36話 年長者の矜持

「うん、実はね、進路のことでお父さんとモメて……レックスくんの家に行くって言って飛び出してきたの」


 ここで俺が一人暮らしならばドキドキするところだが、俺は普通に両親と一緒に住んでるし、アンナさんも「これ、おばさんにお土産……」と紙袋を示した。

 アンナさんが俺を頼ったのは、俺の両親の存在が前提である。

 むしろ俺を頼ったんじゃなくて、俺のママを頼ってるまである。


 そうなのだった――俺はアンナさんと長いつきあいだ。そして、俺を挟んで、アンナさんとミリムも長いつきあいになる。

 俺たちは定期的に俺の家で遊んでいたあいだがらなのだ。


 そうなると自然な流れで、うちの母とアンナさんも長いつきあいになる。


 こいつは盲点だ。

 幼いころの記憶。三人だけで遊んでいた思い出。そこには俺とミリムとアンナさんしかいなかったけれど――オヤツもジュースもママが出してくれたものだし、アンナさんやミリムが遊び疲れて眠ってしまうと、それをベッドに運んだのもママなのである。


 俺はとりあえず携帯端末でママに連絡した。


『急に夫婦で旅行行くとかしない?』


『どうして?』


 ママからの返信はよくわからないスタンプがくっついてきたので、俺も使いどころのないスタンプを送り返し反問をスルーした。


 というかアホか!

 ママたちを追い出そうみたいな意図が見えるメッセージのあとで『アンナさんがうちに泊めてほしいって』って言うのかよ!

 俺が二人きりになりたいと思ってると思われるじゃねーか!

 思ってるけど! ちょっとね!!


 俺はアンナさんのことが好きだった。

 愛してるかと聞かれるとそんな積極的な気持ちはぶっちゃけないんだが、なにかの間違いで告白されたら喜ぶぐらいの、そういうアレだ。綺麗な表現で述べれば『あこがれ』になる。


 いやしかし聖女聖誕祭の夜に呼び出されたらなにごとかと思うじゃん。

 俺はちょっと怒った。この怒りはなにかを期待しててそれがスルーされたからとかそういうのは全然なくって、ほら、なに? 寒いからさ。外で待ち合わせなくても直接うちに来たらいいじゃん風邪ひくよって、そういうアレ。


「うん、その……いきなり家にお邪魔するのも、ちょっとなって……あ、うん。いきなり連絡しておいて、なに言ってるんだろうって思うけど……」


 アンナさんは金髪をいじりながら目をふせた。

 ハァ~……美人。


 俺はアンナさんの横顔を写真フォトに撮ってミリムに送信した。


『二人であってるの? わたし誘われてない』


 すぐに返事が来た。

 ミリムは俺がどこか行く時、常に誘われたがっている……いや、今回に限っては、俺とアンナさんがセットでいるっぽいのに自分がいないから不満なんだろう。


 というか俺は気が動転してるようだった。

 落ち着け。落ち着きを取り戻せ。だいじょうぶ、俺は理性で感情を支配した十六歳だ。


 俺はアンナさんをうちに泊めていいかの旨を連絡した。

 ママに連絡したつもりが、間違ってミリムに送ってしまった。


『いいって』


 いいのかよ。

 どうしよう、冷静になろうと深呼吸して何度も冷たい空気を吸い込んでいるのに、俺はあわてふためくばかりだ。

 だが俺は自己客観視ができる十六歳なので、おたおたする自分の姿を客観的に見てみた。

 ハハッ、ウケる――聖なる夜に女性の前で慌てふためく十六歳男子がそこにいて、それがもしも自分でないのなら、ほほえましいか、あるいはおもしろい光景だったが、残念なことに俺自身なのだ。


 しょうがないから俺は告げた。アンナさん、泊まっていいってさ。ミリムファミリーが。


「えええ? どうしてミリムちゃんのおうち……?」


 俺のミスなのだが、これ以上醜態をさらしたくないので、話を逸らすことにした。

 進路でモメた――あれほど順調な人生を確固たる足取りで歩んでいたアンナさんが、なぜそんな大人の機嫌を損ねるようなことをしたのか……俺はそれが気になっていたのだ。


「私は音楽の道に進みたいんだけど、お父さんがあとを継げって」


 まあ音楽家よりは医者のほうが堅実だし、子供に堅実な道を選んでほしい親心はわからないでもない……

 アンナさんのうちの子が俺だったら、俺は喜んでアンナパパの方針に従っただろう。

 俺は人生にレールを敷いてもらうのが大好きだ。無個性に大人の言うことをハイハイと聞いてるだけで天寿をまっとうできるなら、願ってもないことなのだ。


 しかしアンナさんの深謀遠慮が俺にもわかる。

 レール通りの人生はレールがあるうちはいいのだが、自分でレールを敷いていない以上、いつそれが崩れるかがわからない。

 すなわちリスクヘッジだ。レールの外にあることをしていないと、レールがなくなった時に生きていけなくなる。

 しかしまあなに、別に病院経営とかやらなくても、医者の資格さえあれば音楽家よりは食っていけるイメージあるし、べつにリスクヘッジじゃなくて、普通に音楽やっていきたいのかもしれない……アンナさんは昔からピアノに熱心だったしな。


