12話 来年の話

 俺が四歳になった年の暮れ、家に来たアンナがやけにニコニコした顔で俺に告げる。


「レックスくんも、来年はアンナとおんなじ『ようちしゃ』だね!」


 俺はおもちゃの車をいじる手を止めてハッとした。

 そうだ、俺が幼稚舎入りするまでもう半年も残っていない――また無為に時間を過ごしてしまっている。


 いや、まったくの無為ではないのだろう。保育所での生活は充実したものではあったのだ。

 二歳になったミリムはもうとっくに俺の手を離れているのに、ずっと俺の後ろをついてくる。そのチョコチョコした歩きかたを見るたび俺の心には充足感がわき起こり、永遠にこいつを手放したくない気持ちでいっぱいになった。


 だからこそ別れの時はつらい……

 最近はアンナもミリムもものすごい頻度で家に来るし、なんなら今も部屋で三人で遊んでいるのだが、保育所で会えなくなると思うと、寂しさはやはりつのる。


 だが一方で幼稚舎にはアンナがいる。

 まあ年齢的に俺が入舎するころ彼女は卒舎してるのだが……


 年上の頼れる女性である彼女は、幼稚舎であったさまざまなことをしつこいぐらいに俺に教えてくれる。

 さっきから俺はまったく興味なさそうな顔をして聞いているのに(実際に興味がわかない)、アンナはまくしたてるように幼稚舎であったあんなことこんなことを話し続ける。


 それはきっと忠告なのだ。


 幼稚舎にかようぐらいのおにいさんになれば、いよいよ『世界が持つ悪意』も、俺に本気で手を伸ばしてくる可能性が高い。

 世界はつらく苦しいところだ。例外はない。百万回の転生経験があるからわかる。優しい世界はないし、平和なんてもっとない。

 だからこの世界もつらいところに決まっていて、『敵』は必ずいる。……だというのに、この世界は『平和』という薄っぺらな嘘テクスチャを堅固に維持し、その本当の醜い姿をさらすことがまったくない。


 ならばこの世界では多くの人が『平和』を作るために礎にされている。

 ママもパパもおじいちゃんもおばあちゃんも、悪意をもって俺をVIP待遇し油断させているのではなく、ただ世界がおこなっている洗脳教育の結果、この世界を本当に平和・・・・・なのだと思い込んでいるのだ。


 子供に優しく。

 人に情愛をもって。

 みんな仲良く。


 すばらしいことだ。目もくらむほどまばゆい平和だ。

 全員がそれを美徳と思う教育を受け、他者に情愛をもって接している。――洗脳されているせいで!


 ……ん? それはどういうことだ? 洗脳されていても人々が他者を思いやっているなら、それはいいことなのでは?

 あれ?


 ………………

 四歳の脳には難しいことを考えたようだ。

 頭がクラクラしてきた。


 かつて『考える器官』だけしかない情報生命体だったこともある。その当時の肉体であればなんらかの答えを得られたのかもしれないが、今の肉体ではこれ以上の思考は無理そうだ。


 ともかくアンナは無作為に思いつくまま情報をしゃべることで、幼稚舎でほどこされる、より厳しい洗脳教育について俺に忠告をしてくれているのだ。

 さすが五歳のおねえさんは賢さが違う。

 俺はその情報にまったく興味がもてなくて、多くを聞き流してしまっているが(おそらく保育所の洗脳教育のせいで、重要な情報に興味を抱けないようにされているのだ)、アンナのもたらす情報は貴重だ。あとでヒマな時とか思い返して検討してみよう。


 だが今の俺はいそがしい……

 毎日考えるべきことがある。

 それはもちろん『魔法』についてだ。初等科で習うという魔法……それはどんなものなのか、どういうことなのか、そういったことを考えながら、おもちゃの車を事故らせたり戦わせたりするので毎日いそがしい。ぶいーん。ぶおーん。ききー! どかーん! トラック転生!


 なん人目かの人をトラック転生させ、なん人目かのトラック運転手の人生を壊したところで、不意に興味が尽きて、俺はその場で横になった。

 俺が横になるとまずはミリムが俺の隣で横になり、反対側にアンナも横になった。

 両側を美女に挟まれながら俺はなにかを考えようとした。魔法のこと、幼稚舎のこと、この世界でどうすれば天寿をまっとうできるか……そういうことを考えようとしたのだと思う。

 けれど俺の頭はすぐに車のおもちゃのことでいっぱいになった。消防車……真っ赤な大きい車だ。大きくて赤い。つまりカッコイイ。ほしいけどパパもママも買ってくれない。なぜって先週、すでに新しい車を買ってくれたからだ。今度おばあちゃんにねだろう……


 俺たちは眠った。

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