みのりんを焦らす新井さん

2打席目はフォアボール。



そして3打席目。



1アウトランナー1塁。



2番打者として1軍に戻るつもりなら、いいシミュレーションシーンだ。


試合はビクトリーズが珍しく3点リードで、ベンチからのサインは特になし。




せっかくならば、エンドランとかそういう作戦をやってみたいところなのだが、ベンチのおじさん達はじっと打席に入る俺のおケツを見ているだけで何も言わない。



とりあえずここは、きっちりとした右方向へのバッティングでランナーを進めたいところなのだが。




アブなっ!!



ピッチャーの投げたボールが俺の胸元をえぐる。


そう簡単には打たせないぞと言わんばかりの相手バッテリーの攻め。


もう俺が流し打ちしかしないのは東日本リーグの中では知られているみたいで、これからはこういう攻め方をされることが増えるかもしれない。


次の球もインコース。



次もインコース。


そのまた次もインコース。




くそー、しつこいなあ。




1打席目にヒットを打っていることもあってしつこくインコースを攻められて3ボール2ストライクのフルカウント。



ここでランナーがスタートして、投球はまたしてもインコース。



右方向に打ちたかったが、インコースいっぱいでそれは無理と、とりあえず最悪でもゴロを転がそうと素直に引っ張る打撃。


ガキッ!


バットが折れちまったんじゃないと思うくらいのどん詰まり。


しかし打球は広く空いた三遊間の真ん中を転がる。



サードが届かず、2塁ベース寄りにいたショートも打球の方向に手を伸ばすだけ。


ボテボテのゴロがレフト前へと抜けていった。



はあー、いてえ。すげービリビリしびれてる。



でも、痛嬉しい。


やっぱりどんな形であれ、ヒットになるのは気持ちいい。



右手に残ったこの痺れがむしろいいスパイスとなって、ヒットの美味しさを倍増させる。



生きてるって感じがする。



「新井さん、代走っす」


「え?」


3塁コーチおじさんのサインをチェックしようとすると、昨日メシに連れていった内の1人がヘルメットをかぶってベンチから現れた。


そして、にっこり笑いながら、右手を俺に差し出す。


えー、代走? という顔でベンチを見ると、腕組みしたヘッドコーチが早く戻ってこいと言わんばかりに手招きしていた。



ちぇー。もっと試合に出たかったに。5回でもう交代かよ。



まあ、仕方ないかとは思いながらも、俺はちょっとふてくされるようにしながら、渋々ベンチに戻る。


「新井さん、ナイスバッティング!」


「オーケイ、ナーイスバッティング!」


「はーい、どうもー」



まだ痺れの残る右手で、わざわざ暑いのにベンチから出て来て、俺をなだめるようにして若い選手達が出迎える。



汗でびっちょびちょのヘルメットを外して、冷えたスポーツドリンクをグーっと流し込む。


あー、美味い。





ポンポンと2軍ヘッドコーチおじさんが俺の背中を叩く。



「そんな顔をするな。ヒット2本にフォアボール。十分じゃねえか」


「そうは言っても、せっかくいい感覚になってきたのに……」


「後の分は1軍に取っておけ。3日後に1軍は遠征から宇都宮に帰ってくる。そこでお前も1軍合流だ」





なんですと。






というわけで横浜の2軍遠征から帰りまして、自宅の安い賃貸マンションに帰って参りました。



みのりん飯を頂いて、ジャージ姿になり、玄関先でランニングシューズを履いていると、トテトテと眼鏡さんがやってきた。



「新井くん。今からランニングしに行くの?ご飯食べたばっかりなのに……」


「ああ。今日は山吹さんも夜勤お休みでしょ? 明後日から1軍で明日は移動日だからね。チーム練習はないから、少しは体を動かしておきたくて。


外から帰ったらそのまま部屋に帰るから。山吹さんもお仕事でお疲れでしょ?今日のところはゆっくり休んでね」



「…………そう。気をつけてね………」


いつもなら、ご飯を食べた後もこのままみのりんの部屋に残り、アイス食べたりお菓子食べたり。


みのりんが寝る前の歯磨きをするくらいまでの時間まで一緒にいることも多い。


ついつい俺がソファーで寝てしまって、結局朝テーブルに並んで座って食パンをかじりながらコーンスープをすすることもたまーにあるくらいで………。



みのりんもそんななんとも言えない時間にむず痒い心地よさを感じている様子で。


今も、俺が部屋から居なくなってしまうことが分かると、お茶を入れる準備をしながら、一瞬だけ残念そうな顔をした。


ああ……。そんな顔しないで、みのりん。明日もまた会えるじゃない!


そう言って全身を撫で回してあげたくなる衝動を押さえながら、彼女に笑顔で手を振りつつ、ドアをゆっくりと閉めた。




それにしても、みのりんが居てくれることによる俺にとってのプラス要素が、計り知れないものなのは事実。


プロ野球選手にとって、食事を気を使わなくていいというのは非常に意味がある。


奇跡的に入団テストに受かって、プロ野球選手になって、寮が満室で入れないからと、契約したアパートの隣の部屋がみのりんだったというのは、俺の人生において、最高級の奇跡になるに違いない。


隣に越してきた男が、野球選手だからといって、毎日美味しい食事を作ってくれるなんて、そんな女性は他にいないだろう。


ただの美味しい食事ではない。俺の体調に合わせて、メニューや栄養価を考えてくれるおかげで俺は常にいいコンディションで練習や試合に望める。


100%以上のパフォーマンスを発揮出来ているのだ。


それになにより、みのりんと一緒に過ごせる時間があることが俺にとって非常に有意義なことでもある。


いつでも変わらず俺に微笑みかけ、セクハラ攻撃にも屈せず、俺が活躍すれば一緒に喜び、ビクトリーズが負ければ一緒になって残念がる。


昨日の水嵩アナウンサーではないが、もし俺に彼女が出来たりなんかして……ごめん、山吹さん。明日から彼女に作ってもらうから、もう俺のご飯用意しなくていいよ!



なんて、マジで口が裂けても言えないわ。


そんなことになったら、ギャル美とポニテちゃんも参戦して、3人に刺し殺されるだろう。



ということは。



もうみのりんとくっつく以外に選択肢はないのかもしれない。


野球選手である限りは。

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