阿久津のおじさんも躍動する1

ものすごい打球音が聞こえて上空に上がったボールを見た瞬間、思わず走ることを忘れてしまいそうになってしまった。


日が沈みつつも、僅かに残ったオレンジ色の彼方の空に吸い込まれるように、どこまでも飛んでいきそうな打球だった。


レフトフェンスまで100メートル。高さ4メートルのフェンスも軽々と越え、敵の埼玉応援団の中心も越えて、レフトスタンド最上段に着弾した。


スタンドの1番外側の通路に観客が走り、ボールを拾いに行っている。


もう少しで場外ホームランという当たりだった。


「おい、新井。早く行けよ。追い越すぞ」


1、2塁間でぼんやり立っていただけの俺に阿久津さんが声を掛けた。


俺は慌てて走り出す。


2塁回って、3塁回って、ホームイン。


ホームベース裏まできた1塁コーチャーとハイタッチを交わし、振り返って阿久津さんの到着を待つ。


「ナイスバッティングっす。あと5年は余裕でいける当たりっすね」


右手を出してホームインした阿久津さんを迎える。


「お前が塁に出たおかげだよ」


俺と阿久津さんは強くハイタッチをかわして、2人並んでベンチに戻り、チームメイト達の祝福を受けた。






いやー。それにしても凄い打球だった。


これぞプロの打球って感じ。


バットにボールが触れた瞬間、何か小爆発したかのようなバガゴン!! みたいな音がして、打球がまさにピンポン玉の如く、軽々飛んでいったからなあ。


打った瞬間に、あ………行ったわって確信したもんね。


俺もあんな打球を1度でいいから打ってみたいよ。


隣にそのホームランを打った阿久津さんが座ったので色々聞いてみよう。


「阿久津さん、打ったボールは?」


「真ん中のインコースよりのストレートだったな。初球から甘いボールが来たらと考えていたから1発で仕留められてよかったよ」


「感触はいかがでしたか?」


「久々に真芯で捉えた打球だった。打った瞬間ホームランになると思ったよ」


「今日はかなりバットが振れているようですが………」


「交流戦明けの2日間のオフでだいぶ体が楽になったよ。今年はキャンプから仕上がりが早くなるように追い込んでいたから」


「それにしても、元アイドルの奥さんきれいですねえ。また最近テレビに出だしたりして………」



「うるせえ。調子に乗るな」





普通に怒られた。











「6番桃白の打球は、これは平凡なショートゴロ。ショート源が軽快に捌いて1塁アウト! これてスリーアウトチェンジ。この回、3番阿久津に2ランホームランが飛び出しまして、北関東ビクトリーズ2点を先制しました!!」


「よっしゃ、いこう!!」


「「おっしゃあ!!」」


チェンジになり、ホームランを打った阿久津さんが掛け声をかけて、ビクトリーズナインはグラウンドに飛び出す。


俺もボールを1つ持って、レフトへの守備位置へと向かう。


センターの柴ちゃんとキャッチボールをしながら、360度を取り囲むビクトリーズスタジアムのスタンドを見て、たくさんの観客がいることに俺は感動する。


ビール片手に焼き鳥を頬張るおじさん。イケメン選手の応援ボードを持つおばちゃん。イチャイチャしながら観戦する若いカップル。通路を走り回る子供。スマホ片手に弁当を食べるぼっち君。集団で来てギャーギャー騒ぐ連中。


ガチ勢の両チームの応援団。


まさに老若男女色んな人が来ている中で、俺は初打席でヒットを放つことが出来たわけだ。


俺のヒットを今日は2万2000人くらいの観客が目の当たりして。


ビクトリーズファンなら、ナイス! よく知らん選手だけど、新井ナイス流し打ち!となり、ブルーライトレオンズファンなら、ちっ、もうちょいでセカンドが追い付いたのに!


などとそんな風に思うわけだ。


俺の1プレー1プレーを多くの観客が見ているわけだ。


プロ野球だからそうなんだが。


まあ、何が言いたいかというと、プロ世界、それも華々しい1軍の試合に出場出来ている幸せがここにきて胸の奥から沸き上がってきたのだ。


いくらお金を払ってもこんな経験は出来ないからね。


1分でも1秒でも長く野球をやっていたい、そんな感情になったりもした。

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