うちの母ちゃん、ウインナーの焼き加減はいつも抜群やねん。
振り返ってみれば、高校3年間で試合に出たのは、1年秋の大会でコールド負けがほぼ確定的になってしまった寸前の1イニングを投げただけだった。
俺の高校3年間はただそれだけで、今となっては、毎年盛り上がりを見せる高校野球は、正直あまり目にしたいものではない。
高校野球がテレビでやっていたら、面白くなもない他のチャンネルに変えてしまうくらい。
もしかしたら軽いトラウマなのかもしれない。
中学時代はキャプテンに就任した2年生の秋から市内の大会は優勝に次ぐ優勝。最後の夏の大会は関東大会まで進み、準決勝まで駒を進めた。
そんな実績から高校入学前から周りに期待され、同世代から注目されたのも、初めのうちだけだった。
なかなか高校野球の舞台に慣れることが出来ずに、チームの力になれない。
1年経つ頃には入学したばかりの下級生にも出場機会を取られ、両親が応援に来ることもなくなり、最後の夏もチームが敗れる瞬間をベンチの1番後ろから見ていた。
チームメイト達は最後の試合で負けて悔しい悔しいと口にしていたが、試合に出れない俺からしてみれば、悔しいなんかで表せられる気持ちではなかった。
なにもしない、なにもできないまま、高校の3年間という時間が終わってしまうのだ。
まさに腸が煮えくり返り、激しい吐き気を感じるようなやりようのない感情だ。
ただやれなかった。ただ下手くそだったならば、諦めがつく。
しかし、自分の成長を感じたのは最後の夏が終わってから。いや、その間際だったのかもしれない。
この感覚ならやれる。エースが降板した後でも、誰かの代打でも、十分にやれると掴んだ時にはもう、俺はチームの戦力として考えられていなかった。
情で背番号をもらっている控え選手の1人でしかなかった。
その時の気持ちを10年経った今も、忘れることは決してないだろう。
俺はまだ何もしちゃいない。
何も出来ていない。
こんな所で終わってたまるか。
諦めてたまるか。
普通に就職してたまるか。
俺の体の奥底からそんな気持ちも溢れ出してきたから、俺は無謀とも言われながら地元の社会人野球チームに入った。
しかし、僅かその半年後に、会社の経営難で廃部になった時には、はっきりと心が折れた音が聞こえた。
そんな気持ちは、毎日のようにバッティングセンターに通うくらいでは晴らせるものではない。
しかし、それくらいしか出来ることがなかったのだ。パチンコ屋でのアルバイト生活のほんの息抜きがバッティングセンターに通うこと。
そんな時に俺は、バッティングセンターの掲示板に貼られていた1枚のポスターを目にした。少年野球チームの募集や新しいスポーツショップの広告を押し退けるようにして貼られていたでっかいピンク色のポスター。
栃木県宇都宮市を本拠地とした東日本リーグ新規参入のプロ野球チーム、北関東ビクトリーズの入団テストが行われることを知ったのだ。
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