ある日、いつものように思考停止状態でくわを振っていたときだ。

 背後から『布の服』の裾をちょいちょいと引っ張られた。

 無意味な作業を止めて振り返ると、村の人間ではない、『旅人の服』を着た女の子が立っていた。


 その可憐さに、ちょっと見とれてしまう。

 まだ若く、黒髪で、清楚な感じで、おずおずと俺を見上げている。それでいて瞳には固い決意を宿していた。


 外は恐ろしい魔物が徘徊しているというのによくまあ……。


 と、注意深く観察すれば、女の子が手にした杖はそんじょそこらの武器屋で売ってるような、ただの『樫の杖』ではない。では何かと訊かれても、辺境の村人たる俺には知るよしもない。


 はっと我に返った俺は、彼女にぎこちない笑みを向けた。


「やあ! 今日はいい天気だな!」


 女の子はぺこりとお辞儀をして、無言で俺の反応を『しらべ』た。


 なんだこの子、と怪訝けげんに思ったのは一瞬だけで、ああ! と大きく頷く。

 彼女はセリフすらも与えられていないのだ。

 代わりに『しらべる』コマンドでコミュニケーションを図っているらしい。


 しかし、悲しいかな、俺が話せる言葉はただひとつ。


「やあ! 今日はいい天気だな!」


 これだけだ。

 何度か話しかけるとセリフが変わる、神様に優遇された人間がこの世のどこかには存在しているらしいが、それは少なくとも俺のことではない。


 彼女はしゅんと肩を落としながらもお辞儀だけは忘れず、畑の近くを通りかかった村人Cへ『しらべ』に向かった。


 俺は畑仕事に戻りながらも、女の子のことが気になって視線で追いかける。


『しらべ』て、お辞儀して、歩き回って――

 ものすごく不器用な女の子だと思う。

 だけど、こうして世界の終焉を待つことしかできない俺よりも、ずっと自由だ。


 女の子は村人Gから何か情報を引き出すことに成功して、ぱあっと満面の笑みを浮かべた。

 遠目からでも、心臓をぐっと掴まれる。

 その華やかさといったら、空の青さよりも美しかった。


 それから彼女は道具屋で親父を『しらべ』た。

 親父は鍛冶屋も兼業している、村で特別な存在だ。彼がなぜ、冒険者用の武器や防具を売っているのかはよくわからない。きっと、神様にしかわからない。


 女の子は旅人だ。魔物と戦うための武器を買いに来たのだろう。

 ところが、彼女の細腕では『鋼の剣』を持ち上げることができない。


 ははあ、『力』のステータスが上がってないんだな。


 ついには親父が女の子の肩に手を置き、首を横に振るのだった。

 女の子はすっかり落ち込んだ様子で村を去る。そのとき俺と目が合って、悲しげな笑顔でお辞儀をした。


 彼女がいなくなって、村人はルーチンワークへと戻る。しかし時折、誰もが後ろ髪を引かれるように村の出口を振り返るのだった。


 俺もその一人で、苛立ち任せにくわを振り下ろす。

 会心の一撃。鍬はちょっとやそっとの『力』ではびくともしないほど深々と大地に突き立った。


 だめだ、あの子を放っておけない。

 俺は村人Gになかば掴みかかるような形で何を話したか問い質した。


「やあ! 今日はいい天気だな!」

「この村から南へ向かうと、森の中に寂れた遺跡があるんだ。勇者の墓って噂だよ」


 Gは迷惑そうに俺の手を振り払った。

 どうして村から一歩も出たことのないお前が遺跡のことなんて知っているんだ、という疑問はもはや野暮である。


 意を決し、村長の家へと突撃する。

 扉を勢いよく開けると、高齢の爺さんが驚いた表情で俺を凝視した。さすが村長。何かを察し、頬をきりりと引き締めた。


「冒険者さん。こんな田舎だが、ゆっくりしていっておくれ」


 部屋の隅にある宝箱を開け、中に入っていた麻袋を俺に差し出す。

 中身は金貨だ。

 元々鍵はかかっていなかった。あの女の子が宝箱を『しらべ』ていたなら難なく入手できていただろう。にもかかわらず、彼女はそうしなかったのだ。


 俺は二重に驚いて、すぐに受け取ることができない。

 村長はしかと頷き、無理矢理俺に押しつける。


 重い。

 それは金貨である以上に、重かった。


 俺は感謝を伝えたかったが、そのための言葉を知らない。

 老人の骨ばった手を握り、何度も頭を下げ、村長の家を飛び出した。


 立ち寄ったのは道具屋だ。ぱくぱくと口を開閉する俺を見て、親父はすっと目を細める。


「勇者の墓に住み着いている魔物は呪文に強いって話だ。ここで装備を整えていきな!」


 俺が見繕うよりも早く、親父は『鋼の剣』と『鋼の盾』、しかも『鋼の鎧』まで強引に装備させてきた。

 毎日の畑仕事のおかげで、俺の『力』は重装備を可能とするほど成長していたのである。


 しかし、これ、高いんじゃないのか?

 麻袋から金貨を取り出そうとした手を、親父が押し留めた。

 いかつい顔を綻ばせ、ぐっと親指を立てる。

 その意図を理解した俺は、しっかりと頷いた。


 みんな、俺が村人Fだから親切にしてくれるのではない。

 あの女の子が心配なのだ。

 魔物が世界を支配しつつある、というシナリオがあるとはいえ、この村にはエンカウントが設定されていない。世界滅亡イベントが発生するまでは、束の間の平和を満喫できるのだ。


 だけど、彼女は違う。村を出て、旅をしている。何か特別な事情が彼女を衝き動かしているのかもしれないが、並大抵の意志では道半ばで挫折してしまうに違いない。


 勇気ある者。

 そうか、彼女はきっと、伝説の勇者の末裔なんだ……。

 村から出ようとすると、背中を叩かれた。


「セーニョ村へようこそ!」


 寂しげな表情の村人Aだ。

 大丈夫だ。必ず帰ってくる。俺はAの背中を力強く叩き返してやった。


「やあ! 今日はいい天気だな!」

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