53話 想像・共同生活

 俺の十八年間は平穏だったと、ここに認めよう。


 俺は百万回転生をしてきた。

 それら人生において危機的状況におちいらなかったことなど一度もなく、人生は誰かに奪われるためのプレリュードを奏で続けていた。

 安寧とは『よりひどい未来』への前振りだ……そう、思っていた。


 けれど、この人生は違うんじゃないか?


 ただ優しく、ただ平和で、ただ報われているだけなんじゃないか?


 もちろん、俺の心は安心したがっている。俺ばかりではなく、人は『いつまでも危機的状況にあり続ける』ということができないから、どんな危機的状況でも心が勝手に安心感を覚えるようにできているはずだ。

 それもふまえたうえで『一秒先に起こる危機』を想定し続けている俺ではあるが、さすがにもう、警戒をして生きなくてもいいのではないかという気持ちになっていた。


 そんな俺のたるんだ精神を引き締めてくる事件が起こったのは、住む場所もだいたい決まり、あとはハンコ――親指を使って押す魔術的な刻印のことだ――を押すべき書類の完成を待つばかりとなったある日のことだった。


「……いっしょに、暮らさない?」


 あんまりにも出し抜けに言われて、俺は困惑するしかなかった。


 だって俺たちはそういうあいだがらじゃなかったはずだ。

 たしかに『一人暮らし始めるんだよ』という話はしたし、遊びに来いよ的なことも言ったと思う。

 俺たちの仲は悪くはなかった。長い時間をいっしょに過ごしたクラスメイトだ。

 競い合い、戦い合った。……時にはすれ違いからケンカのようになったことだってあったけれど、俺たちの関係は深刻な亀裂が入ることもなく、続いてきた。


 だけれど、一緒に暮らすとなると、また話が変わってくる。


 俺たちはきっとうまくやっていけるだろうという予感は、たしかにあった。

 相性のよさはつねづね感じている。それは、つかず離れず、ぶつかり合っても深刻にならなかった今までの人生が証明しているだろう。


 だからこそ、俺は緊張を思い出す――『うまくいきそう』と思ったことほど、意外なことが起こり、うまくいかない。

 そういうことをなん度となく経験してきたことで、俺は『いっしょに暮らそう』という提案に安請け合いせずに踏みとどまることができていた。


 けれどそいつは言うのだ――いっしょに暮らせば、色々なメリットがある。家事の手間は半分、家賃も半分、そして、悲しみも半分こできて、笑顔は二倍だと。


 その発言を聞いて、俺はようやく決断できた。


 お前とはいっしょに暮らせない。

 なあ、そうだろう――マーティン。


「なんでだよ! 笑顔が二倍だぞ二倍!」


 マーティンは短絡的なので、そういうふんわりした感情論で動く。

 だが俺はそこまで短絡的になれない……むしろ最後に『悲しみが半分』とか言われたあたりで、ゆらいでいた心が『無理』という方向に決まったぐらいだ。


 お気持ちにうったえかけるのは、詐欺の常套手段である。


 家事の手間が半分とは言うが、家事には『こだわり』が出る。

 修学旅行中のマーティンの様子など見るに、服は脱ぎ散らかしっぱなし、荷物はぐしゃぐしゃにして部屋の真ん中に放り出しっぱなし、靴はベッドに寝転がると足をぶんぶん振って脱ぎとばし、泥落としもしない。


 マーティンと俺では『家事ができる』にもとめるランクがあきらかに違う。


 マーティンが『整理できてる』と言う時、俺は『整理整頓をなめるな。自分が場所をわかってればいいってものじゃねーんだよ』と思うし、マーティンの料理は『火を通せばたいていのものは食べられる』という信念だけがあり、俺の料理は『食べやすく作りやすく片付けやすくおいしいものを安く仕上げる』という信念によって作られるものだ。


 この差異は必ず軋轢を生むだろう……

 危なかった。頭の中で以上の特徴を持つマーティンとの共同生活を想像してみたが、俺がマーティンを殺して牢屋に行くルートが八十パターンぐらい想定された。

 この世界は誰かを殺すことのリスクがあまりにも大きい。想像するだにマーティンへは殺意がわいて、もう『死ね』って感じなのだが、その殺意に振り回されて俺の人生がだめになるのは避けたいところだった。


「お前、神経質だもんな……」


 マーティンの無神経さも基準値を大幅に下回っていると思うが、たしかに俺の神経質さも『特徴』と言えるぐらいのものではあるかもしれない。

 俺たちはどちらも中庸ではなかった。

 俺は住環境をぐしゃぐしゃにされるのがけっこう我慢ならないほうなので、マーティンと共同生活をするさいに抱えるストレスは殺人級のように想像されてならない。


 俺はそのことをマーティンにもわかるように伝えることにする――死にたくなかったらそれ以上口を開くな……


「わかったよ。でもさあ、お前もそういうとこ、直したほうがいいって。人生はゆずりあいだぜ。そんなんじゃモテねーぞ」


 俺の脳裏にはすぐさまミリムの存在が浮かんだ。

 けれどミリムとはあくまでも試用期間中なので、自慢げに語るのはちょっとはばかられる。

 なので話題を逸らすことにした――お前こそテキトーすぎてモテないんじゃないか?


「大学行ったらガンガン彼女作ってガンガンいくからヘーキヘーキ」


 ガンガン彼女作る――それはなんだか『私は禁酒のベテランです。もう三十回も禁酒してますからね』みたいな響きに聞こえたのだが、その印象をマーティンに正しく伝えるのは、かなりの苦労がともなうような気がした。


「まあとにかく、家具とか見に行くの付き合うよ。気分変わったら、いっしょに……暮らそうぜ」


 なぜタメて言った。


 こうして俺は警戒心を取り戻す。

 大学生活もまた、マーティンのような罠師がたくさんいるだろう。


 この世界はそう危険でもないが――

 やはり安全でもない。


 そのことをかみしめながら、俺たちは卒業していく。

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