ファンにもお節介を焼く新井さん2
その女の子がぎゅっと握っていた真っ白な色紙と油性マジックを俺に手渡す。
「あの…………かすみへって書いてもらっていいですか?」
「いいよー。愛しのかすみちゃんへっと」
「うわあ、嬉しい! ありがとうございます! あのそれと握手もしてもらっても……」
「いいよー。生握手ね。にぎにぎ……。きれいなお手てしてるな、かすみちゃん。写真は? ケータイで撮ろっか?」
「え!? いいんですか!? お願いします」
かすみちゃんは、前に並んでいた知らんお兄ちゃんにスマホを渡して、2ショットサービス。
「肩に手を回してあげようか?」
「え!? 恥ずかしくて死んじゃいますけど、お願いします!」
どうよ。こっちからファンを煽っていくスタイルは。
「はい、チーズ」
「お、よく撮れてるね」
「はあ………。今日来て本当によかったです。このサイン色紙、家宝にさせていただきます!」
「そんなに喜んでくれるなんて、俺も嬉しいよ。それでは………サインと握手、2ショット撮影で、お会計1万2000円になります。まあ、肩組みの分はサービスしといてあげるよ」
と、ウケ狙いでそう言ったのだが、この子は財布からお札をを取り出して……。
「思っていたよりもお安いですね!はい、ちょうど1万2000円です!」
「あ、冗談ですよ?」
「分かってます!新井さんですもんね!」
「どういう意味?」
「そういう意味です!」
どういう意味ですか。
「ところでさあ、かすみちゃん。何で今日はファンショップに行列出来てるの?何目当て?」
「あら。それはもちろん、新井さん目当てですよ! なんたって今日は、新井さんのレプリカユニフォームの発売日なんですよ」
「え、そうなの? てか、まだ俺のユニフォーム売ってなかったの?」
「そうなんですよ。なんだか、製造過程で不具合が出たり、噂では作るのを忘れていたということもあったりして。
だいぶ発売が延長してたらしいんですよね。でも、新井さんの1軍復帰の日に初出なんて、なんだか運命的で、これは買うしかないですよね!そのために今日は私早起きして、はるばる宇都宮までやってきました」
「へー、そうなんだ」
「じゃあ、ここにいるファンはみんな俺のユニフォームを買いにきたの?」
「そうだと思います」
「ここにいる方々がみんな?」
「そうです」
「1着8000円するレプリカユニフォームを?」
「そうです」
「開店前から並んで?」
「そうです」
「こんなに暑いのに?」
「そうです」
「………塩アメ、食べる?」
「いただきます!」
彼女は答えると、差し出した小さなバスケット型の入れ物から、塩アメを取り、その包みを開いて、ニコニコのままパックンチョ。
「………んふふふふ。この甘じょっぱさがたまりませんね!」
右側の頬をぽこっと膨らませて嬉しそうにしている。
そんなことがありながら、練習もありますからとファンの皆様とはバイバイ。
勝手にクラブハウスの備品を外に持ち出すなと、ポットを抱えたまま、パートのおばちゃんにこっぴどく叱られた俺は、涙目になって室内練習場へと向かう。
そこでは、レギュラーではない野手陣が、全体練習前に、自主練習に励んでいた。
ある選手はマシン相手に打ち込み、ある選手はティーバッティングでバットを黙々と振り込む。
俺は特に口出しすることもなく、軽く挨拶だけをして、鏡の前で素振りをしながらフォームチェック。
昨晩、鍋川さんには偉そうに言ったが、それはそのまま自分にも言っているようなもの。
バットを最短距離で出せだの。体に巻き付けるように振れだの。下半身をもっと使えだの。
パワーのない俺がプロのピッチャーのボールを打ち返すためには、絶対に忘れてはならないこと。
それを1つ1つ思い出しながら、俺は鏡の前でひたすらにマスコットバットを振り込む。
人に教えることが自分への確認に繋がるのだからね。
決して手前味噌ではないが、鍋川さんにとって有意義な時間だったのと同じように、俺にとっても、バッティングをレクチャーしていた時間は意味があるものだ。
そう思えるように、今日もまずは1本。自分らしいヒットを打ちたいところである。
だからこそこうして早めにスタジアムにきて、気持ちと体の準備をしているわけですよ。
室内練習場に来ていた面々がそろそろフリーバッティングの時間だから、スタジアムに行きますかと移動を開始。
最近調子が上がってきて、首脳陣からの評価も急上昇中である、同じルーキーの浜出くんが俺に絡んできたりして。
ほんじゃあ、一緒にスタジアムに移動するかーと、トテトテ、ガヤガヤしながら外に出た。
そして再び、室内練習場外の渡り廊下的なところに差し掛かったところで遠くの方に見えたのは………。
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と、なっているさっき塩アメをペロペロしていたピンクTシャツの女の子。
慌てて近寄ると、開店したファンショップの陰で、あんなにニコニコしていたかすみちゃんが今はシクシクと泣いていたのだ。
どうしたのと、声を掛けると、彼女は…………。
「私の………私の、目の前で………新井さんのユニが………うっ、うっ…………売り切れになってしまいました………………40着あると聞いていたのに…………」
「………え?………売り切れ………?」
彼女が並んでいたのは、あの時点でちょうど30番目くらい。
40着もあったら、十分買えるポジションにいたはずだ。
「私も………買えると思っていたんですが………。新井さんが皆さんに麦茶を振る舞った後……ファンの方が………素晴らしい気遣いだと、みんな感激してしまいまして………ぐすっ………気分をよくして、2着3着買う方が続出して………売り切れになってしまいました………」
ええー…………。そんなことあるの………?
「せっかく、せっかく…………漁師の船に忍び込んで………島から出てきたのに…………」
え? 船に忍び込んで?
どゆこと?
でも、ちょっと楽しそう。
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