「レックスくんはどう思う?」


 俺? 公務員とか好きだな。

 とか答えたらアンナさんからの信頼度が下がるのが目に見えているので、俺は考えた。

 しかし俺は安定を好むので、安定を捨ててまで音楽の道に進もうというアンナさんの情熱がさっぱり理解できない……困ったな。俺はアンナパパ側の人間らしい。

 というかアンナさんが乗らないならそのレール俺が乗りたいわ……


 くそ、どうにかしてアンナパパの敷いたレールに俺が乗る方法はないものか……俺は家督乗っ取りに思いをはせた。

 合法的にアンナ家の家督を乗っ取るには、アンナさんと結婚するしかないだろう。

 結婚か……アンナさんと結婚……うーん、したい。美人の年上妻がほしい。家督なくてもしたい……


 けれど俺は安定至上主義を標榜していながら、そのためにアンナさんを利用するのは死んでもごめんだという両立しがたい二つの主義を持っていた。

 この二つの主義はまったく均衡ならざる天秤の両皿にのっており、アンナさんを利用したくないという思いは、安定至上主義側の皿になにを乗せても釣り合わないほど重い。


 うーん困ったな……俺たちは雪の降りしきる聖なる夜の街を歩き始めた。

 困ったな。ここでなにかこう、格好いいこと言ってアンナさんの生きる道を示したい……

 俺は十六歳、アンナさんは十八歳。ただし俺は百万回転生した十六歳だ。生きた年数はアンナさんの百倍ではきかない。


 年長者としてなにか気のきいたことを……うーんうーん。俺たちは歩き続ける。俺は考え込んでいて無言で、アンナさんも無言だ。

 繁華街から遠ざかる俺たちの耳には、遠くの喧噪と雪を踏むサクサクという音がとどくのみだった。


 うーん……悩んでいるうちに住宅街に入った。明かりのともった家々の中には気合いを入れてイルミネーションをほどこしているものもある。よくやるなあと半笑いになりながらその家の横を通り過ぎる。ちなみに俺の家だ。ママがこういうの好きなんだよな……


 うーん……悩んでいるうちにちょっと造りの変わった家の前にたどりついた。妙に庭の広いデザインのその家はミリムのハウスだった。

 俺はインターフォンを押した。応じたミリムに『オレオレ。オレだけどさ』と告げる。なぜこんな詐欺みたいなことをしているのか、そこに大した理由はなかった。


 というか気の利いたことを言えないまま、ミリムの家についてしまった!


 こればかりは肉体のせいではない。魂に刻みついた悪癖だ――難しい状況になると『停滞』を求めてしまう。これは俺の安定を求める精神性と切り離せないことだ。

『賭けに出ない』――その方針自体に間違いはないと思うが、賭けに出なければどうしようもない時まで立ち止まって無言でやりすごそうとするので、そのせいで命を落としたことすらあった。

 だがどうにも治らない――だが、だが、俺は人生百万と一回目。今ここで変わらない? だったらいつ変わるの? 今でしょ! 俺の中の塾講師の魂が叫ぶ。


 アンナさん――


「あ、レックスくん、ありがとうね。……巻き込んじゃって本当にごめんなさい。この埋め合わせはいつかするから」


 そう? 楽しみにしてます!


 俺は手を振ってアンナさんとわかれることにした。……いやわかれるな! なにも言えてないよ!

 けれど俺の百万回の人生をひっくり返しても、進路に悩む十八歳の才媛に言える言葉なんかなに一つ出て来なかった……

『命か誇りか』みたいな選択なら死ぬほどしてきたし実際に死んでもきたが、『進路どうしよう』とかいう『どっち選んでもまあただちに命に別状はなさそう』みたいな選択はしたことがない――そんな平和な状況、今までの人生で一回もなかった。


 だから俺はなにも言わずにクールに去るぜ。

 ミリムハウスに背を向けて歩き始める。目指すのはビカビカイルミネーションがまきついた我が家だ。

 イルミネーションを巻いてる最中、『家が苦しそう』とかいう感情を初めて抱いた我が家……


 まあ明日だ。

 一晩眠ればなんかこういい感じのセリフも思いつくだろう――

 そうして俺はミリムに「いっしょに泊まらないの?」と聞かれていやさすがに……ってなりながら家に帰り、今日の顛末をママに話し、眠って、それから翌朝、別になにも思いつかないので普通に学校行ったのだった……

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