81話 贈る言葉
『高校生活はどうだったのか?』と聞かれることが増えた。
卒業が間近なのだった。三年生たちが高校に進む日が近づいているのだった。
進学というのはどうしたって『慣れた環境を飛び出し新しい環境に身を置く』ことになる。それに不安を感じるのは自然なことで、そして、不安というのはできれば解消したいものだということも、想像にかたくない。
しかし卒業を控えたアレックスから高校生活について聞かれて、俺は答えるべき言葉を全然持たなかった。
不安……
不安……?
……高校生活の前に抱いていたであろう不安が、全然思い出せない!
抱いていないはずがないのだ。
俺は百万回転生してきた――換言すれば百万回死んできた。世界には『敵』がいるという認識を持ち、その『敵』どもはいつかきっと俺の命を奪うという確信をもって生きてきた。
この俺が不安を抱いていないはずがない。
俺は必死に思い出そうとした。不安なこと、不安なこと……しかし俺の中学生活はすでにもう十年ほど前のことである。
えっ、マジで……? 十年って早くない? まあ入学から十年とはいえ卒業してからはまだ十年経っていないものの、この調子だと、主観的にはあっというまに十年、二十年と経っていきそうな気がした。
喜ばしい。
この調子であっというまになんの波乱もなく天寿をまっとうし、『ああ、人生あっというまだったな』と思いながら死ねたなら最高だ。
しかし同時に不安も感じた。
それはもちろん『敵』にまつわることで、『十年という期間をあっというまだと感じるのは、なんらかの洗脳をほどこされているのではないか?』ということだった。
十年。
これは無視できない長さのはずだった。毎日を命の危険におびえながらすごしてきた俺にとっては、目を閉じれば繊細に思い起こせる日々の、はずだった。
だというのに記憶の中の十年前はやたらあやふやで、ちょっと大きめのトピックスが、時系列順でさえなく、ぽつぽつ思い浮かぶだけだ。
これはおかしい――俺は記憶力がいいほうだ。というよりも、『よくない記憶力を必死の努力でおぎなっている』と言ったほうが正しい。
たしかに、かつて情報端末として生きた時に比べ、この肉体は『記憶する』という行為に不向きだが、それにしたって、印象深くあったはずの中学時代のことをさっぱり思い出せないとか、そんなことはありえないだろう。
今も、見られている。
俺は久々に緊張を思い出した――『敵』はそこかしこにいる。俺の日常にまじって、俺を都合のいい存在に作り替えようとしている。
それにあらがうには、やはり、自覚的に生きていくしかないのだろう。
……そうだな。
俺は、卒業していくアレックスに対し語る、『高校で注意すべきこと』を決める。
アレックス――
お前を見ているモノがいる。
それに、気をつけろ。
「えっ? ど、どういうこと?」
詳しくは言えない。だが、お前は、見られている。お前だけではない、すべての人類が、見られているのかもしれない。
そいつらはお前の行動一つ一つをうかがっているし、お前が目立った行動をとれば、すぐにその魔手をのばしてくるだろう。
だから――とがめられない生き方をしろ。
内心でなにを思ってもいい。ただ、外面だけは、恭順したように生きるんだ。
おおっぴらに逆らわず、品行方正に、優秀に、従順に生きるんだ。
そうすればきっと……
いや、希望的観測は避けよう。
とにかく――アレックスよ。
お前は、見られている。
いつも、どんな時も……
「わ、わかりました……勉強とかがんばります……」
そうだそれでいい。
お前が優秀である限り、どのような『敵』も、お前には手を出せない。
真の自由を手にする日まで、どうか、優秀で、従順であれ。
ただし、心の中までは屈するな。
「なんか難しい話ッスね。でも、今の言葉、先生みたいでした」
俺はたしかに先生なので先生みたいなのは当たり前なのだが、今のは個人的なアドバイスっていうか、うーん……
なにかがかみ合っていない感じがする。
微妙な消化不良感を残したままだが、アレックスたちは卒業していく。
妙に寂しさを感じる。
彼らの多くは同じ学園内の高等科に進むだけだというのに、胸にじわりと広がるこの感覚は、無視できないぐらいに強かった。
……これはちょっと、心構えをしなおす必要がありそうだ。
だって担任を受け持ったわけでもないアレックスたちの卒業に、俺はけっこう心を揺さぶられている。
俺は来年度から担当クラスを持つことになるのだが――
その受け持った子たちの卒業に、俺の心は耐えられるのか?
心というものが全然ロジカルではなく、理性をたやすく凌駕するものであるということをもう一度勘定に入れて、『担任になる』ということを考えるべき、なのかもしれない。
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