって自分の母親の死期について語る母も、ずいぶんと歳を重ねているように見えた。


 手や首などからはいくぶんか肉が薄くなっていたし、綺麗な金髪の中には、白髪も混じっているように思えた。

 後ろ姿などはやせ衰えた感がぬぐえず、こうして寂しげに背を丸めていると、いよいよ母も老境にさしかかっているのだという事実が、いやおうなく思い知らされるようだった。


 ……当たり前のことだが、母も父も、いずれ、亡くなる。

 亡くなることが当たり前で、亡くなった『あと』なんかないのが、当たり前の、幸福な、人生というものだ。


 ……ああ、でも。

 俺がこんなことを思ってしまうのは、間違っている。口が裂けたって、言葉にはできないのは充分にわかっている。


 それでも、思うことだけを許してもらえるならば――


 やはり、亡くなってほしくはない。


 百万と一回目の人生において、俺は『喪失』の真の悲しさを知った。

 人が死ねば悲しいのは当たり前で、亡くなった人が親しいほど悲しみもまた深くなるのは、誰しもが想像のおよぶことだと思うけれど……


 悲しみの中で、『ありえたはずの幸福な未来』を思い描いてしまうことが――

 その幸福な未来が閉ざされたのだと気づいてしまうことが、なにより悲しいのだと、ようやく、わかった。


 ……ふと、思考が進んでしまう。


 なんて益体のない考えだと自嘲してしまうが――


 全知存在ならば、どれだけの『ありえたはずの幸福な未来』を思い描けるのだろうか?


 そんな、考えても仕方のないことにまで、俺は、思いをはせてしまったのだった。

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