65話 友と再び
シーラという名前がもはや懐かしいものとなってしまったのには様々な理由があった。
俺たちが違った学部に進んだこともそうだし、そもそも、俺たちの関係は『テストの点数の上下を競う』という軸により続いていたものだったから、その『テスト』がなくなってしまい、自然と接点もなくなってしまった、というわけだった。
だから年の瀬に連絡が来た時にはおどろいたし、なんの用事だろうと身構えたものである。
俺たちは競争相手だったのだ。
協調したこともあったが、基本的には対立関係なのだ。
「教師に進むの?」
それは進路にまつわる相談事で、俺は答えに窮した。
迷っていたのだ。悩んでいたのだ。このままだと『なんとなく』教師になるだろう。いや、そもそもこの大学のこの学部に入ったのは教師を目指してのことだから、それは自分で選びとった未来なのだろう。
それでも俺の頭には『専業主夫』『ヒモ』『保育士』などの夢もあって、そのどれもがまだ目指しうるところにある。
だが、もうじき三年生になる。そうすると選択決定の時期が近づき、選択肢のどれかを放棄しなければならなくなるだろう。
そして……そういった相談を、ミリムとできたことがない。
俺たちはぼんやりいっしょにいることはできても、シリアスな相談をするような関係性ではなかった。
俺はミリムに居心地のいい空間に一緒にいてもらうことを望んでいるし、ミリムもまた同じような望みを抱いているらしく、俺たちはいつしか深刻な話題をなるべく避けるようになってていたのだ。
シーラの存在は俺の将来への悩みを打破する助けになるかもしれない。
だから彼女には『直接会って話そう』と返事をした。それに、シーラ側もそうしたいと思っているような気がしたんだ。
話はトントンと進み、その週末にはもう会うことになる。
指定された喫茶店で久々に再会したシーラはどこか男まさりだったところが消えていて、遠目に見るとどこのお嬢様かというような、フェミニンでおとなしい装いをしていた。
外に跳ねた赤毛は相変わらずだが、それも昔日のような攻撃的な感じではなく、心なしかギザギザ感がないように思われた。
「久しぶり」
俺たちは不器用にあいさつを交わし合う。
しばらくは他愛ない会話が続いて、俺たちが会っていなかった一年と少しのあいだ、互いになにをしていたかの情報交換を続けた。
店員の圧力に負けて二杯目の飲み物を頼むころ、ようやく話が進路へと移る。
シーラの通っているのはいわゆる女子大であった。昨今は少子化の影響で共学化しているらしいのだが、それでも女子比率が多いらしい。
学校の空気的に男性が入りにくいのが影響している、ということだった。共学化しながらもまだ男子比率が少ないのは営業戦略の失敗だ――などとシーラは語る。
ずいぶんと通っている大学の方針ややり方に疑問、というか反発をもっているような様子だった。
今通っている大学、嫌いなのか?
「……まあ、親の顔を立てるために入った感じだし。好きってわけじゃないかな」
あの学園――俺たちが通っていた保育所から大学まである巨大学園は、わりと富裕層の子供が多い。
シーラもまた富裕層なりの悩み、政治、しがらみ、家長制、みたいなものに困らされている様子だった。
うーん……安心する。
「なんでよ!」
だって俺の周囲にはキラキラした人が本当に多いんだ。
アンナさんは夢を叶えた。叶って現実になったあとの夢は大変そうだけれど、それでも充実しているらしい様子がたまに送られてくる手紙でわかる。
マーティンはステレオタイプなキャンパスライフを送っているらしい。あいつは明るくて朗らかだし、きっと向こうの大学でもうまくやっているのだろう。俺とのつきあいはまだあるけれど、たぶん、そのうちいそがしくなってそれどころじゃなくなると思う。
カリナは漫画家への道を歩き始めている。漫画家も最近は増えたけれど、それでもやっぱり、商業からお声がかかる漫画家っていうのは珍しい。そしてカリナはなんだかんだ商業側に席を確保しそうな感じがする。あいつの人生はうまく転がる予感しかしないんだ。
そんな中、シーラだけがどこにも進めず、しがらみにしばられ、悩み、足踏みしている。
久方ぶりに同胞を見つけた気持ちで、俺はついつい嬉しくなった。
「同胞ねぇ。あんたこそ悩みなんかないと思ってたけど。……ほら、昔から計画立てるの好きだったじゃない」
好きじゃない。
なんていうの? 生態?
一般的な人類は呼吸を止めると苦しいだろう。
俺も、計画を立てて生きないと不安で苦しいんだ。
「へぇ。意外」
そこでいったん会話は途切れて、俺たちの前に新しい飲み物が運ばれてきた。
俺は甘い飲み物で、シーラは苦い飲み物だ。
「……ひょっとしてだけどさ、まだ専業主夫目指してたりする?」
それはゆくゆく……
俺は率直に述べた。
俺には『答え』がわからない。
ただ長く生きることだけを目標にしている俺は、考え得る限りで最良の
だが、それさえ正しいのかどうか、わからない。
そう、俺は誰かに『君の選んでいる道は正解だよ』と保証してほしかった。
正解だけを求めている。正解かどうかだけを重要視している。
けれど、『お前の人生はそれが正解だ』と言ってくれる人なんか、どこにもいない。
三年過ごして『正解だった』と思えることが、三十年後も同じように思えているかはわからないし、同じように『間違いだった』と思ったことが、長い時のあとにひるがえることだってある。
死ぬまでわからない答えを、死ぬ前に知りたい。
だけれどそんなもの、わかるはずがないから――俺は毎日不安で、毎日悩んで、日々、なにも決めきれないまま過ごしている。
「……あたしもそう、かな」
俺は大多数の人がそうだと思っている。
でも、自信がなくなるんだ。だってまわりにいる連中はみんなキラキラと輝いている。自分がどうすべきか知ってるみたいに、進むことに迷いがない。
不安にもなるんだ。『あっちが普通で、人生をかけられるほどの夢もない俺たちは、どこかでなにか間違ったんじゃないか』って。
まあ――俺の悩みが多数派だろうが、少数派だろうが、関係はないんだけどさ。
マジョリティでも、マイノリティでも、俺が悩んでいるという事実は変わらないし、自分が多勢なのか
だから、将来についての話は、俺が答えを知りたいぐらいで、お前に答えてやれることはなんにもないんだ。
ごめん。
「……そうね。でもまあ、同じように悩んでる人がいるってだけで安心したかも」
シーラのまわりも、キラキラしている連中ばっかりだそうだ。
……ああ、違う。俺とは逆なんだ。
シーラの通う大学にいるような連中は、将来までビッチリレールが敷かれきっていて、そのまま進むことになんの迷いもなくって――
シーラだけは、そうではない。
そういうことらしかった。
「また時々遊ぼうか」
そうだな、と俺は言った。
そういうことで、と彼女は言った。
俺たちは自分の飲んだぶんだけを支払って、まだ日も高いうちから「またね」とわかれた。
俺とシーラはそういう関係でつきあいを再開した。
きっとまた、そういう関係で続いていくんだろうと思う。
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