26話 デニール

『目立たない』という命題と向き合い続けながら生きている。


『目立たない』『目立たない』『目立たない』。

 毎朝三回唱えて鏡を見る。


 目立つことは愚かなことだ。目立てば『敵』からも注意を向けられる。『勝利』とは『戦い、勝つ』ことではない。

 俺にとっての勝利は『生ききる』ことで、それはようするに『殺そうとさえ思われない』ことだ。


 ならば俺が目指すのは路傍の石にほかならない。


 道ばたに落ちている石に殺意を向ける者がいるだろうか?

 そこそこの大きさの石ならば、なんの気なしに蹴飛ばしたりするかもしれない。けれど指先でつまめるぐらい小さな石ならば? そう、俺は小さな石になりたかった。誰にも見られず、なににも関心を持たれない、路傍の小石。


 そのためにはなにより目立たないことだ。

 初等科課程以来俺はずっとその目標に向けて全力でとりくみ続けていた――シーラという女がいた初等科時代に、この目標を達成できたとは言いがたい。

 だが、今、シーラはおらず、俺のクラスにも、シーラのようにやたらと俺に張り合うヤツもいない。


 俺はただ生きればいい。

 部活動をやらず、委員会に属せず、とにかく注目を浴びないように……


 ところで中等科二年生に進級するとほぼ同時、俺は生徒会に所属していた。


 アンナさんから「レックスくん、生徒会に入ってくれない?」とお願いされたからだ。


 アンナさんは元生徒会長という役職である。

 この学園において、生徒会のメンバーが後輩に生徒会入りを打診するのは珍しいことではない。


 だけれどなぜ俺なのだろうという疑問は残る。

 俺は当然、問いかけた。あ、あの、その、アンナ先輩……俺を頼ってくれるのはうれしいんですけど、なんで俺なのかなあ、って……


「生徒会って雑用が多いし、時間もとられるし、いいところが内申点しかないのよね。だから、ほかの子には頼みにくくて」


 アンナさんはデメリットしか語らなかった。

 そんなものを受ける筋合いはない――そもそも『生徒会』という組織は『教師からある程度の権限をあたえられ、生徒を監視する役割』だ。

 つまり、大人たちの手先みたいなものである。


 洗脳された者の中でも、より大人に従順な者が、『内申点』というエスカレーター進学においてほぼなんの役にも立たないものをエサに就かされる雑用係にしかすぎないのだ。

 しかもことあるごとに生徒の前に立つから目立つポジションなのである。


『目立たない』という目標をかかげ、なおかつ洗脳教育から脱し闘争心を失わぬよう心がけ生きている俺にとって、生徒会など所属するメリットが一個もない。


 その結果、俺は中等科二年生課程開始と同時に生徒会に所属することにした。


 ……なにが起こっているんだ!?


 わからない。なぜ俺は生徒会に所属してしまったのか……メリットなんか一個もないって思ってたはずだろう。だからやめようと思っていたはずなんだ。

 でも俺は気づいたら必要書類を仕上げて生徒会室の門をたたいていた。


 いくつかの可能性を考え、俺はようやく、俺が生徒会に所属してしまったもっとも大きな理由に思いいたる。


 アンナさんの存在。


 彼女は幼少期の俺を管理していた存在だった。保育所時代に出会い、今にいたるまでずっと細々とだが交友のある相手なのである。

 生徒会はマジでいそがしいらしくて中等科に進んでからはあまり連絡を密にしていなかったものの、会えばそれなりに話すし、彼女は姉のように優しく接してくれる。


 すなわち俺は弟扱いされていて、それのなにが困るかっていうと、アンナさんは俺との物理的距離が常に近い。俺以外に接するのより半歩ほど近いのだ。


 そしてこれがもっとも重要なことなのだが……アンナさんは美人だ。

 これが遠目に見ると女神かと思うようなブロンドの美女であり、背が高くすらりとした体つき、頭は小さく頭身が高く、おまけに足には黒タイツときている。

 タイツ……俺はもちろん思春期男子だから、肉体に精神が引きずられており、女子の体には人並みに興味がある。

 タイツと言えばその体をぴったりと覆い隠すものにほかならない。できたらなんかのウッカリで裸とか見たい俺にとってタイツは敵と言えた。

 敵と言えるのに、タイツのおかげで俺がアンナさんの脚を見る時のドキドキは三割増ししている。


 なぜかわからないから俺は調べた。『知らない』ならば『知る』――これこそ、俺が未知なるものにいどむ時の心構えである。

 その結果、俺はタイツの目のあらさの単位が『デニール』と呼ばれていることを知る。

 さらに綿密な調査の結果、アンナさんが愛用しているタイツは60デニールであり、一見して真っ黒なのだが、ほどよい透け感を醸し出す、上品にして淫靡なるその『60デニール』という単位に俺は夢中になり、結果、最近は『60』という数字を見聞きするだけでちょっと興奮するようになってしまった。


 60デニールのタイツをはいた金髪碧眼の美女が、手を伸ばせばとどきそうな距離で『生徒会入って。お願い』と言ってくる。

 俺の精神力では、そのお願いをはねのけることができない――『あ、は、はい。わかりました。アンナ先輩の頼みなら、なんだってやっちゃいますよ』とまごまごしながら答えるのが限界である。


 かくして俺は生徒会に所属することになった。


 目立たない――この目標の邪魔をするシーラがいなくなったと思ったら、意外なところから伏兵があらわれ、俺を注目の集まる場所に追い込んできたのである。


 だが、俺は思い出す。

 アンナさんはそもそも伏兵でさえなかった。


 なぜならば……

 俺が『廊下に名前が張り出される』という危険を冒してまで成績上位者で居続けるのも、勉強を教えてくれているアンナさんのためだったのだから。


 アンナさんは最初から俺を目立つ場所に追い込むための活動をしていて――

 俺は美人なおねえさんに逆らえない……

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