63話 BL同人誌制作指揮からの卒業

「今回はきちんとした理由があるんだ」


 言葉というのは難しい。


 たとえば『おいしいリンゴを食べた時』、どのように表現するだろう?


 おいしい、とひとことだけ言うのが、おそらくもっとも間違いがない。


 だが人はなぜか『詳細に語らなければ』『なにかと比較しなければ』というような強迫観念を抱くようで、ただひとことですむだけのことに、なにかと装飾を加えたがる。

 その結果、相手に余計な情報を与えてしまって印象を悪くされることは多いだろう。


 今回のカリナのケースもそうだった。


 夏祭り。


 今年は時間に余裕を持てよ、いいか絶対に余裕を持てよ――三日に一度のペースで連絡し続けはや七ヶ月。「わかったわかった」「わかったよ」「わかってる」既読無視、未読……そんな日々が続いたあとの、案の定ギリギリになってからの夏祭り準備の時である。


 今回はきちんとした理由がある、と彼女は言った。


 それはもちろん『今回は(こんなに作業開始が遅れたのには)きちんとした理由がある』という意味の言葉で、前回までは理由なかったんだな、マジで、ということが、はからずも発覚した夏の日であった。


「今回は商業用の原稿をやってたんだ」


 読み切りが雑誌に掲載される流れになっているのだとカリナは言った。


 これは業界的に見てわりと類のないシンデレラストーリーであり(島サークルだとまずありえない展開らしい)、やっぱりカリナは英雄の天運の持ち主なのだろうと俺は確信する。


 英雄というのは『出会うべき人に出会うべき時に出会える人』のことだ。

 導き手が必要な時には導き手が現われ、仲間が必要な時には仲間に恵まれ、ライバルがほしい時にはライバルが出現する……そうして出会った人たちを綺羅星のごときスピードでぶっちぎって消し炭にしながら進んでいくのが英雄というものである。


 ぶっちゃけ、俺が中等部時代に屋上で彼女と出会ったのも、彼女の持っている英雄としての天運に導かれたものだった可能性がある。

 それが彼女の人生にどういうよい影響を与えているのかは、凡夫たる俺にはわからないが、たぶん、彼女の人生に必要な外付けパーツとして、俺の生命もあったのだろう。


 俺は前々から悩んでいる……そう、そもそも、俺はBL同人誌の制作指揮をやめようと思っていたところなのだ。

 理由は俺が英雄ではなく、綺羅星のスピードに振り落とされて塵にされる側だからである。


 だから俺は言った。

 もう俺はやめようと思っている。本当は前回言おうと思ったんだけれど、言うタイミングを逸して言えなかったんだ。だから今回は手伝うけれど、今回で最後だ。


「えっ、なんで!? やめちゃうの!?」


 俺は長生きしたい。

 しかしカリナたちの参加する祭りの準備は間違いなく寿命を削っている……俺は綺麗な部屋で毎日決まったタイミングで食事をし、適度に趣味に時間を費やし、決まった時間には眠りたいタイプなんだ……

 無理は楽しい。認めるよ。でもさ俺は……そんな生活をして心身を壊したくはないんだ。


 それに……

 誰かが心身を壊すのも見たくはないんだ。


 俺はなるべくみんなが睡眠と栄養補給ができるようにスケジュールを立てるけれど、それにも限度はある。なぜなら、一日は誰にでも等しく同じ時間だからだ。


 だから……余裕をもってほしい。

 食べて寝て片付けて、それで原稿をしてほしい。

 原稿! 原稿! 原稿!! 原稿!!!!!!!!!!

 ……みたいな生活はやめたほうがいいと思う。


 計画を立てればきっと、できるはずだからさ。


「……わかった。そうだね。私も勝手だった……『追い詰められなきゃインスピレーションはわかない』と言い訳して、追い詰められるまでずっとソシャゲの周回をしていた……」


 お前それは本当にふざけんな……と言いたいが、まだ言わなかった。

 俺は黙ってカリナの話の続きを待つ。


「……でも、わかったよ。スケジュールを立てる。そうしてきちんと、健康に漫画を描くよ」


 ああ、そうだな。それがいい。


「それでレックス――スケジュールってどうやって立てるの?」


 ……は?


「そんなもの立てたことないからわからないよ」


 俺は絶句した。

『スケジュールの立てかたがわからない』。

 どういうこと? なにを言ってるの? スケジュールの立てかたなんて、初等科の夏休みで覚えるものでしょ? ほら、円グラフ形式で一日の予定を描いてさ、カレンダーにおおむねのスケジュール書きこんで……


「レックス、私には未来のことなんかなにもわからない。……いいかい? スケジュールを立てるのは、能力なんだよ。特殊能力なんだ。なぜなら、私たちは、今日立てた週末の計画について、いざ週末になったころには興味を失っているような性格だから」


 サークルメンバーたちがすごいうなずいてる。


 えええ……なんだよその……いや、なにこの、なに?

 なにを話されているのかがわからないぞ……興味? 興味がなんでスケジュールに関係してくるの? 異星人と会話をしているのか俺は?


 スケジュールというものに対する認識が違いすぎて、俺たちの会話は全然かみ合わなかった。

 俺は混乱していた。俺の話している言語とカリナの話している言語が『似た響きの言葉でも違う意味をもつ言語』じゃないかと本気で疑った。

 ためしに『パンケーキ』と言った。

 カリナは「食べたいね」と言った。

 通じている。

 俺はますます混乱する。


「レックス、もう大変な思いはさせない。だから……私たちの一年間のスケジュールを、君に立ててほしい」


 えっ? なんで? なんでそうなるの?

 わかんない。俺もうぜんぜんわかんないよ。


「君なら漫画のネームと作業と仕上げにどのぐらいかかるかわかるはずだ……プロを目指す私が無理なく長生きできるように、スケジュールを立ててください。お願いします」


 えっうーんまあ無理なく長生きできるようにスケジュール立てるならいいのかな?


「やった! じゃあ夏祭りの準備をしちゃおう」


 ああ、うん。


 こうして俺はBL同人誌の制作指揮からカリナたちのスケジュール管理者にジョブチェンジした。


 これがのちのち、人生にまで響く決断だったと知るのは、だいぶあとになってのことである。

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