83話 酒と起業と思い出話

「俺、起業しようかと思ってるんだ」


 がんばれ。

 それじゃ。


「聞けよぉ~!」


 酔っ払いにからまれている。


 その酔っ払いの名を『マーティン』と言って、最近では会えば愚痴、会わなくても愚痴、毎夜ごとに通信端末に『なあ、生きる意味ってなんだと思う?』と送ってくる男だ。

 昨今は本気でお疲れのようで、だんだん発言の意味がわからなくなっていくので、俺はなん度も『転職しろ』とすすめているのだが、これが不思議なもので、『辞めてやる!』とかいくらでも言うが、実際に転職する気はゼロのようだった。


「お前、転職はめっちゃすすめてくるのに、なんで起業って言ったとたんそんなに冷たいんだよ!」


 酔っ払いは酒のおかわりを所望したが、俺はそれをキャンセルし、熱いお茶を二人分頼んだ。

 俺たちには酔い覚ましが必要だった。

 というか俺はマーティンに『あと二年しか一緒には飲めないと思う』と言ったことを後悔していた。

 だってミリムとの同居はとっくに始まっているのだ。『二年』とか口をすべらせずに『今年いっぱい』ぐらいに限定しておけばよかったと、わりと本気で思っている……


 マーティンというのは話しててつまらない男ではなかった。

 が、仕事が彼を追い詰めるあまり、最近は精神にまったく余裕がなく、話題は『会社の愚痴』しかなく、しかも聞き手である俺のことを考えない話しぶりと、いつまでもいつまでも居酒屋に居座ろうとするタチの悪さも備えており、まあなんか色々ダメ。


 俺は言う――起業はいいと思う。でも、そもそもなにを扱いたいのか、それをなぜ扱いたいのか、理論というか、『起業』に対するパッションを感じない。起業が目的になってしまっている感じが非常にダメ。


「淡々と言うなよ! もっとこう……ああ、いや。いや、そうだ。お前がそういうヤツだから、俺もこうやって色々言える……ここで『やっちまいましょうよ!』みたいなこと言われたら、上司にこの場で退職を言いそうだ」


 マーティンはじゃっかんの冷静さを取り戻したようだった。


「いや、わかってんだよ。でもさ、今の職場、たしかに給料は……うん、まあ、なに? 他の同業他社に比べて? 給料は……うーん、でも残業代出ないし……まあ、給料はギリギリ? いいのかな?」


 知らないよ。

 お前の年収と勤務時間を教えろ。


 そこでマーティンの口から語られたのは驚愕すべき数字であった。嘘……お前の給料(時間割で計算すると)安すぎ……?

 俺は普通に法律の手にゆだねることをすすめた。なんなら俺がキープしてる弁護士を紹介してもいい。


「えっ、なんでお前弁護士とかキープしてるの?」


 人はゼネラリストにはなれないからな。

 俺は、今の職業に就くために様々なリサーチをし、様々な技能を修得し、様々な勉強をした。

 人の時間は有限だ。だから、俺の法知識は、俺が教師になるために費やしたのと同じぐらいの時間を法律の勉強に費やしたやつには、絶対に勝てない。

 だが法というのは生きていればかかわることがある……そしてアレは弱者の味方ではない。より法を知っている者の味方だ。

 よって俺は法を味方につけるためにコネをつないでいるのだった。


「はー……レックス、ほんと、レックス」


 俺は俺の主張に論理的整合性があると確信しているのだが、どうにも他者にとって『行き着かない結論』に達してしまうことがままあるようだった。

 そういう時に『ほんとレックスだよね』みたいに言われることが、今思い返すと、あった気がする。


 おそらく、俺の知らないなんらかのロジックが世の中にはあるのだろう。


「知らないロジックがあるとかじゃなくて、お前はいつでも考えすぎなんだよ。もっとなに? パトスをもって生きようぜ」


 情熱パトスか。

 しかし俺の理想は情熱やら熱意やらに頼らずとも『なんとなく』生きていけるような人生だからな……

 普通のことが、普通に起こる、そういう暮らしが俺の理想だ。

 やる気なんか出さないで生きていけるほうがいいに決まっている。しかし人生はそうもいかないから、俺はきっと『考えすぎ』るのだろう。


「相変わらず宇宙人してるよなー。……実を言うとさ、俺、ずっとお前のことこわかったんだぜ」


 保育所からのつきあいなのに?


「保育所とか幼稚舎はまあ、お前のこわさがわからなかったけど、初等科でぼんやり感じて、中等科ぐらいで確信した。お前はこわい。なんて言うんだろ……うまく言えないけど、マジでやばいと思う」


 そこはうまく言ってほしい。

 俺は、世間から異常だと思われることをおそれている。世間は『自分と違うもの』に厳しい……俺が理想とするのは敵を作らない生き方だ。だからなるべく一般的な二十三歳でありたい。そのために努力もしている。


「そのために努力してるようなヤツは『一般的』にはなれないと思うけどな……あー……そうだよなー。これこれ。これなんだよ。お前を見てるとだいたいの問題は『あ、ちっぽけだな』って思う。お前と飲むのはやめらんねーな」


 マーティンは一人で納得して、勝手に帰る準備を始めてしまった。

 俺は彼を引き留めた。まあ待てよ。あらいざらい吐いてもらおう。俺のこと……俺がお前からどう見えているのかを……


 俺はマーティンが一人でなにもかもわかったような顔をしてスッキリしながら帰って行くのがどうしても許せなかったのだった。


「……俺明日も仕事……まあいいか。わかった。今日は俺がお前に付き合う。普段はお前が俺に付き合ってるからな。そうだな、まずはなにから話そうか……『初等科の子供が、たった一人でクラスの半数とケンカして勝つのはマズイ』っていうところからかな……」


 ――それは俺たちの初めてのケンカの話。

 初等科一年生で『女と遊ぶなんかダッセーよなー!』という風潮が広がった日、俺たちの力関係がなんとなく決まった時の物語だった……

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