60話 俺たちの将来設計
俺が昔過ごした世界にはシンデレラストーリーという概念があって、それは夢を詰め込みまくったサクセス願望だった。
最下層で努力している者が、奇跡を味方につけ、権力者に見初められ、結婚する。
しかし現実にそんなことなどあるはずもなく――あるのかもしれないが、俺が経験するわけもなく――カリナもまた、『ネームを持ち込んでみてください』というようなお誘いなのであった。
書籍化確約では全然ない。
それでもカリナは嬉しそうに、「よかった……堅苦しい服装で面接とか絶対したくなかった……よかった……」と喜んでいた。
まだ全然なにも決まってないが、彼女が嬉しそうならいいのだろう。
堅実を旨とする俺としては、そんな『ギャンブル場にようこそ』みたいなお誘いはなんにも安心できる要素がないのだが、だからといって他者にまで堅実を求めるのは違うだろう。
人は人、俺は俺。
この認識を誤って痛い失敗をしてきたことも、失敗をしている者を見たことも、たくさんあった。
今、この世界で『人類』を名乗っているのは同一思考で動く『単体生命とその情報収集端末』ではなく、一人一人違った信念や思考をする『人間』なのだ。
だから人が俺と違う決断をし、違う信念をもって行動するのは、当たり前のことなのであった。
……年上で親しくしている二人が、立て続けに将来の方向性を定めていく。
俺はまだ一年生で、通う大学は四年制だ。
暫定で教員の道に進むことを決めている(いきなり専業主夫だと世間体が悪い)ので、『将来』についての悩みはない。
悩みがないのはいいことだ。
悩まなければストレスもない。ストレスは寿命を削る……ストレスが強すぎるとまぶたがケイレンしたり、寝てるあいだに歯を食いしばりすぎてアゴと歯を痛めたり、顎関節症になったり、耳鳴りがしたり、動悸が激しくなったりする。
だが、たしかに徐々に重みを増していく『将来』というものには、進路をすでに決めている俺とて圧力を感じる。
カリナが心底からこぼした『堅苦しい服装で面接とかイヤ』というのは俺もまた思うところだ……しかも教員を目指すなら教育実習がある。
堅苦しい格好をしてアホガキどもの輪に乗り込まなければならない……
ウッ! ストレスが!
小中高どこが一番楽なのか、あるいはやはり保育士ルートに進むべきか(学部的に可能だ)。それとも世間体など配慮せずにいきなり専業主夫として進むべきか……
将来は無限に見えた。
しかしそれは幻で、俺から見えているルートは、実際に向かってみたらすでに『道』ではなく『壁』だということさえ、ありうるのだ。
人は人、俺は俺――だが、俺の将来は、ちょっとミリムとも話し合ってみるべきかもしれない。
こないだカリナたちとの祭り準備にさそわなかったことをなんだかすごい言われるので、ちょっと距離をおいていたのだが、いい機会だし話しかけてみよう。
……緊張するな!
ちょっと距離をおいていた、といっても二日ぐらい連絡をとらなかっただけなんだけれど、それでもなにを話していいかわからない……どう切り出せばいいんだ!
だが俺は百万回転生した十九歳。
メンタルコントロールには自信がある。
『目立たない』と三回唱えて平常心を取り戻す。この言葉とともに生きてきた俺にとって、もはや『目立たない』という言葉は本来の意味を失い、呪文の領域に達している。唱えるだけで平常心を取り戻せるのだ。
この言葉とともに俺は数々の難局を冷静にのりきってきた……
一番古い記憶は初等科一年生のころだろうか。懐かしい……当時は『女と遊ぶなんてダセーよな!』みたいな風潮があって、そのせいでミリムと遊んでいる俺も『女と遊ぶな』と言われた。
その時に俺は『目立たない』と三回唱えることで冷静にマーティンを説き伏せ、目立たずことを終えたのだ。間違いない。俺は記憶力には自信がある。
だから俺は今回も『目立たない』と三回……いや、念のため三の三乗回ぶん唱えてからミリムに連絡した。
最近どう?
「え、なにが?」
怒ってはないがびっくりしているようだった。俺もびっくりした。なんだ『最近どう?』って。俺はなにを口走っている……そこからどう会話を転がすつもりだ……? やばいな、全然わからない。
しかし俺は目立たない。じゃない、冷静だ。冷静に会話を続けよう……昨今の社会情勢には不安がつのるばかりで、未来のことを思うと心が重くなるばかりで、私は生きていくという不安に耐え切れるのか、生きていきたいというこのささやかな大それた願いが本当に叶うのかわからなくて、だから君の声を聞きたかったんだ。
俺は即興で歌い上げた。
「だいじょうぶ?」
よし、心配を引き出した!
計算通りだな!
けけけけ計算通りだな!
深呼吸が必要だった。
そういうわけで将来について話したい。俺はどうしたらいいんだろう?
「まかせる」
じゃあしばらくは共働きでお願いします。
「うん。ついていくから、誘ってね。なにするにも」
わかったわかった。
こうして俺たちは仲直りした。
将来設計について話そうとしていたことを思い出したのは、通話を終えてだいぶ経ったあとだった。
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